史上最年少でプロ棋士となった藤井聡太さんの登場以来、世は空前の将棋ブーム。将棋を題材にした漫画や小説は数多くありますが、より身近に感じるようになった読者も多いのではないでしょうか。『盤上の向日葵』は将棋とミステリーが融合した異色作品。ドラマ化が決定した本作の見所をネタバレ有りで解説いたします。
舞台は平成6年、山形県天童市。世間が大きく注目する対局が行われようとしていました。東大卒業後にIT会社を起業し、会社を辞任した後、突然プロ棋士を目指し始めたという上条桂介は、あと1勝すればプロになるという世紀の対局の真っ最中でした。
その会場に現れた2人の刑事。ベテラン刑事の石破と、かつてプロ棋士を目指していた経歴を持つ新米刑事・佐野は、とある殺人事件の犯人を追っています。
被害者の遺体とともに埋められていた駒から、上条が関わっている可能性が浮上したというのです。天才棋士と注目される上条は、犯人なのでしょうか。
- 著者
- 柚月 裕子
- 出版日
- 2017-08-18
『盤上の向日葵』は、柚月裕子の書く将棋を題材としたミステリー小説です。将棋を題材とした作品というと棋士を主人公に、日常や人間関係、様々な葛藤を描きながら、対局を重ねることによって成長していく、というような物語を想像するのではないでしょうか。本作にも対局や棋士の日常は登場しますが、どこか緊迫した空気が漂います。
事件の調査とともに、少しずつ上条の過去が明らかになっていくという構造。息の詰まるような対局の行方や事件の犯人、駒が意味することなど様々な謎が複雑にからみ合い、読者を引き付けます。2018年第15回本屋大賞で第2位となり注目を集めた本作。2019年9月にNHKBSプレミアムにて、千葉雄大主演でテレビドラマ化されることが発表されています。
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柚月裕子(ゆずきゆうこ)は、1968年5月12日生まれ。宮城県釜石市の出身です。子育てがひと段落した頃、池上冬樹が世話人を務める「小説家になろう講座」に参加したことが小説を書き始めるきっかけとなりました。2007年山形新聞主催の「山新文学賞」に「待ち人」が入選したことから、自身を得ます。
2008年『臨床真理』で宝島社「第7回このミステリーがすごい!大賞」大賞を受賞。同作で作家デビューを果たします。2016年『孤狼の血』が第154回直木賞の候補作に選出。2018年5月に映画が公開され、注目を集めました。また、『最後の証人』からはじまる「佐方貞人」シリーズも2015年にテレビドラマ化。シリーズ化もされ、人気となりました。
- 著者
- 柚月裕子
- 出版日
- 2017-08-25
柚月裕子作品の大きな特徴は、男性社会の描写が濃密だというところ。子どもの頃からヤクザなどが登場する、いわゆる「男の世界」というものが大好きだったそうで、作品にも数多く登場します。抗争の多い広島が舞台となっているのは、リアリティーを出すためなのだとか。
暴力団に関する事案を担当刑事と極道の熾烈な争いを書いた『孤狼の血』は、まさしく女性から見た男の世界の魅力がぐっと詰まった作品。広島弁が飛び交う世界はとにかく熱く、胸に迫ります。
社会問題をテーマにした作品も発表しており『パレートの誤算』は生活保護費不正受給を題材に、社会福祉の闇に切り込む意欲作です。
本作は埼玉県の山中で発見された遺体について捜査を行っている、ベテランと新米の刑事コンビを中心とした捜査パートと、幼少期からの上条桂介の人生を描く過去パートが交互に描かれるという構成をしています。ミステリーではありますが、事件の謎解きが本筋ではありません。
重要となるのは、上条の過去。事件の真相とも結びついていきます。
順風満帆な人生を送っているように見える経歴の持ち主ですが、明かされた過去は壮絶なものでした。母親の自殺に、育ての父の虐待。あまりの不遇さに胸が痛みます。過去が明かされることで、彼の人生において将棋がどんな意味を持っているのか知ることができるでしょう。
