5分でわかる魔女狩りの歴史!なぜ起きたのか、道具、裁判等わかりやすく解説

更新:2019.8.6 作成:2019.8.6

ジャンヌ・ダルクが犠牲になったことでも知られる「魔女狩り」。一体どういうものなのでしょうか。この記事では、拷問の方法などの概要、魔女狩りがおこなわれた背景と歴史、セイラム魔女裁判などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。

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魔女狩りとは。拷問の方法や道具など概要をわかりやすく解説

 

魔女である、という疑いをかけられた人物に対し、裁判にかけたり刑罰を与えたりして迫害することを「魔女狩り」といいます。ここでいう「魔女」とは、悪魔と契約し、キリスト教社会の秩序や安寧を破壊しようとする背教者のことです。

以前は、中世ヨーロッパにおけるキリスト教会が魔女狩りを主導していたという説が一般的でしたが、近年の研究によると主導者は民衆だったとのこと。時期についても、12世紀以降といわれていたのが15〜18世紀にかけてと修正されました。特に全盛期だったのは、16~17世紀のこと。「魔女熱狂」「大迫害時代」とも呼ばれています。犠牲者は4~6万人におよんだそうです。

魔女狩りがおこなわれていたとされる根拠は、旧約聖書の「出エジプト記」に、「女呪術師を生かしておいてはならない」という記述があったこと。魔女だと疑いをかけられた者は取り調べを受け、時には拷問もされました。

拷問に用いられた道具は、体を引き延ばす「拷問台」、指を締め付ける「親指締め機」、巨大な刃物を揺らしながら徐々に体に近づけていく「振り子」など多種多様。

そのほか、頭部を圧迫する「頭蓋骨粉砕機」、てこの原理で水面で浮き沈みをくり返す「水責め椅子」、無数の針が取り付けられた「審問椅子」、腸を引きずり出す「腸巻き取り機」などがありました。

拷問によって本人が自白をしたり、知人の証言によって魔女と認められると、死刑が執行されることがあります。イギリスでは絞首刑、そのほかのヨーロッパでは火あぶりが主流だったようです。

裁判では、「猫を飼っている」「一人暮らし」「高齢者」「友人が少ない」「教育を受けていない」など、現代では考えられないものが魔女である証拠として扱われていました。また近辺で「雨が降った」「地震が起きた」「授乳期の女性のお乳の出が悪い」「家畜が死んだ」などが起こると、魔女の存在が疑われたようです。

1度裁判にかけられると、無罪になるのは非常に稀。釈放されることはほとんどなかったといいます。

 

魔女狩りはなぜ起きたのか。男性も対象だった?

 

ヨーロッパ全土を通じて共通していることは、魔女狩りがおこなわれていたのはプロテスタントやカトリックといった宗派には関係なく、政治が不安定な場所で頻発していたということです。

フランスやドイツは各領邦の君主の考えによって様相に大きな差があり、イタリアでは魔女裁判の件数こそ多いもののほとんどが鞭打ち程度で済んでいたそう。スペインでは異端審問は盛んでしたが魔女狩りに発展することはありませんでした。

イギリスでは1590年代がピーク、スコットランドでは1590年代から1660年代がピークだったそう。ポーランドやハンガリーでも激しい魔女狩りがおこなわれていたといいます。

「魔女」とついているので女性を連想しがちですが、実は魔女狩りは男性も対象になっていたそう。たとえばアイスランドでは、裁判にかけられたおよそ80%が男性だったことがわかっています。

魔女狩りがおこなわれた理由については、さまざまな説が唱えられてきました。代表的なものは、犠牲者の財産を目的にした「金銭目当て説」、キリスト教を信仰しない「異教説」、戦争や天災に対する怒りをぶつけたとする「災禍反応説」、権力者が支配を誇示する手段として用いる「社会制御手段説」などです。

ただいずれの説にも反証となりうる主張があり、そのことから魔女狩りはひとつの目的のためではなく、さまざまな要因が重なって実行されていたものだと考えられています。

たとえば1435年にドイツの魔女裁判で処刑されたアグネス・ベルナウアーは、裕福な商家の娘で、領主であるバイエルン公エルンストの御曹司に見初められ、結婚しました。しかし当時その御曹司は、ヴュルテンベルク伯エーバーハルト3世の娘と婚約中。娘を翻弄されたエーバーハルト3世と、父親のエルンストも激怒し、結果としてアグネスは「アルブレヒトをたぶらかした魔女」として殺されてしまったのです。

このように、個人的な事情で魔女狩りが利用された例もありました。

 

ヨーロッパにおける魔女狩りの歴史

 

魔術を使うことを「犯罪」だとみなす考え方は古来から存在し、古代ローマにて初めて定められた成文法である「十二表法」にも罰則の対象として規定されていました。古代ローマの歴史家リウィウスの著書『ローマ建国史』によると、紀元前2世紀頃には、魔術を使用した容疑で数千人が処刑されたそうです。

