『凍りの掌』何を描くのか。おざわゆきの祖父が語るシベリア抑留記をネタバレ

更新:2019.7.21 作成:2019.7.21

『凍りの掌』は作者であるおざわゆきの父が、戦後シベリアに抑留された体験を描いた作品。現代を生きる日本人にとって、戦争はとても遠いものになってしまいました。平和を享受している我々に必要とされるのが、戦争によってどんなことが起こったのかを知るということ。ドラマ化もされる本作を、ネタバレを交えてご紹介いたします。

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『凍りの掌 シベリア抑留記』がドラマ化!おざわゆきが描く戦記をネタバレ紹介【あらすじ】

『凍りの掌 シベリア抑留記』は、作者の父が実際に体験したことを中心に、物語が構成されている漫画作品。同人誌即売会「コミティア」にて発行した作品が編集者の目に留まり、2012年に小池書院より単行本が発売されました。衝撃的な内容で注目を集め、第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞を受賞。2015年に新装版が発売されています。

時は昭和18年、東京。小澤昌一は名古屋から上京し、東洋大学の予科生(本科へ進む前の予備課程)をしていました。日々空襲で周囲が焼け、同級生が出征する姿を見送り、食事の内容が貧しくなっていく……そこかしこに戦争の影が見られます。

長引く戦争に疲弊しながらも、本を読み、友と語らい、気分転換に寄席に行くことができる生活に、まだ絶望は見られませんでした。

しかし転機は突然訪れます。故郷の父が臨時召集令状を持って訪ねてきました。昌一は故郷から出征するため、東京を後にします。訓練を終え向かったのは、マイナス三十度にもなる極寒の地、北満州。初年兵ばかりの隊でした。
 

 

著者
おざわ ゆき
出版日
2015-07-27

北満州にきてから時は過ぎ、昭和20年8月9日。ソ連軍が昌一たちのいる基地を侵攻してきました。16日には空爆を受け、多数の死傷者が出てしまいます。大本営から停戦命令を受けた昌一たちは、ソ連軍によって北へと連行されてしまいます。待っていたのは炭鉱掘削の強制労働でした。

シベリア抑留とは、第二次世界大戦後捕虜となった日本兵などが、シベリアなどで長期にわたって抑留生活と過酷な強制労働を強いられていたという事実に対する呼称です。約5万5千人以上が亡くなったとされるこの出来事は、凄惨や過酷という言葉では片づけられるものではありません。

あまりの絶望感に読者も飲み込まれてしまう本作ですが、2019年8月に木村多江主演でテレビドラマ化されることが発表されました。NHK BSプレミアム「ドラマ×マンガ」にて、おざわゆきがどのように父の体験を描こうとしたのか。悪戦苦闘の日々をドラマと漫画を交えて描きます。
 

作者のおざわゆきとは?『傘寿まり子』も人気!

著者
おざわ ゆき
出版日
2016-11-11

おざわゆきは1964年11月13日生まれ、愛知県名古屋市の出身。中学生時代から漫画雑誌への投稿をはじめ、高校1年生の時に集英社「ぶ~け」で漫画家デビューを果たしました。2009年飛鳥新社より夫渡邊博光との共著である『築地あるき』を発表。夫婦の共著は5作にもわたり、人気を集めています。

『凍りの掌 シベリア抑留記』が単行本化した後の2014年には、おざわゆきの母の戦争体験を描いた『あとかたの街』を発表し、大きな話題となりました。

2016年より連載を開始した、80歳のベテラン小説家を主人公にしたホームドラマ『傘寿まり子』では、高齢者が生きる現代社会の問題が浮き彫りにされました。

作者の作品は、リアルな物語として特徴が挙げられます。特に戦争体験を描いた2作品は、両親の実体験が元になった物語であり、多少の脚色はあっても内容に嘘がありません。柔らかくどこか愛嬌があり、可愛らしいとさえ感じられる絵柄は、現実で起きた出来事の凄惨さを緩和してくれます。その力が読者に問題と向き合うキッカケを与えてくれます。

『凍りの掌 シベリア抑留記』で描かれる世界:マイナス30℃!極寒の地での強制労働

『凍りの掌 シベリア抑留記』で描かれる世界:マイナス30℃!極寒の地での強制労働
出典:『凍りの掌 シベリア抑留記』

昌一たちが最初に配属された北満州も、手袋をしなければ建物に皮膚が張り付いてしまうほど極寒の地でした。その後、終戦を迎えて満州にいた日本兵は停戦、捕虜となります。帰国させるとソ連兵に連れていかれた昌一たちでしたが、船に乗せられてたどり着いた場所はシベリアだったのです。

