今年も、夏がやってきた。正確にいつからが夏なのかはわからない。二十四節季のなんちゃらとか聞いたことあるのだろうけど。暦の上での季節より、肌に触れる温度だったり空気だったりで、季節の移り変わりを感じる方が多いのではなかろうか。
あぁ夏だなぁと感じるタイミングはいろいろある。汗をかくようになったら。一日の日照時間が長くなってきたら。梅雨が明けたら。自動販売機から「あったか~い」がなくなったら。冷やし中華が食べたくなったら。蝉の声で目覚めたら。空が高くなったら。空気がねっとりし始めたら。
・・・でも、これらより少し前。ジリジリと暑くなるより先に、夏を一番早く感じる瞬間がある。それは
“サングラスが欲しくなったら。”
私は眩しいのが苦手だ。公園で砂の上を歩いているときや、白っぽい色の道を歩いているとき。目が痛くて涙が出てくる。太陽が反射して目に飛び込んでくる強い光に気が付いたら、憂鬱な気持ちで夏の到来を知る。そして、思うのだ。
『サングラスが欲しい。』
サングラスに憧れている。もう何年になるだろうか。サングラスが欲しくて、でもその願いは叶わなくて、ずっと指をくわえて見ていた。
サングラスを持っていたらどんなにいいだろう。日差しが眩しいときでも、目を細めることなく真っ直ぐ前を向いて歩くことができる。もう俯いたりなんてしない。上を向いて堂々と歩ける。電車の中で寝てしまったとき、起きて半目だったかを気にすることもない。私は寝ているときに目が開いてるとよく言われる。でもサングラスがあれば、周りの人に怖い思いをさせずに済む。今日はメイクするのが面倒だなって日もサングラスがあれば隠せるし、そのサングラスがかっこよければTシャツにGパンなんていうシンプルな服装も素敵に見えるんじゃないだろうか。あとはやっぱり紫外線。日焼けは目からもするって言うし。サングラスがあれば、人生はきっとより豊かなものになるにちがいない。
しかし、私はサングラスが似合わない。それはもう地獄的に。似合わないと言うか、面白い。いや、面白いよりオモロいの方がしっくりくるな。面白い+間抜け=オモロい。どっちでもええわ。
とにかく私は、どんなサングラスをかけても、面白く仕上がってしまうのだ。
毎年、夏が来たなと感じるとサングラス探しは始まる。メガネ屋さんからセレクトショップ、雑貨屋さん。そこら中でサングラスを探し回り、見つけるたびにじっくり選んであれこれ試着してみる。それは秋になって日差しが落ち着き、あぁ今年も似合わなかったと落胆するまで続く。
何年か続けていると、サングラスの流行も入れ替わった。小顔効果を謳う、やたらデカいサングラスや、ティアドロップ型。丸いのや四角いの。最近は小さくて丸いものが流行っているのだろうか。あと、ピンクやブルーなどのポップな色のレンズ。あれ?これ昨年か一昨年かな。いつのアレだったかわからなくなるくらい、たくさんのサングラスを見てきた。そして、そのどれもがかけると面白かった。
仲の良い友人にサングラス探しを付き合ってもらったこともある。お世辞を言ったりしない友人は、私がサングラスをかけた瞬間に「いやいやいや!」と笑いこけた。お世辞を言ってくる旦那さんも、この時ばかりは褒めポイントを見つけられなかったようだ。サングラスを試着した私を見て、半笑いで首を傾げたあと、なぜ似合わないかを冷静に解説してきた。丸顔だからかな?から始まり、鼻が低いから鼻当てがあった方が・・・そもそも日本人の顔だと・・・とあらゆる角度から分析され、でもそれだと私が傷つくと思ったのか『小顔だから』と言うところに落ち着かせようとしていた。
しかし私は知っている。私よりはるかに顔が小さい芸能人やモデルさんはかっこよくサングラスをかけていて、もちろん似合っている。私だけが、サングラスに見放されているのだ。
実は、諦めて安いサングラスを買ってみたこともある。とりあえず日差しさえ避けられればそれでいいのだ。しかし、似合う似合わない以前にかけ心地が悪くて、ほとんどかけられなかった。
メガネのように見えるけど、薄らと色のついたサングラスも試した。試着したときはメガネにしか見えなくて、これはいい!と喜んでかけていたのだが、暗めの室内にある鏡で見てみると、クレヨンしんちゃんの園長先生のようだった。組長。
もうこれは似合わないのを我慢するか、眩しいのを我慢して生きていくしかないのかと肩を落としていた所、一筋の光明が差しこんだ。
