第一次世界大戦の原因になったとされるドイツの「3B政策」とイギリスの「3C政策」。この記事では、それぞれの政策の内容や、背景となった帝国主義、結果などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。
ドイツ帝国が19世紀後半から進めていた長期の帝国主義政策を「3B政策」といいます。3Bとは、ドイツの首都のベルリン、オスマン帝国の首都イスタンブールの旧名ビザンティウム、イラクの首都バグダードという3つの都市の頭文字です。
主導したのは、皇帝ヴィルヘルム2世。1871年に成立したドイツ帝国は数十年間で国力を増し、ヴィルヘルム2世の治世下で帝国主義政策を遂行しました。多くの海外領土を獲得するとともに、イギリスの海軍に対抗するための海軍力の整備を進めます。
3B政策もその一環で、上記3都市を鉄道で結び、沿線の港湾整備や産業開発を通じて資本を投下、中東をドイツの経済圏に組み込むことが目的でした。
3B政策の要となったのが、「バグダード鉄道」です。ドイツ資本で設立した会社で、トルコのコンヤからイラクのバスラまでの、鉄道敷設権と沿線開発権がオスマン帝国から与えられていました。
もともとイギリスのアナトリア鉄道会社が開通していたトルコのエスキシェヒルからコンヤまでの線を延長し、小アジアやメソポタミアを横断、バグダードを抜けて、ペルシャ湾に面するバスラを終点とする計画でした。
ドイツが展開した3B政策は、イギリスの3C政策やロシアの南下政策と対立。第一次世界大戦に繋がり、バグダード鉄道の工事は中断します。さらにドイツは敗戦したために権益を失墜。戦後にオスマン帝国から独立した各国に引き継がれ、1940年に全線開通しました。
ドイツの3B政策と対立したイギリスの3C政策。同じく19世紀後半から推進されました。3Cは、エジプトのカイロ、南アフリカのケープタウン、インドのカルカッタの頭文字です。
この3つの都市を鉄道で結ぶと、アフリカ大陸を南北に縦貫し、イギリスにとって最重要植民地であるインドに通じることができます。「インドへの道」と呼ばれる壮大な計画となりました。植民地政府の首相を務めていたセシル・ローズにちなんで「セシルの夢」ともいわれます。
3C政策は、ドイツの3B政策だけでなく、アフリカ横断政策を進めていたフランスや、南下政策をすすめていたロシアとも対立しました。
3B政策、3C政策の背景には、ドイツ、イギリス、フランス、ロシアという列強諸国の帝国主義にもとづく「世界政策」があります。
世界政策とは、帝国主義諸国による世界の分割を図ろうとする政策のこと。特にドイツのヴィルヘルム2世の治世下で、イギリスやフランス、ロシアに対抗して世界進出を図ろうとする政策を指します。1896年に、ヴィルヘルム2世が演説で「ドイツ帝国は世界帝国となった」と述べたことが由来です。
もともとドイツでは、宰相ビスマルクのもとで外交政策を進めていました。フランスを孤立させるために、イギリス、ロシアとは協調を図り、オーストリア、イタリアとは「三国同盟」を締結します。
しかしヴィルヘルム2世は、ビスマルクへ不満を抱き、1890年に解任。自ら親政をとり、国の方針を大きく転換して世界政策を進めていったのです。列強の既得権益を脅かすことになり、ビスマルクが築いた安定が崩れていくことになります。
ドイツの3B政策が成功した場合、イギリスが権利を握っている地中海やスエズ運河を通らずにペルシャ湾へ出ることが可能になり、インドやアジアへのアクセスが容易になります。
これはイギリスにとって重要なスエズ運河の価値が下がること、さらにはイギリスがもっとも重要と考え、3C政策の目的でもあった植民地のインドへ脅威を与えることを意味します。
また3B政策は、イランやアフガニスタンへの進出を図るロシアにとっても厄介なものでした。
ビスマルクは仮想敵国をフランスに絞り、フランスを孤立させるために、オーストリア、イタリアと「三国同盟」を結びます。またロシアとは「独露再保障条約」を締結して、ヨーロッパの安定を維持しました。
しかしヴィルヘルム2世が世界政策を進めると、イギリス、ロシアとの関係はそれぞれ悪化。1890年には「独露再保障条約」の更新を拒否してしまうのです。
するとロシアはフランスとの間に「露仏同盟」を締結。さらにはイギリスも、「英仏協商」「英露協商」を結びました。つまりフランスが孤立を脱しただけでなく、反対にドイツ包囲網が構築されることとなったのです。ロシア、フランス、イギリスの関係を「三国協商」といいます。
ドイツの3B政策とイギリスの3C政策は、結果的に「三国同盟」と「三国協商」の対立を生むことになりました。そしてオーストリア領で起こった「サラエボ事件」をきっかけに、第一次世界大戦へ突入することになるのです。
- 著者
- 板谷 敏彦
- 出版日
- 2017-10-17
日本では太平洋戦争の敗戦による痛手があまりにも大きく、戦争を振り返ることを忌避する風潮がありました。参加が限定的だった第一次世界大戦についてはなおさらです。
作者の板谷敏彦は、現代にも続く中東やロシアの問題、民族主義などは、紐解いていくと第一次世界大戦に繋がると主張。今とこれからを生き抜くために、歴史を理解しなおそうとしています。
戦争が始まるまでの流れにも大きくスペースを割いているので、3B政策や3C政策をはじめとする当時の世界情勢もわかりやすいです。産業史、地政学、軍事史などを複合的に記してくれているのも嬉しいポイント。これまでとは違った視点で第一次世界大戦を見れるようになるはずです。
- 著者
- レーニン
- 出版日
- 1956-05-25
本書は、ロシア帝国を革命で倒し、史上初の社会主義国家であるソビエト連邦を築いたレーニンが革命直前に記したもの。マルクスの理論を引き継ぎ、帝国主義とはすなわち資本主義の独占的段階であると規定しました。
レーニンは、帝国主義にもとづく世界の分割は、新たに植民地にできる土地がなくなった時点で武力衝突につながると述べ、将来的に起こる世界大戦を予期していました。ドイツの3B政策やイギリスの3C政策、フランスのアフリカ横断政策、ロシアの南下政策が対立を生み出したのも、限られた土地をめぐる争いです。
一見小難しそうに見えますが、平易な文章でわかりやすくまとめられています。当時の世界状況を知るうえでも、これからの経済を考えるうえでも読んでおきたい一冊です。