ヨーロッパではロシアに次ぐ国土面積を有しているウクライナ。歴史の大半はどこかの国の支配下にあり、現代でもクリミア問題などを抱えています。この記事では、古代から現代までの歴史の流れをわかりやすく解説していきます。
東ヨーロッパにあるウクライナ。東にロシア、西にポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシと隣接していて、南には黒海を挟んでトルコが位置しています。
国土面積は約60万平方キロメートル。人口は2017年時点で約4400万人です。国土の大半が肥沃な平原、高原地帯に覆われています。山岳地帯は南部のクリミア山脈、西部のカルパティア山脈しかありません。そのため古くから農業が盛んで、紀元前6000年頃の東ヨーロッパ最古の農耕集落遺跡がウクライナから発見されています。
1700年以降は「ヨーロッパの穀倉地帯」と呼ばれ、また天然資源が豊富で重化学工業が発展したため、ソ連時代には「ソ連最大の工業地帯」といわれていました。
ただ国土が平たんなので、特に東側からの異民族の侵入に脆弱です。古代からさまざまな民族による支配を受けていて、歴史のなかで混血がすすんだことが、「世界一美女の多い国」といわれる理由のひとつになっています。
ウクライナにまつわる最古の記録は、古代ギリシアの詩人ホメロスが記した『オデュッセイア』にあります。ここに書かれている「キンメリア人」は、牧畜をしながら鉄の生産技術を発展させていた民族。紀元前8世紀から紀元前7世紀にかけて小アジアに侵攻し、やがて東からやってきたイラン系遊牧民族のスキタイ人に敗れました。
紀元前3世紀にはサルマティア人、3世紀には東ゴート族、4世紀から5世紀にフン族、6世紀にアヴァール族が支配者となり、8世紀にはハザール・ハン国が支配します。
同じ頃、ルーシという国が誕生し、キエフを首都としました。キエフは882年にバイキングの手に落ち、キエフ大公国を統治したリューリク朝の都になります。キエフ大公国は周辺民族を征服し、11世紀には約150万平方キロメートルの国土を誇る、ヨーロッパ最大の国へと成長しました。しかし13世紀にモンゴル帝国の侵攻を受け、滅亡します。ちなみにキエフ大公国がキリスト教を国教と定めたため、現在のウクライナにもキリスト教文化が根付いているそうです。
その後は、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国が台頭。ポーランド、マゾヴィア、ハンガリー、ドイツ騎士団と盟約を交わしました。モンゴル帝国のジョチ・ウルスと交戦し、1245年に敗北して服属を余儀なくされます。
1340年に王統が途絶えると、隣国のポーランドとリトアニアが相続権を主張。戦いの結果、北部・中部はリトアニア、西部はポーランドと分割支配されることになりました。国境地帯はどこの国にも所属せず、「荒野」と呼ばれます。
またクリミア半島は、クリミア・ハン国と後にロシアとなるモスクワ大公国に支配されました。
15世紀後半、権力の空白地域となっていた「荒野」で、武装した人々が共同体を作ります。彼らは「コサック」と呼ばれ、ポーランドとリトアニアの臣下でありながら国王の支配を受けず、軍人の特権と自治制を有する特殊な集団でした。
ポーランドやリトアニアの傭兵としてさまざまな戦争に参加し、また自らも隣国のモルドバ、クリミア、ロシア、オスマン帝国を攻撃するなどして、勢力を拡大していきます。1648年には、首領のボフダン・フメリニツキーが中心となって反乱を起こし、独立を果たしました。
しかしその後は内乱状態に陥り、その隙を見てロシアが介入してきます。結果的に、ドニプロ川を境にポーランド・リトアニアの支配下に置かれる「右岸ウクライナ」と、ロシアの支配下に置かれる「左岸ウクライナ」、そして下流の「ザポロージャ」の3つに分裂することになりました。
その後、「ロシア・ポーランド戦争」を経て1689年に「永遠平和条約」が締結。ロシアとポーランドでウクライナを分割すること、ザポロージャはロシアが統治権を得ることなどが定められます。
ロシアの支配下でコサックの自治権は徐々に奪われ、ウクライナ語はロシア語の「方言」として扱われるようになりました。1863年には、ウクライナ語の書物の出版や流通が禁止されます。コサックはロシア軍に編入され、「日ロ戦争」にも参加しました。
「第一次世界大戦」が勃発すると、ウクライナの西部は激戦地になります。1917年にロシア帝国が崩壊すると、ウクライナは独立を目指して立ち上がりますが、ウクライナ人民共和国軍、ソビエト赤軍、ロシア帝政派の白軍、白軍を支援するフランス軍、イギリス軍、ポーランド軍、無政府主義者の黒軍、ゲリラ主体の緑軍などが入り乱れる内戦状態になりました。
1920年にソビエトの勝利で内戦が終息し、ウクライナ社会主義共和国が成立。1922年には、ロシア、ベラルーシ、ザカフカースとともにソビエト連邦を結成しました。
ソ連下のウクライナでは厳しい弾圧政策がおこなわれ、多くの政治家、知識人、文化人などが逮捕されています。また農業の集団化などの失政によって2度の大飢饉にも見舞われ、400万人から1000万人が亡くなったそうです。
ウクライナは「第二次世界大戦」時も独ソ戦の激戦地となり、800万人から1400万人もの被害者を出しました。これは当時の人口のおよそ2割におよぶ人数です。戦後は国際連合加盟国として総会に議席をもちますが、「ソ連の一部」という扱いから脱することはできません。
