『悪童 小説寅次郎の告白』は、あの「寅さん」の知られざる少年時代を描いたもの。『男はつらいよ』でお馴染みの「寅さん」こと、車寅次郎(くるまとらじろう)が語る、意外な出生のエピソードや、寅さんから見た「昭和の風景」が見所です。今回は、シリーズ50作目となる最新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』の上映に先駆け、連続ドラマ化も決定した本作の魅力を紹介します!
無鉄砲で調子がよく、美人に弱いけれど決して憎めない……。そんな永遠の主人公・寅さんが巻き起こす騒動を描いた映画『男はつらいよ』。誰でも一度は、その名前を聞いたことがあるでしょう。
本作は、この映画シリーズの監督・山田洋次による小説です。かの「寅さん」がどのように育ったかが明かされる、シリーズ前史となっています。
物語は、寅さん自身が語り部となるモノローグ形式。あの独特な口調はそのままに、寅さんの視点から見た自らの生い立ちや、時代を映すエピソードがつぎつぎと語られます。
まるで寅さんと向かい合って話しているような感覚を味わえる、ファンにはなんとも嬉しい一冊。映画を観たことがない人も、寅さんのキャラクターに魅了されること間違いなしです!
- 著者
- 山田 洋次
- 出版日
- 2018-09-07
寅次郎を演じた俳優・渥美清(あつみきよし)の、没後20年以上が経過した2019年9月現在、シリーズ50作目となる『男はつらいよ お帰り 寅さん』の制作が発表されました。
映画ファンの間では、すでに話題になっており、本作もそれに先駆けた形で、NHKで連続ドラマ化が予定されています。
タイトルは『少年寅次郎』で、主演は女優・井上真央が務めるようです。寅さんの幼少期ということで、両親やお馴染みのおじさん・おばさんなど、周囲の人物にもフォーカスした作品になるのかもしれませんね。
あの唯一無二のキャラクターにつながる少年時代。どんなふうに演じられるのか、非常に楽しみです!
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あらすじでも紹介したとおり、本作の作者は『男はつらいよ』の監督・脚本家である山田洋次です。だからこそ小説でも、まさにイメージのとおりの「寅さん」が描かれています。
山田洋次といえば、もはや説明もいらないほどの大監督。ほかに監督を務めた作品としては『幸福の黄色いハンカチ』や『たそがれ清兵衛』などが挙げられますが、いずれも日本を代表する傑作。
- 著者
- 新田 匡央
- 出版日
- 2010-01-16
また、有名な「学校」シリーズでも監督・脚本家を努め、『十五才 学校Ⅳ 』は彼の手により、完全小説化されました。大人だけでなく、悩める少年少女たちの心にも響く作品です。
このように多数の名作を監督・執筆している山田洋次ですが、「人間ドラマを描く」という姿勢は、どの作品でも一貫しているように感じます。
それは本作『悪童 小説 寅次郎の告白』もしかり。ユーモアや悲哀、喜びや痛みなどが入り混じった「泣き笑い」の物語に、見事に仕上がっています。
寅さんといえば、やはり映画でのあのキャラクターが一番に思い浮かびます。
ジャケットに腹巻とゲタを履き、手には商売道具を入れたカバンがひとつ……。行くさきざきで美しいマドンナに恋をし、騒動を起こしますが、天性の愛嬌で周りの人たちを笑顔にしてしまいます。
本作は、そんな寅さんという人物が「できあがるまで」のお話。まだ少年ですが、すでに随所に見られる「らしさ」には、たびたびクスッとさせられます。
たとえば「防空壕」というエピソードで語られる、寅さんが体験した戦争中の出来事。戦火のなか、寅次郎一家は、家の前の柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)に掘られた防空壕に避難します。
予断を許さない状況のはずですが、寅次郎少年はひとり嬉しくてたまりません。なぜなら、帝釈天の住職の「美しい娘さん」の近くに寄れるからなのです。