恵まれているように見える現在の上条と、地獄のような日々を生きていた少年時代の上条。過去を知るごとに、現実で将棋盤と向き合う上条が何を背負っているのか、背景を想像してしまい、見方が変わっていくでしょう。最初は刑事側に立っていた読者も、上条に感情移入してしまいます。
上条が挑む竜昇戦をはじめ、作中には様々な対局シーンが登場します。運に左右されるのではなく、考え抜いた一手で勝負が決まる世界に惹かれたという柚月裕子自身は、将棋の駒を動かせるくらいなのだとか。監修はプロ棋士の飯島栄治七段が担当してます。
プロの対局はもちろん真剣勝負の重みがありますが、特殊な対局も登場するのが本作の見所の一つ。作中には、賭け将棋で生計を立てている、東明重慶という男が登場します。
東明は金に汚く、性格は最悪だけれども将棋の腕は超一流。上条も騙されるなど痛い目を見ましたが、憎むことができない人物です。
東明との対局は、お金やそれに代わるもの、大切な何かを賭けた将棋です。プロは自分の段位やタイトルなどが関係しますが、賭け将棋はかなり即物的。しかし、目の前にある生活がかかっている以上、手抜きは一切なく、手に汗握る戦いが描かれます。
プロだから、アマチュアだからと対局の重み、凄みに違いはありません。それぞれに懸けているものがある、その情熱に魅せられてしまいます。
ちなみに作中に登場するタイトルや登場人物の名前は、実在するものをモジったものが多数登場。竜昇戦や東明重慶など、将棋ファンならピンとくる名前に、ニヤリとしてしまいそうです。
上条は母を自殺で亡くし、父から虐待をされて育ちました。そんな彼を助けてくれたのが元教師の唐沢光一朗。上条が将棋を知るきっかけを与えてくれた人物です。唐沢は上条に将棋の才能があると見抜き、奨励会入りを打診しました。しかし、父親に反対されて断念。道が閉ざされてしまいます。
将棋から離れ、大学に進学した上条を再び将棋の世界に戻るきっかけとなったのが、東明との出会いでした。最悪な性格でかなりの策士。しかし、確かな将棋の腕に上条は魅了されてしまいます。
身勝手だけれども、頭の回転の良さは目を見張るものがあり、勝負強さに読者もひかれていくことでしょう。作中でも「自分の人生を生ききった」と書かれる東明ですが、まさしく将棋に生き、生かされている人物だと感じることができます。
東明だけでなく、プロアマ関係なく多くの登場人物の、将棋への想いや情熱を感じることができる本作。ただ真剣という言葉で表現しきることは難しく、真っすぐな熱は狂気すら感じることがあるでしょう。それだけのめり込める世界があることに、圧倒されながらも羨ましくなってしまいます。
- 著者
- 柚月 裕子
- 出版日
- 2017-08-18
山中で発見された遺体の謎と、上条の過去と人生。それらを追っていくと、上条が唐沢から選別にもらった、600万の価値があるという初代菊水月作の名駒が、なぜ山中にある遺体とともに埋まっていたのか、謎が明らかになっていくでしょう。上条の人生と同じように、駒も数奇な運命を辿ったのだと言えます。
過去が現実に追いつき、ついには現実の時が流れ始めます。駒をきっかけに、一見関係なさそうな遺体と上条が結びついてしまうのですが、駒がある意味が判明した時、上条の想いと行動の結果の皮肉に読者も打ちのめされてしまうでしょう。物語の最後にも、やるせなさが残ります。
上条の過去は同情に値し、誰もが救われなければならないと感じるでしょう。救えない歯がゆさ、他に道があったのではという思いに苛まれると同時に、人生を懸けるほどの何かに出会えたことに対する羨望が胸に渦巻きます。
将棋はルールがわからない、という読者も思わずのめり込んでしまうほどの魅力を持っている本作。将棋は特に頭脳戦というイメージが強いですが、東明をはじめとした棋士の駆け引きにも引き込まれるでしょう。ドラマでも熱い対局がみられるのか必見です。