昨年の夏が終わるころだった。ふと入ってみたオシャレなメガネ屋さんでかけてみたサングラスが、どうも悪くない印象だった。いや、これはなかなかイケてるレベルかもしれない。早速そのブランドについて調べてみると、日本のもので日本人の顔に似合うように作られているとのことだった。種類もたくさんあったのだが、夏が終わるころにはほとんどが売り切れていたようで実際に見られるものはあまりなくて、昨年は買わずに終わった。
しかし今年。私はついにそのサングラスを手に入れた。昨年試着したものより、さらにしっくりくる感じのものが見つかり、満を持してメガネ屋さんで購入した。レンズもフレームも鼻当ても黒。シックでオシャレなサングラスだ。丁寧に調整してもらうと、雑貨屋さんなどで買う安価なものとは違い、顔を振り回してもずれないし違和感のないかけ心地と、軽さが気に入った。
早速かけてみたかったが翌日はあいにくの雨で、サングラスをかけるほどの眩しい日差しは届かなかった。数日経ったある日、旦那さんと買い物に出かける際に「サングラスかけていったら?」と言われ、喜んでかけて出かけた。道路を歩くとき、目が痛くならない。その快適さに感動した。しかしスーパーの中に入ってみると、暗くて物が見え辛く、すぐに外してしまった。まぁ、いい。屋外用にと買ったのだ。
しばらく買い物を続けていると、旦那さんがふいに耳打ちしてきた。「おじさんが、舞子さんの顔を何回か見に来てるよ。家の近所だしサングラスかけたら?」
その瞬間に私は顔から火が出る程恥ずかしくなった。ここでサングラスをかけようものなら、変装しようとしてる人じゃないか。だめ、ダメダメダメ。
とゆーかここじゃなくても、サングラス姿のまま街中で知り合いにバッタリ出くわしてしまったら「うーわ!いっちょまえに変装してる!」と思われそう。いや、思われるな。「有名人でもないのに!サムッ!」と。
恥ず!!!恥ず恥ず恥ず!!!!!自意識スイッチオン。私のサングラス姿なんぞ、誰も興味ないだろうが、見られていることを意識していそうなアイテム。それがサングラスではないか。なんと恥ずかしいものを買ってしまったんだ。
しかし数年に渡って探し回り、安くない値段で買った。時間もお金もかけたのに、サングラスをかけられないのは、あまりにもったいないじゃないか。今こそ勇気を出してかけなければいけない。自意識スイッチを無理やりオフにし、一度ケースにしまったサングラスを再び装着する。視界に暗いフィルターがかかる。サングラスをかけている自分を想像してしまう。スーパーでサングラスかけている女。絶対肉の鮮度とかわからなくなるのに、真っ黒なサングラスかけて堂々と歩く女。
想像の中の自分はすこぶる滑稽だ。サングラスを外したくなる。しかしここで外したらもう終わりのような気がする。ふと、鏡が目に入る。
・・・何か、全然似合ってなかった。全身で見るとこんな感じなのか。合掌。静かにサングラスを外し、そっとケースにしまう。「あれ?外しちゃうの?」と旦那さん。
令和元年。サングラスも元年。いやまだ準備段階か。サングラスを買ったらかけられるものだと思っていたが、どうやらリハビリから始めなければいけないようだ。
- 著者
- 村田 沙耶香
- 出版日
- 2018-12-04
アラサー女子の自意識の話に最初はクスクス笑いながら読んでいたのですが、そのうち「ワシもや!」と気づかされた、面白くて悲しい一冊。同世代の女性はもちろんですが、ぜひ男性にも読んで頂きたいです。女はこんなこと考えて生きているんです。
- 著者
- 佐藤 多佳子
- 出版日
- 2019-04-26
「小塚さん好きやと思います!」と、マネージャーに勧められて読んでみたらもうど真ん中で興奮しながら一気読み。しかし、こういう自意識持ってるのバレてんのかなと心配になりました。
実在するラジオ番組を中心に、多感な若者たちが交差していく物語です。登場人物が持つそれぞれの自意識が見え隠れするところ、たまらないです。主人公の目線で語られていくので、周りにいる人のそれは想像することしかできないのですが、そこが何とも切ない。テンポのいい文章が心地よい一冊です。あとラジオが好きになります。私も職人になりたい!
小塚舞子の徒然読書
毎月更新!小塚舞子が日々の思うこととおすすめの本を紹介していきます。