また1986年には「チェルノブイリ原発事故」という悲劇にも見舞われました。
1985年にソ連の最高指導者に就任したミハイル・ゴルバチョフの政権下で「ペレストロイカ」と呼ばれる改革がおこなわれるなか、ウクライナでは「ペレブドーヴァ」と呼ばれる運動が起こります。
長年ソ連政府から弾圧されてきたウクライナ語の解放を訴え、1989年9月、ウクライナ人文学者や作家を中心とする民族主義大衆組織「ペレストロイカのための人民運動」が結成されました。1990年3月には国会にあたる最高会議の議員選挙も実現し、彼らを中心とする民主派勢力が多数の議席を獲得します。
最高会議は7月に「主権宣言」を採択。ウクライナのさまざまな権利をソ連から取り戻すことを宣言し、8月24日に独立を宣言。12月に実施された国民投票で支持を受け、悲願の独立が達成されたのです。
しかし独立した後も、ウクライナにはクリミア半島という大きな問題が残っていました。クリミアは黒海の北岸に突き出した半島で、面積は約2万7000平方キロメートル。1443年から1783年までモンゴル帝国から独立したクリミア・ハン国の支配下にあり、1783年にロシア帝国に併合されました。
半島の先端にあるセヴァストポリには要塞が築かれてロシア海軍の拠点とされ、1853年から1856年に起こった「クリミア戦争」では主戦場になりました。
1991年にソ連からウクライナが独立すると、クリミアは「クリミア自治共和国」と「セヴァストポリ特別市」としてウクライナに帰属します。しかし半島の住人の半数以上がロシア人だったことから、ロシアへの帰属を求める声が高まるのです。ただこの動きを後ろ盾していたロシアが手を引いたために、クリミアの独立運動は一時沈静化しました。
クリミア問題が再燃したのは、2014年のこと。2月18日に首都キエフで「ウクライナ騒乱」といわれる運動が起こります。当時大統領だった親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチに対して、親EU派が抗議をし、ヤヌコーヴィチはクリミア半島に亡命します。
2月27日、クリミア半島で親ロシア派の武装勢力が蜂起。数日で議会、空軍基地、空港などを占領しました。3月2日にはウクライナ海軍が投降し、ロシアに本部を明け渡します。翌日からロシアは、「ロシア系住民の保護」を理由に軍を投入。3月16日には「ロシア編入の是非を問う住民投票」が実施され、96%を超える賛成多数で可決。翌3月17日にクリミアはウクライナから独立し、ロシア編入を宣言しました。
ただウクライナは、ロシアへの編入は憲法違反だと主張。現在の状況を「占領」だとし、他国も巻き込んで係争状態が続いています。
親ロシア派勢力による武装蜂起はクリミア半島だけでなく、同じくロシア系住民が多く暮らしている東部のドンバス地方にも飛び火しました。これは「ウクライナ東部紛争」と呼ばれています。
ウクライナ側はロシアとの「戦争」とみなしていて、一方のロシア側はウクライナの「内戦」という立場をとっています。双方とも宣戦布告はしていません。
ドンバス地方で武装蜂起した親ロシア派勢力は、ウクライナからの独立を宣言。「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」を名乗り、共同で「ノヴォロシア人民共和国連邦」を構成します。クリミア同様ロシアへの編入を求めましたが、ロシアはこれを認めませんでした。国連からも、国家として承認されていません。
ただ数千人規模といわれる軍の維持は、親ロシア派勢力だけで賄いきれるものではなく、非公式にロシアが援助しているものと考えられています。
これに対し、アメリカやEU加盟国はロシアへ経済制裁を発動した一方、外交の交渉は継続。2015年2月にはドイツとフランスが仲介して「ミンスク合意」が結ばれ、停戦が実現しました。ただその後もたびたび紛争が勃発している様子。これまでに1万3000人以上の死者が出ています。
- 著者
- 黒川 祐次
- 出版日
- 2002-08-01
ヨーロッパの大国といえば、イギリスやフランス、スペイン、イタリアなどを思い浮かべる方が多いと思いますが、実はウクライナは、ヨーロッパのなかでロシアに次いで2番目の国土面積を有しています。
本書は、ウクライナが歩んできた歴史を俯瞰して解説したものです。通史をわかりやすくまとめたうえで、「ヨーロッパの穀倉」「ソ連最大の工業地帯」と呼ばれるポテンシャルがあるとし、国が安定すれば大きな飛躍が可能だと説明しています。
作者の黒川祐次は、外務省に入省して駐ウクライナ大使を務めた経験がある人物。わかりやすい文章で書かれているので、ウクライナの歴史に興味を抱いたら、最初の一冊におすすめです。
- 著者
- ["服部 倫卓", "原田 義也"]
- 出版日
- 2018-11-02
国や地域をわかりやすく解説する「エリア・スタディーズ」のウクライナ版。全65章で構成され、総勢34人の執筆陣が、自然環境や歴史、民族、言語、宗教などそれぞれの専門分野で解説しています。
2014年に起きたロシアのクリミア編入と、それに続く東部紛争を見ると、ロシアが侵略者で、ウクライナが被害者だという図式が固定化されてしまいます。
しかし本書を読むと、そう単純でないことがわかってくるでしょう。そもそもクリミアとウクライナは同じ歴史を歩んできたわけではなく、住民のなかにはウクライナが侵略者でロシアが解放者だと考えている人もいるのです。
多面的な視点でウクライナについて考えられる一冊だといえるでしょう。