ロリータとヤンキーの女の子が繰り広げるギャグぶっちぎりの青春ストーリー『下妻物語―ヤンキーちゃんとロリータちゃん』の映画化によって世に知られるようになった、作家の嶽本野ばら。彼の作品に登場する人物たちは、性別問わず乙女でハードボイルド(固ゆで卵主義)。そして、繊細な言葉の糸で紡ぎあげられた数々の作品は、「へこたれない」強さへと導いてくれる《アリアドネの糸》のようです。今回は最も知られている『下妻物語』以外で、彼の根底にある「へこたれなさ」を感じさせる4冊(乙女でなくても必読!)をご紹介します。
処女小説集『ミシン』は、元ライターの雑貨店主と、心に病を持ち顔に大きな痣がある少女が運命的に出逢い、逃避行へと旅立つ名作「世界の終わりという名の雑貨店」、そして、MILKの洋服を華麗に着こなす死怒靡瀉酢(シドヴィシャス)のヴォーカリスト・ミシンと、彼女に恋をした少女の生きざまを強烈に描いた表題作「ミシン」の2作が収録されています。
野ばら作品の多くには、具体的なファッションブランド、音楽、文学、絵画といったものが重要なエレメントとして登場します。「世界の〜」では、イギリスのファッションブランドVivienne Westwood、「ミシン」では日本のファッションブランドMILKと吉屋信子の少女小説『花物語』が主にその役割を担っています。
- 著者
- 嶽本 野ばら
- 出版日
この本で「へこたれなさ」を体現しているのは、「ミシン」の主人公である「私」です。アイドルの話や男のコの噂話なんかに講じるより、尾崎翠や森茉莉の文学作品、バッハのフーガやシューベルトの歌曲、中原淳一や高畠華宵の挿絵に胸を躍らせる「私」。吉屋信子の『花物語』に心奪われ、エスの関係になれる誰かと出逢うことを夢見る「私」は、ある日たまたまつけたテレビの音楽番組に出ていた死怒靡瀉酢(シドヴィシャス)のヴォーカリスト・ミシンに一目惚れします。そして、彼女の出ている雑誌や彼女の好きなブランドMILKを買い漁り、少しでもミシンに近づこうとしていきます。しかし、ファンとスターという関係性では、憧れのミシンとの距離は縮まらない。そこで「私」が決意したのは「執念の鬼」になることでした。
"結局、私は一心に貴方と何時か共にあれますようにと祈るということしかないのだと思いました。今のままではファンとスター、その間は縮まらない。道理を引っ込ませるためには、生半可な努力をしたって叶わない。私は執念の鬼になろうと決めました。"(100ページ)
その執念は実を結び、不慮の事故で亡くなったギタリストの代わりを探すオーディションで見事その座を射止めるのです(「私」は全くのギター未経験者!なんて破天荒!)。そして「私」の執念は留まることを知らず…。
どちらもエロスとタナトス(生と死)が根底にある濃密な内容なのですが、実は2作併せても約130ページ程度。なので、野ばら初心者はまず『ミシン』を読んでみることをおすすめします。
18世紀にヨーロッパの主要都市に数多く開設されるようになったカフェーは、飲み物や食事をする場としての機能のみならず、さまざまな階級の社交の場、文化人の文化的空間、そして政治的ネットワークの拠点としても機能するようになり、近代の成立に不可欠の空間でした。
そんなヨーロッパの近代文化を取り入れた日本のカフェーは、西洋文化を五感で楽しむスペクタクル空間であり、昭和に入ると店主の個性を反映した独特の喫茶店文化が登場していきました。そんな時代に迎合しない実際にあるカフェー(喫茶店)を12店厳選し、各カフェーが持つ美学を12作の物語にしたものがこの『カフェー小品集』です。
- 著者
- 嶽本 野ばら
- 出版日
各々が魅力的な「へこたれなさ」を描いているのですが、今回は(一度改装工事をしたものの)現存しているカフェーを舞台にした「素人仕事の贅沢」を紹介します。
なかなか人を上手に愛することができない「僕」は、自分の駄目さ加減に愛想を尽かせた時に鎌倉にあるミルクホールというカフェーに赴きます。ある日、ミルクホールにやってきた「僕」は、オーナーと初老の紳士の会話を耳にします。当初骨董屋としてお店を出そうとしていたけれど、それではお客の数が知れているということでカフェーも一緒に開くことを決意。民家を改装して作ったこのお店は、すべてオーナーと友人の手作り。まさに素人仕事でした。
「私は素人だからこそ出来る嘘のない仕事の贅沢さを大切にしたいんです」(120ページ)というオーナーの言葉に胸を打たれた「僕」は、ある決意をします。