娘さんのそばで夢心地になり、毎晩の空襲警報を心待ちにしていた……と語る寅さん。不謹慎ではありますが、なんとも「らしい」お話です。
ほかにも、その後の寅さんを思わせるエピソードが満載。悲劇もどこかユーモラスにしてしまう寅さんの土台を作った少年時代は、ファンだけでなく、寅さんを知らない人にも魅力的に映るのではないでしょうか。
平成が終わり、令和の時代に突入した2019年。
日本の風景はめまぐるしい変化を迎えていますが、寅次郎少年が過ごした「昭和の時代」の空気を味わうのも本書の楽しみ方のひとつです。
とくに寅さんの生まれ育った葛飾区柴又は、2019年9月現在でも下町風情の残る街。帝釈天のにぎやかな参道、人の行き交う商店街、江戸川の土手で虫取りや釣りをして遊ぶ子どもたち……。
のどかで活気にあふれた当時の雰囲気が、寅さんのいきいきとした語りから伝わるでしょう。一方で、過酷な戦争体験についても描かれています。
ひょうひょうとした話しぶりで、悲痛さは薄められているものの、出征した友人の父の死や食糧難、帰還した寅次郎の父・平造の憔悴ぶりなど、「忘れかけているけれど、たしかにあった」あの経験が、寅次郎少年の目を通して浮かびあがります。
しかし、そんななかでも、強くたくましく生きる人たちや、脈々と受け継がれる暮らし。それこそが、昭和という時代を象徴するものなのかもしれません。
寅さんのなかに、たしかに息づく「昭和の気配」。その特有の明るさと痛みは、きっと今の私たちの心にも、じわりと沁みるはずです。
ドタバタ劇の印象が強い『男はつらいよ』ですが、意外に複雑な背景もあります。
たとえば、寅さんがじつの母に捨てられ、父と育ての母に引き取られたことや、若くして亡くなった兄がいることなど。これらのエピソードは、ファンの間では有名な話ですが、一般的にはあまり知られていないでしょう。
寅さんの出生については、じつは映画でも多く語られてこなかった話題です。しかし、本作では育ての母・光子や父の人物像も詳細に語られるため、寅次郎少年と家族との関わりや、その心の内などもうかがい知ることができます。
また、和菓子店を営む寅さんの実家で、彼らを見守る存在である「おじさん・おばさん」。いつも和やかな2人の、知られざる悲しい過去も明かされています。
映画ファンにとっても、思いがけない事実が多いであろう本作。読んだ後には、寅さんという人物や『男はつらいよ』の世界に、より「深み」を感じることができるでしょう。
これから映画を観る人は、より楽しむために、本作で予習をしておくことをオススメします。喜劇の裏に隠されたストーリーを感じながら、ぜひ「寅さんワールド」に浸かってみてください。
『男はつらいよ』の寅さんを彷彿とさせる、さまざまなエピソードを交えながら、「寅さん語り」がはじめから終わりまで続きます。
やはりさすがは寅さん、最後まで飽きることはありません!なんといっても、寅さんは香具師。香具師とは的屋(テキ屋)、つまり露天商のことで、話のうまさが商売道具なのですから。
この仕事のきっかけとなった出会いも語られていますが、映画でお馴染みの……
「自棄のやんぱち日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯がたたないよ!」(『悪童 小説 寅次郎の告白』より引用)
などの名口上が登場するのも、ファンにとっては嬉しい限りです。
- 著者
- 山田 洋次
- 出版日
- 2018-09-07
生い立ちこそ複雑な寅次郎少年ですが、優しい母・光子や友人たち、厳しくも温かい先生との触れ合いを経て、やんちゃながらも心ある青年へと成長していきます。
最後は、お決まりで「家を飛び出す」寅さん。その動機となった父との関係も語られ、なんとも言えない切なさを残します。
『男はつらいよ』のエピソード・ゼロともいうべき小説。そしてここから、あの果てしない放浪の旅につながっていくのです……。ぜひ本作を一読してから、シリーズ作品や最新映画を観てくださいね。
あの「寅さん」を生み出した時代と、人々の営みがこの一冊に。よどみない語りが、どこまでも心地よく響きます。