僕たちはいつも、ついつい誰かと比べて、自分の幸福度を測定してしまいます。たとえば「世の中には食べたくても食べられない人がいるの!」という言葉です。ごはんを残す子どもに言われてきた、定型的なセリフです。「相対的に自分たちの環境を考えなさい」という価値観から生まれたものでしょう。
まるで途上国の人たちが、飽食の国で暮らす自分たちよりも、不幸だと決めつけているように聞こえます。
たしかに、僕たちは経済的に発展しているかもしれません。
ですが、いくら飽食でも、いくら潤っていても、この国は1日に100人、この10年間で30万人もの自殺者を出しました。
見方によっては、そこまで幸福だとは思えません。「しあわせ」というものは、誰かと比べて推し量ると、あまりよくないと、僕は思っています。
そんなことをモヤモヤと考えて、読みたくなる物語があります。それが「最悪の環境の中で、ほんの少しの灯りを感じているふたり」です。
今日は「落とし穴のなかのしあわせ、比べようの無い絶対的なしあわせ」という共通点を持つ3冊を紹介します。
溢れ出る哀しさとやりきれなさ
- 著者
- 東野 圭吾
- 出版日
- 2002-05-17
東野圭吾先生の大長編ミステリーです。僕がこの作品を読んだのは、15歳のときでした。
僕に活字の可能性と、面白さを教えてくれた一冊です。
小学生のときに、殺人という秘密を共有した、2人の男女の人生が描かれていきます。犯罪行為を繰り返しながら、陰から男が女の人生を助け続けるというストーリーです。
“あたしの上には太陽なんかなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあった”
“夜を昼と思って生きてくることができたの”
このセリフが大好きでした。
今回、僕が選んだテーマである「落とし穴の中のしあわせ」が、凝縮されていると思っています。
ちなみにこの本、凄まじいのが、なんと、主人公2人の会話のシーンなどが一切出てきません。連絡を取ったりする様子や、心理描写もまったくありません。それなのに、2人がどんな人間なのかが、読者に少しずつ浮き彫りになっていきます。
最後まで具体的な描写が無いのに、哀しさとやりきれなさを溢れさせ、2人の関係性を読者に想像させる文章力は、まさしく神業ものです。
衝撃的だが「心温まるお話」
- 著者
- 乙一
- 出版日
乙一先生の長編作品です。表紙やタイトルのせいで、ホラーだと思われがちですが、温かくシンプルです。「警察に追われている男が、目の見えない女性の家に黙って隠れ住んでしまう」という設定は衝撃的でした。
社会や他人と、うまくやっていけない内気な2人が、奇妙な同棲を通して、他人と関わっていけるように成長していきます。
少しずつ、自分の家に知らない誰かがいることを認識していく展開を、とても気持ちよく読めます。2人の距離の縮め方は、違和感なく、テンポよく描かれていきます。
食器を割ってしまった後に、気付かれないように、残った破片を片付けてやるシーンや、知らないフリをしながら、そこに誰がいるのかカマをかけていくシーンは、スリリングですがコミカルな、独特の読み味があります。
シチューを二人前作って、2人で無言で食べるシーンがあります。このシーンが持つ感動の種類は、それまで僕が触れたエンタメには無いものでした。
音楽、小説、コミック、映像、演劇、お笑いと、いろいろなエンタメに、僕は影響を受けてきました。オリジナリティとは「特殊なやり方」のことではなく、「特殊な感動を与えられること」なのかもしれません。
僕が音楽クリエイターとして、「変なふたり」や「その人たちにしか分からないしあわせ」に光を当てだしたのは、この作品がキッカケだったように思います。読後感も爽快で、僕にとってターニングポイントになった「心温まるお話」の一つです。