残念ながら閉店を余儀なくされてしまったカフェーが大多数となってしまったのですが、できることならその場に赴いて読むことをおすすめします。もしくは珈琲を片手に。
謎めいた男性に恋をしてしまった女性の絵画芸術を軸とした「レディメイド」、厭世的でとあることをきっかけに自殺を考えている男性と、自分に自信が持てない病院の受付嬢のファッションを軸にした「コルセット」、そしてロリータの女の子と男性しか好きになれない男の子が出逢い、奇妙な絆を深めていく「エミリー」の3作が収録されている『エミリー』。
当時、中学2年生だった私が野ばら作品に触れた最初の本です(もうボロボロになるくらい読んでいます)。特に三島由紀夫賞候補となった「エミリー」は、野ばら作品のなかでもトップ3に入るレベルの「へこたれなさ」が描かれています。
- 著者
- 嶽本 野ばら
- 出版日
- 2005-05-20
ひょんなことから学校でいじめられ、ひとりぼっちを選択せざるを得なかった「私(エミリー)」は、日本のファッションブランドEmily Temple cuteを身に纏ってラフォーレ原宿のエントランス前にある小さなスペースでしゃがみこみ続ける日々を過ごしていました。ある日、華奢な体躯にSUPER LOVERSを身に纏った「貴方」と知り合い、奇妙な関係を深めていきます。そして、「貴方」の壮絶な過去を知ったことで、2人の歯車は軋み合いつつもますます噛み合っていくようになり…。
「私(エミリー)」は彼女なりのお洋服への畏怖の念を持っています。どんなに理不尽なことが起きてもEmily Temple cuteのお洋服を着ることによって、そのような事柄を無化しています。
「決してEmily Temple cuteのお洋服に私は逃避をしている訳ではありません。もしそれが逃避ならば、私は何て痛ましく哀れな人間でしょう。私は現実逃避の為にEmily Temple cuteのお洋服を用いません。そんなことに使用するのは、Emily Temple cuteのお洋服に対して失礼だからです。」(146-147ページ)
野ばら作品の多くには、具体的なファッションブランド、音楽、文学、絵画といったものが重要なエレメントとして登場することを前述しましたが、それらは各作品の登場人物の「へこたれなさ」に大きく関わってくるものたちなのです。何か一つでも自分の矜持を持てたならば、それが「へこたれない」マインドを強固なものにするのです。
少年・少女の性と生の揺らぎを詳らかに描いた『エミリー』は、他の2冊よりもちょっぴり刺激が強いので入門書のなかの最上位にしておきますね。
「私ね、後、一週間で死んじゃうの」(1ページ)というセリフから始まる『ハピネス』。
病気の進行によって命のタイムリミットを知った彼女は、やり残したことがないように今まで手を出せなかった日本のファッションブランドInnocent Worldのお洋服を身に纏い、自分らしく生きることを決意。そして、突然のカミングアウトに心がついていかないなりにも、彼女らしさを守ろうと奔走する「僕」の数日間のお話。
- 著者
- 嶽本 野ばら
- 出版日
- 2006-07-14
この作品に関しては敢えてこれ以上何も書きません。読んでください。悲しみと幸せが隣り合わせであることを痛いほど気付かされる作品です。
私は彼の作品に触れるようになってもうすぐ12年目になろうとしています。彼の作品で、言葉の力で「狂」わされた読者の一人です。しかし、大麻所持(2007)・麻薬所持(2015)により懲役8月、執行猶予3年の有罪判決を受けることとなったように、彼自身は不自然に自らを狂わせる道具に手を染めてしまいました。どれだけ長年の読者とはいえ、私は彼の罪を肯定するつもりはありません。やはり許されるものではありませんからね。
そんななか、彼は先日ブログにこう綴っていました。
“自身を再生させる自信が充分ないままに、人に納得して貰える文章なぞ書けはしません。待っていて下さるでしょうか?どうか待っていて下さい。必ず、思った以上のものを携え、私はまた貴方の前に現れます。”(『嶽本野ばらです。ご迷惑ご心配おかけしました。』 http://amba.to/1IgUIUq )
彼自身の「へこたれなさ」を信じ、また《アリアドネの糸》のような文章を紡いでくれる日がやってくることを、いちファンとして切に願っております。
ひらめきを生む本
書店員をはじめ、さまざまな本好きのコンシェルジュに、「ひらめき」というお題で本を紹介していただきます。