海外文学を読む際に、翻訳の美しさや読みやすさを重視する方も多いでしょう。2015年に設立された「日本翻訳大賞」は、優れた日本語翻訳作品に贈られるものです。2015年に設立された比較的新しい賞ですが、受賞作はどれも面白いとお墨付き。この記事では、歴代受賞作のなかから特におすすめしたい作品を紹介していきます。
翻訳家の西崎憲がTwitter上で発案したことをきっかけに設立された「日本翻訳大賞」。2014年にクラウドファンディングで発起し、当初の目標額70万円を大幅に上回る338万円が集まったことで、翌2015年から開催されました。
選考の対象は、12月1日から翌年の12月末までに発表された、日本語に翻訳された新訳作品。小説や詩、エッセイ、評論などです。選考委員が翻訳した作品は除外されます。
1次選考はWeb上で一般の推薦を募っているので、読者にとって身近な賞だといえるでしょう。
パリの万博、2つの世界大戦、共産主義……20世紀のヨーロッパの歴史を綴った作品です。
よくある歴史書とは異なり、書かれている内容は時系列に並んでいません。作者独自のユーモラスな視点がふんだんに組み込まれていて、一見でたらめに見えるのですが、読み進めていくとそこに大きな意図があることに気付くでしょう。
- 著者
- パトリク オウジェドニーク
- 出版日
- 2014-08-21
2015年に「日本翻訳大賞」を受賞したパトリク・オウジェドニークの作品です。翻訳は阿部賢一と篠原琢が、それぞれの専門分野である文学と歴史に分かれて担当しています。読みやすい日本語でトーンも統一されているため、2人が担当していると感じさせないほど、違和感なく読み進めることができるでしょう。
本書で語られるのは、歴史上の出来事だけでなく、思想や哲学、文化や常識など多岐にわたります。それらが時系列や場所を飛び越えながら語れるさまは、一種の催眠術のよう。また、時折同じ事象について異なる視点から語られることがあるのですが、それが奇妙なリフレインとなって読者の心に痕を残していくのです。
パトリク・オウジェドニークは、チェコ出身だそうで、幼少期にフランスに亡命しています。国そのものの存続が危うく、常にマイノリティであったチェコ人だからこそ書けるものがあるのかもしれません。「歴史」とは一体何なのかを考えさせられる作品です。
1930年代に起きた「スペイン内戦」。右派のフランコ反乱軍が、バスク州にあるビルバオを襲撃しました。ビルバオ政府は子どもたちを国外へ疎開させます。
カルメンチュという8歳の少女は、ベルギーの西北部にあるとヘントで暮らすムシェ一家のもとへ引き取られました。彼らは深い絆で結ばれますが、第二次世界大戦が始まると、カルメンチュは再び故郷へと戻るのです。
- 著者
- キルメン・ウリベ
- 出版日
- 2015-10-17
2016年に「日本翻訳大賞」を受賞したキルメン・ウリベの作品。ウリベはスペインのバスク州出身です。バスク人はその歴史的系統が明らかになっておらず、「謎の民族」と呼ばれることもある少数言語民族。翻訳者の金子奈美は、バスク語から直接日本語に訳したそうです。
カルメンチュが故郷へ戻った後、ムシェはひとりの女性と結婚。娘にカルメンと名付けます。しかし反ナチ運動に参加したことから逮捕され、強制収容所に送還。その後の行方がわかりません。今度は娘のカルメンが、父親の足跡を辿り始めるのですが……。
資料や取材をもとにしたリアリティのある歴史的な記述と、作者の想像をもとにした小説的な記述が入り混じり、登場人物の想いを追体験できる戦争文学。教科書には乗らない名もなき人々が生きていたことを感じられる作品です。
フランスのサン・マロという町で、幼い頃に視力を失ったマリーという少女が暮らしていました。かつて父が運営する博物館で見た「炎の海」という伝説の宝石を忘れることができず、まぶたの裏で思い描きながら成長します。
一方のドイツには、とある少年が妹と孤児院で暮らしていました。その技術を見込まれ、ナチスの兵士になります。
まもなくサン・マロは、ドイツ軍の占領下に。ナチスの高官は、博物館の宝石を狙って父娘を追うのです。
- 著者
- アンソニー ドーア
- 出版日
- 2016-08-26
2017年に「日本翻訳大賞」を受賞したアンソニー・ドーアの作品です。翻訳を担当したのは、英文学者の藤井光。彼が2012年に翻訳した『タイガーズ・ワイフ』は、「本屋大賞」を受賞しています。
本作は、フランスの盲目の少女と、ナチス軍の少年の物語が交互に描かれる構成です。作者のアンソニー・ドーアはデビュー作の短編集で一躍有名になった人物で、それゆえかひとつひとつの物語が緻密に練られ、やがて2人が巡り合うシーンの美しさは圧巻。さらに藤井光の翻訳が、詩的な要素を高めています。
幼い少年少女が戦争に翻弄される悲しい物語ではありますが、彼らが美しいものや優しいものを愛していること、そんな彼らを作者があたたかい目線で見ていることがわかり、切なく心に残る物語になっています。
田舎で暮らす主人公のキム・ビョンスは、幼い頃に父親から虐待を受けていて、父親を殺害したことをきっかけに連続殺人犯となってしまいました。
それから20数年が経ち、いまは獣医として、そしてひとりの娘の父親として暮らしています。
やがてアルツハイマー病を患い、記憶が曖昧になっていくビョンス。ある日、若い女性を対象とした連続殺人事件が発生すると、彼は自分が犯人なのではないかと疑い始めるのです。
- 著者
- キム ヨンハ
- 出版日
- 2017-10-30
2018年に「日本翻訳大賞」を受賞したキム・ヨンハの作品です。アルツハイマー病を患ったビョンスの独白形式で物語が進んでいくので、読者は何が真実で何が彼の妄想なのかがわからず、ハラハラしながら読み進めることになります。
ある日ビョンスは、たまたま出会った男に自分と同じ殺人犯の臭いを感じとり、しかも自分の娘が狙われていると思い込んで、彼を殺そうと試みるのです。
虚実さまよう物語は、ラストまで読んでも一体何が真実なのか、読者に明言はしてくれません。新しい感覚のミステリー小説を堪能してください。
主人公は、小学校に通うJR・ヴァンサントという少年。まだ11歳ですが、お金に興味深々。ある時、フォークの転売で大金を得ることに成功し、彼のビジネスは幕を開きます。
友人とともに投資を始め、その後は1株だけもっていた企業を株主として訴訟、潰れかけの紡績会社を買収……とまるで「わらしべ長者」のように資金を増やしていくのです。
グループ会社を作って事業を展開し、ついに株式市場へ参入。しかし巨大になりすぎたJR社は、少年の手には負えなくなっていきます。
- 著者
- ウィリアム・ギャディス
- 出版日
- 2018-12-21
2019年に「日本翻訳大賞」を受賞したウィリアム・ギャディスの作品です。本文は2段組で900ページ以上というかなりのボリューム。そのほとんどが登場人物のセリフで占められています。それらはカギ括弧でくくられるのではなく、「――」の後に書かれているので、翻訳を担当した木原善彦は「ト書きのない戯曲」と評していました。
少年がアメリカ経済、ひいては世界を動かすことになる壮大な物語。しかし堅苦しくはなく、ギャグやコメディ要素がふんだんに盛り込まれたつくりになっています。アメリカでは「全米図書賞」も受賞したエンタメ作品、ぜひ読んでみてください。