中世になっても、魔術を使うことは暴力や窃盗と並ぶ犯罪とされていました。しかし、実際に魔術を使用した罪で裁かれた記録はほとんど残っていません。というのも、当時のヨーロッパでは被告と原告が対等に争い、認められない方が罰せられるという「タリオン法」が一般的だったから。この制度下で魔術の存在を裁くことは難しく、そのかわりに法に拠らない私刑が何度もおこなわれていたそうです。

12世紀頃になると、ローマ教皇庁の主導のもと異端審問が活発になります。ただ当初は魔術関連は異端審問官の管轄外だったようで、記録に残る最古の魔女裁判は1428年にスイスのヴァレー州でおこなわれたものでした。

その後、異端とされていた宗派がおこなっていた集会のイメージが、魔女の集会へと形を変えていきます。さらに反ユダヤ感情と結びつき、この頃に「子どもを捕まえて食べるかぎ鼻の老婆」という姿も形成されていきました。魔女の集会を表す言葉が、ユダヤ教の安息日を表す「サバト」と同じなのもここに由来しています。

17世紀になると、魔女狩りは急速に衰退していきましたが、その理由は明らかになっていません。ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンなど、近代的な知性をもつ人物が現れたこと、技術の進化によって人々の意識が変わったことなどが挙げられています。

ヨーロッパで最後に魔女狩りがおこなわれたのは、1782年のスイスだそう。しかしその後も、魔術を行使することを禁じた妖術行為禁止令は、1983年までアイルランドで施行されていました。

 

アメリカで起こったセイラム魔女裁判とは

 

アメリカで起こった有名な魔女裁判のひとつに、「セイラム魔女裁判」というものがあります。マサチューセッツ州セイラム村にて、1692年3月1日から始まりました。

約200人もの村人が魔女として告発され、19人が処刑、1人が拷問中に死亡、乳児を含む5人が獄中で死亡したそうです。

ことの発端は、牧師であるサミュエル・パリスの娘ベティと、従姉妹のアビゲイル・ウィリアムズが友人らとともにこっそり降霊会に参加したこと。その最中にアビゲイルが突然腕をばたつかせたり、部屋を走りまわったり、煙突を登ろうとしたりと奇妙な行動をとったため、「悪魔に憑りつかれている」と診断されました。

サミュエルは、南アフリカ出身の奴隷ティテュバを疑い、拷問にかけて、妖術を使ったことを自白させます。その後、降霊会に参加していた他の少女たちも奇妙な行動をとりはじめ、その後相次いで告発をしたため、騒ぎは大きくなりました。

なかでもセイラム一の名家の娘であるアン・パットナムは、当時まだ12歳の少女でありながら62人もの村人を告発し、裁判では証言台に立って周囲が圧倒されるほど真に迫った状況描写を述べたそうです。

3月1日に予備審査、6月2日に特別法廷が開かれ、有罪となった者は6月10日から順次絞首刑にされていきました。

事態はさらに拡大し、少女たちによる告発はハーバード大学の学長や、マサチューセッツ湾直轄植民地の総督ウィリアム・フィップスの妻にまでおよびます。これを受けてフィップスが介入し、10月に裁判を停止。1693年5月に囚われていた者を釈放して一連のセイラム魔女裁判を終息させました。

ここまでの騒ぎになった原因としては、児童虐待や集団ヒステリー、中毒による集団幻覚、財産目当て、権力争いなどさまざまな説が唱えられていますが、明らかにはなっていません。ただ告発した少女たちは、インガソルという女性に対し「遊びでやっている」ことを仄めかしていました。

セイラム魔女裁判は、植民地時代のアメリカにおける集団パニックのもっとも悪名高い一例といわれ、その後のアメリカの裁判制度などにも大きな影響を与えています。

 

魔女狩りの入門書としておすすめの一冊

著者
森島 恒雄
出版日
1970-06-20

 

魔女狩りが全盛を迎えた16世紀から17世紀は、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが活躍したルネサンス期に重複する華やかな時代です。密告や拷問、強制的な自白、処刑……貴族や文化人たちも、これらを駆り立てたといわれています。

本書は1970年に刊行されたので、データとして古い部分はありますが、中世ヨーロッパで魔女狩りがおこなわれた背景や、キリスト教世界の状況などは存分に理解することができるでしょう。

「新しい魔女」はこれからも創作され、新しい「魔女の槌」の神学が書かれるかもしれない。

本書の最後は、このような一文で締めくくられています。魔女狩りは異様な行動に見えますが、それを実行していたのは他でもない人間。自戒の意味も込め、読んでおきたい一冊です。

 

魔女狩りとヨーロッパの近代化の関係は

著者
黒川 正剛
出版日
2014-03-11

 

本書は、魔女狩りを「ヨーロッパの近代化」という軸に沿って記した一冊。「異端から魔女へ」「魔女熱狂時代前夜」「バロック時代の中の魔女裁判」「魔女裁判の終焉と西欧近代の始まり」という4章に分けて、歴史を追いながら新たな視点で両者の関係性を解き明かそうとしています。

哲学や文化、宗教学を横断して展開される文章は迫力満点。拷問などの血なまぐさい記述は最小限に留められていて、魔女狩りについて構造的に考察したい方におすすめの一冊です。