倒叙ミステリーは、テレビドラマ「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」でも使用される、ミステリーの手法です。その醍醐味は、なんといっても犯人と探偵役の心理戦。この記事では、スリリングな魅力のある、日本と海外の名作といわれている小説を紹介していきます。
ミステリーの技法のひとつである「倒叙ミステリー」をご存知でしょうか。
通常のミステリーは、事件が発生し、警察や探偵が地道な捜査と推理を重ねて真犯人を突き止めるという流れで物語が進んでいきます。
一方の倒叙ミステリーは、最初から犯人が明らかになったうえで事件を計画し、実行していくのです。通常のミステリーと物語の進み方が逆なことから「倒叙」と呼ばれています。
基本的には犯人の目線でストーリーが進行していくため、読者が犯人側に感情移入をしてしまうのが特徴。逃げ切ってほしいという気持ちと、とはいえ悪いことをしたのだから正義の鉄槌を下してほしいという気持ちが入り混じり、物語の世界に没頭してしまうのです。
専業主婦をしている恭子は、両親が残してくれた遺産のおかげで何不自由ない生活をしていました。しかし、夫が出張中のある日、夫の不倫相手だという女から電話が入り、「子どもができたから別れてほしい」と告げられるのです。
子宝に恵まれないことに悩んでいた恭子にとって、愛人の存在と妊娠の発覚はどうしても許せないこと。密かに殺害する計画を立て、愛人の女を毒殺します。
- 著者
- 天野 節子
- 出版日
- 2008-06-01
2006年に自費出版され、2007年に単行本化された天野節子の倒叙ミステリー小説です。60歳のデビューという点でも注目を集め、35万部を超えるベストセラーになりました。
この殺人事件はニュースにはなりましたが、被害者が妊娠していたことは一切報道されません。恭子はしだいに、自分が殺した女が本当に夫の愛人だったのか、疑問を抱き始めるのです。
プライドが高く鼻持ちならない彼女ですが、不妊の悩みを抱える女性の心理が生々しく描かれており、心の闇が膨らんでセレブ妻から悪女へと変貌していく姿に、好奇心を駆り立てられる倒叙ミステリーだといえるでしょう。
一方で、ベテラン刑事の戸田も、恭子のことを執拗に追います。一体どのように決着がつくのでしょうか。
高校で数学の教師をしている石神は、アパートの隣に住むシングルマザーの靖子に想いを寄せています。しかし、弁当屋で働きながら娘の美里を育てる靖子にとっては、石神はただの隣人でしかありません。
ところがある日、靖子の前夫である富樫が、彼女たちの居場所を突き止めて金を無心し始めるように。靖子と美里は、恐喝と暴力に耐えかねてついに富樫を殺害してしまいました。
そして石神は、2人を守るために完全犯罪を企てるのです。
- 著者
- 東野 圭吾
- 出版日
- 2008-08-05
2005年に刊行された東野圭吾の作品。「ガリレオ」シリーズの第3弾です。2006年に「直木賞」と「本格ミステリ大賞」を受賞し、累計発行部数220万部を超える大ベストセラーになりました。
今回は、殺人を犯してしまってから完全犯罪を企てるという倒叙ミステリー。かつて数学の天才といわれていた石神のアリバイ工作は完璧のように思えます。
しかし、石神の大学の同期で親友、そして物理学者でもある湯川が謎解きに乗り出してから、状況が変わってくるのです。
靖子を助けたい一心で動く石神には鬼気迫るものがあり、「献身」という言葉だけでは表現仕切れない深い想いを感じることができるでしょう。さらに湯川が天才ぶりを発揮してようやく解明するトリックは、まさに驚愕の一言。期待を裏切らないどんでん返しを楽しめる作品です。
主人公の秀一は、名門高校に通う17歳の少年です。女手ひとつで家計を支える優しい母親と、明るく素直な妹の3人で暮らしています。
しかしある時から、母親の元夫で秀一たちの養父でもある曾根が突然居候を始め、家庭はたちまち崩壊。金品をせびり、母親だけでなく妹にも乱暴を働こうとしていますが、警察はあてにできません。
秀一の激しい怒りは、静かな青い炎に変容し、心の中で燃えさかります。
- 著者