当時の最高指揮官・スターリンの指示により、約50万人の日本人の強制抑留が行われました。昌一たちが収容されたギウダ収容所は、収容された約半数の人が亡くなったという場所。マイナス40度以上にもなる極寒の地にも関わらず屋根はなく、防寒具もなく、粗末な食事しか与えられない。そんな劣悪な環境の中、昼夜問わず石炭を掘り続けさせられます。

最低限の労働環境すら整えられておらず、死ねば穴に埋められてしまうだけ。病院はありましたが、ベッドがあるだけで、シラミなどの虫に悩まされ心は休まりません。

ただ強制的に働かされ、死ぬだけの場所。終戦後に、生きる保証さえ無く働かされ続けた人が大勢いるという事実と、労働環境の劣悪さに言葉もありません。
 

『凍りの掌 シベリア抑留記』で描かれる世界:絶望しかない思想教育

『凍りの掌 シベリア抑留記』で描かれる世界:絶望しかない思想教育
出典:『凍りの掌 シベリア抑留記』

奇跡的に病気から快復した昌一でしたが、その後別の収容所へ移されます。そちらでは土木や建築作業を行い、以前の収容所よりは環境が良くなりました。帰国できないという焦燥感はあるものの、少しばかり心穏やかに過ごすことができました。

しかし、昭和23年のある日から事態は一変。ソ連による共産主義への思想教育が施されていたのです。元々共産主義だった捕虜だけでなく、新たに共産主義となった捕虜もたくさん現れました。思想だけなら個人の自由ですが、思想に反するものは吊るし上げられ、集団リンチに遭うことも。

「民主運動」と呼ばれた一連の思想運動によって行われたことは、過酷な労働よりもつらいことだったでしょう。同じ日本人の捕虜であるにもかかわらず、思想の違いから順位や階級が決められ、迫害されたという事実の壮絶さからか、この運動について語る人はごく少ないのだそうです。

この思想教育のせいもあり、シベリアから帰国した日本人の多くは、就職が難しくなったという現実に直面しました。思想に染まっていなくとも共産主義として不採用にされることも多く、帰国後も苦労が絶えなかったようです。
 

『凍りの掌 シベリア抑留記』で描かれる世界:語り継がなければならないこと

『凍りの掌 シベリア抑留記』で描かれる世界:語り継がなければならないこと
出典:『凍りの掌 シベリア抑留記』

多くの人があまりに壮絶な日々に耐えかね、口を閉ざしたというシベリア抑留での体験を、なぜ昌一は語ったのでしょうか。おざわゆきが聞きださなければ「墓へ持っていくつもりだった」といいます。口にすることすらためらうほど、悲惨な体験だったことが予想できます。

しかし、誰かが伝えなければ、忘れ去られてしまう。

作者が漫画に描こうとしたように、昌一も後世に伝えなければならないと感じたのではないでしょうか。誰かが伝えてくれたからこそ、二度と起こしてはならない凄惨な出来事として記録が残る。そのことに意味があるのだと、感じられます。
 

『凍りの掌 シベリア抑留記』で描かれる世界:結末に泣ける。日本に帰ってきた仲間たちの最後……【ネタバレ注意】

著者
おざわ ゆき
出版日
2015-07-27

各地の終了所を転々とし、ある日昌一は「ヴィ ダモイ」と告げられます。「ダモイ」とは帰国という意味でしたが、収容所に入る以前も聞いた言葉で、移動するたびに聞かされた言葉でもあります。昌一たちも移動はしつつも、信用できませんでした。

シベリア鉄道に乗り、何日も揺られた先に見えたのがナホトカの海。日本の船もやってきます。船に乗り、日本の食事を口にしたとき、あまりの美味しさに涙がこぼれました。ギウダ収容所で出会った加藤とも再会し、互いの無事を喜びあいます。

過酷な収容所生活で、多くの仲間が亡くなりました。昌一たちは甲版から、「せめて魂はともに帰ろう!」(『凍りの掌 シベリア抑留記』より引用)と呼びかけます。帰りたくとも帰れなかった仲間たち。生き残り、帰国することができた昌一たちの複雑な心境と、極寒の地で倒れた人々の無念を思い、涙が止まりません。

戦後の日本は平和になり、戦争があった事実は遠い過去のものとなりました。しかし、多くの人が犠牲となり、「戦争」によって理不尽な死や人の尊厳を踏みにじる出来事が行われたことを忘れてはいけません。知っていればそれだけで抑止力になる。本作は、戦争とはこういうものだったのだという真実を、読者に伝えてくれます。