1980年代中頃から1990年代初頭にかけて発生した「バブル経済」。日本企業の海外進出が盛んになり、雇用や賃金も拡大。人々の生活は大きく変わりました。しかしバブル経済が崩壊した痛手は、約30年が経過した現在にまでおよんでいるのです。この記事では、当時の生活や崩壊の原因、影響などについてわかりやすく解説していきます。
投機によって株価や地価が異常に上昇し、実体経済とかけはなれた経済状況になることを「バブル経済」といいます。日本では1980年代中頃から1990年代初頭にかけて発生しました。
「バブル経済」が始まるきっかけになったのは、1985年にアメリカ、日本、イギリス、フランス、西ドイツのG5が発表した「プラザ合意」というもの。いきすぎたドル高を是正するために、先進5ヶ国が外国為替市場に協調介入することが決められました。
当時のアメリカは、対日貿易をはじめ多くの国との貿易が赤字の状況。ドルの価値は下がり、相場が不安定になります。1970年代に起きた「ドルショック」の再来を恐れた各国は、ドルを救済するために「プラザ合意」を発表したのです。
その結果、1ドル=240円前後で推移していた為替が円高に転じ、1年後の1986年には1ドル=160円前後まで上昇。日本では「円高不況」が生じました。
これを打開しようと、政府は公共事業を拡大し、日銀も内需拡大政策を実施。急激な円高を避けるためにドルを買って円を売る市場介入を実施したところ、日本国内の通貨供給量が大幅に上昇したのです。過剰となった通貨が株式や不動産への投資に用いられ、買い注文の殺到により株価や地価が高騰、「バブル経済」が生じることになりました。
各企業が保有した株式や不動産の価格は、「バブル経済」の期間中上昇を続け、企業の資産価値も上がり続けました。賃金や雇用にも好影響をもたらし、一般の人々もその恩恵を受けるようになります。
求人倍率は常に2倍以上で推移。就職戦線は圧倒的な売り手市場で、面接を受けるために上京した人には交通費を支給したり、内定者を他の企業にとられないように無料で海外旅行に招待したりしたそうです。賃金も上昇し、高級腕時計や高級外車を保有する人が増えました。
また円高ドル安をうけて日本企業による買収も活性化。1987年には当時の安田火災がゴッホの「ひまわり」を約58億円で落札したほか、1989年にはニューヨークのマンハッタンの中心街にあるロックフェラー・センターをはじめとする高層ビル群が、三菱地所に買収されました。
さらに1987年に「リゾート法」が制定され、スキー場をはじめとするリゾート事業が急激に拡大。狂乱的なブームを巻き起こしたそうです。
ところが地価の高騰は、土地をめぐるトラブルを増やすことにもなりました。多くの企業や銀行が地域の再開発に取り組むなかで、地元住民との対立が生じます。すると企業は地上げ屋に「協力」を依頼して、反対する住民を強制的に立ち退かせようとしたそうです。地上げ屋と企業の癒着は社会問題となり、1991年に「暴力団対策法」が制定されました。
「バブル経済」が進むなかで、日本社会には「土地神話」と呼ばれる、「これからも地価は上がり続ける」という誤った認識が広まっていきます。各企業は本業への投資よりも、「財テク」と呼ばれるハイリスク・ハイリターンの資産運用や、投機的な土地の取引にのめり込むようになりました。
その結果、株価や地価の高騰に拍車がかかり、日経平均株価は1985年12月の時点で1万1千円台だったところ、1989年12月には3万8900円に達しています。1989年の『経済白書』には、地価の高騰について「戦後の歴史を振り返っても、最も大規模かつ深刻なもののひとつ」と記されるほどでした。
投機的な資金の投入は過剰投資につながり、いつしか実体経済との乖離が後戻りできないほどになっていったのです。
政府は、土地投機の抑制や金融引き締めを実施せざるを得なくなりました。1989年、日銀は公定歩合の引き上げに踏み切り、1990年には大蔵省が「不動産融資総量規制」を実施しています。
しかし、これら諸政策によって「土地神話」が崩壊すると、人々は一転して土地や株を手放しました。買い手がつかないため地価も株価も大暴落。バブル崩壊に繋がっていくのです。
1989年に3万8900円に達した日経平均は、1992年には1万6924円となり、実に56.5%も下落しています。地価も同様に暴落し、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸という六大都市の地価は1990年を100とした場合、平均して54.7まで下落してしまいました。
投機的な土地購入をしていた金融機関は大量の不良債権を抱え、銀行の「貸し渋り」は企業の設備投資を減少させます。人々の所得は減り、個人消費も冷え込んで、深刻な不況を招くことになりました。これを「平成不況」といいます。
雇用にも悪影響をおよぼし、「バブル経済」期間中に過剰に増えた人件費を圧縮するため、軒並み新規採用を抑制。大企業でもリストラがおこなわれました。また求人倍率も急速に低下し、「就職氷河期」と呼ばれる就職難が発生します。
企業も個人も深刻なダメージを負った結果、その後の日本経済は長期的な低迷期を迎えることとなりました。たとえば日本の名目GDPを見てみると、1992年の名目GDPは480兆円、2002年の名目GDPは498兆円でほとんど増加していないことがわかります。このような「バブル経済」が弾けた後の経済は、「失われた10年」と呼ばれました。
その後2000年頃から徐々に企業収益は改善され、2002年から2007年までゆるやかな景気拡大が続きます。しかし所得格差や正規・非正規雇用者間の賃金格差、都市と地方の地域格差は拡大。成長率も低かったため、この経済成長は実感をともなっていないと指摘する人もいます。
2008年にはアメリカで「リーマンショック」が発生。回復途上だった日本経済も深刻なダメージを受けて、再び景気は後退しました。
2010年代になっても、「東日本大震災」や少子高齢化にともなう人口減少の影響もあり、日本の国際経済における立ち位置は低下を続けています。このままでは「失われた30年」になると指摘する専門家もいて、「バブル経済」が弾けた影響はいまだに残っているといえるでしょう。
- 著者
- 永野 健二
- 出版日
- 2019-04-26
長年にわたって「日本経済新聞」の記者を務め、「バブル経済」当時もさまざまなスクープを報じた永野健二の作品です。彼が当時取材した内容をもとに、バブル発生から崩壊までの全体像を描き、なぜ「バブル経済」が生じることになったのか、そこから何を学ぶことができるのか検証しています。
本書の特徴は、ただ「バブル経済」だけを検証するのではなく、その前後にも目を配り、日本経済の構造的な問題にまで言及していること。高度経済成長期の成功がバブル経済に与えた悪影響、アベノミクスとバブル前後の共通点など、その視野は広く、興味深いでしょう。
- 著者
- 板谷 敏彦
- 出版日
- 2013-05-24
バブル経済は、日本だけの出来事ではありません。歴史を振り返ってみると、時代や地域を問わずさまざまな場所で同じような現象がくり返されてきたことがわかります。
本書は、シュメール人が登場する古代文明から現代までの、世界各地の金融関係のエピソードを紹介し、金融制度の発達やその特徴を解説したものです。
時代や地域が異なるのにも関わらず、人々が目指した理想や行動様式には、ある種の共通点が見受けられます。日本のバブル経済に関しても、世界の動きと比較することでより理解を深めることができるでしょう。