- 貴志 祐介
- 出版日
- 2002-10-25
1999年に刊行された貴志祐介の作品です。2003年には映画化もされています。
家族を守るために曽根の殺害を決意し、完全犯罪を計画する秀一を軸にした倒叙ミステリーです。しかし、賢くて優しいがゆえに実行された殺人には、17歳という未熟さの落とし穴がありました。
そして1度燃え始めた青い炎は、曾根を殺害しただけでは収まらず、事件の真相に気づいたクラスメートに延焼していき、ついには彼自身をも焼き尽くしていきます。秀一の切ない心理描写に比重が置かれていて、ミステリーなのに感動の涙を流せる作品。読後も心に余韻が残る一冊です。
深夜の弁当工場で働く4人の主婦たちは、それぞれが事情を抱えながら、低賃金のきつい労働に耐えています。
家庭内別居中の夫と引きこもりの息子と暮らしている雅子は、姑の介護生活に疲れたヨシエ、愚鈍な邦子、自堕落な夫に苦しむ弥生という仲間に支えられながら、かろうじて生きている状態でした。
しかし、ある日弥生が夫を衝動的に殺害。4人は隠蔽工作を企てます。
- 著者
- 桐野 夏生
- 出版日
- 2002-06-14
1997年に刊行された桐野夏生の作品。「日本推理作家協会賞」を受賞しています。
パート仲間が犯した事件を主婦たちが隠蔽するという倒叙ミステリーです。死体を自宅に持ち帰った雅子。ヨシエと邦子を巻き込んでバラバラにし、生ゴミとして遺棄します。ところが死体の一部が見つかってしまい、彼女たちの周辺を警察がうろつくようになりました。
さらに容疑者として拘留された前科持ちの佐竹にまで目をつけられ、死体解体という闇仕事を押し付けられるようになるのです。
本作の特徴は、「神視点」とも呼ばれる三人称多元視点を用いているところ。物語自体は三人称で外側から見守りつつ、全員の心情を把握して描いています。4人の女性、佐竹、警察それぞれの考えていることがわかるのが魅力的。凄惨で息苦しい描写もありますが、人間が抱えている恐怖や閉塞感をリアルに感じられる作品だといえるでしょう。
イコマ電子工業の生駒社長は、会社を再建するために必要な5000万円をようやく工面したところ、息子を誘拐されてしまいます。5000万円は身代金として奪われ、会社は大手リカード社に吸収合併されました。生駒は失意のまま、1冊の手記を残して8年後に病死します。
それから20年後、息子の慎吾はリカードに入社します。父親の手記を読んで誘拐事件の真相を知り、復讐のためにハイテクを駆使した完全犯罪を企てるのです。
- 著者
- 岡嶋 二人
- 出版日
- 2004-06-15
1988年に刊行された岡嶋二人の作品。「吉川英治文学新人賞」を受賞しています。
慎吾は、パソコンやトランシーバーなど執筆当時にハイテクと呼ばれていた機器を使って、リカード社の社長の息子を誘拐。緻密に計画をたて、冷静に、そして着実に犯罪を遂行していきます。手に汗握る心理戦も秀逸な、ゲーム性の高いミステリーだといえるでしょう。
しかし、父親の復讐のためだけの犯罪は、どこか切なさを感じるもの。倒叙ミステリーに欠かせない、主人公である犯人に対する思い入れを強く感じてしまう作品です。
若き経営者のチャールズ・スウィンバーンは、世界恐慌の波に飲み込まれていました。会社は倒産寸前です。富豪である叔父に助けを求めてみるも、とりあってもらえません。
そこでチャールズは、叔父を殺害し、遺産を受け取って会社と従業員を救う計画をたてるのです。
- 著者
- F・W・クロフツ
- 出版日
- 2019-02-20
1934年にイギリスで刊行された、フリーマン・ウィルス・クロフツの長編小説。本作は、フランシス・アイルズの『殺意』、リチャード・ハルの『伯母殺人事件』とともに倒叙ミステリーの3大傑作と呼ばれています。
殺害計画を練りながら、知的興奮に酔い始めるチャールズ。犯罪を成し遂げると、心の中で快哉を叫びます。しかしフレンチ警部が登場すると、状況は一転。追い詰められていくチャールズの心の浮き沈みを、細部に至るまで存分に味わうことができるでしょう。
ラストの法廷シーンは、怒涛の展開で圧巻の面白さ。古典ミステリー好きにもおすすめの一冊です。