心が伝わる、手紙の話【荒井沙織】

心が伝わる、手紙の話【荒井沙織】

更新:2021.12.3

背筋を伸ばし、一度すぅっと深呼吸する。丁寧に便箋の向きを整え、一文字ひと文字に想いをのせる。あなたが最後に手紙を書いたのはいつだろうか。事務的なものではなくて、短くても1フレーズでも、あなたの心を込めた手紙を。今回は、手紙のお話です。

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友情の証

人生最初の手紙にどんな事を書いたのかは憶えていないが、最も古い記憶は小学校1年生くらいだ。あの頃は本当によく手紙を書いた。日常的に、近くに住んでいる親友に宛てて書き、それを手渡していた。そして彼女もまた、同じように次の遊びの提案なんかを書き、届けてくれたものだ。

ケンカした後の《ごめんねのお手紙》はもちろん、学校から帰ると毎日一緒に遊んで、次の日もまた当たり前に一緒に過ごすのに、私たちはよく手紙を交換していた。今になって思うと、あれはきっと友情の証だ。ブームに乗って交換日記に代わった時期もあったが、それも含めて、誰にでも贈る訳ではないあの簡単な文章のやりとりが、当時の私たちには最も分かりやすく形にできた、友情の表現方法だったのだろう。

一度、「今日はうちでお泊まり会をしよう!」と盛り上がっていたのに、その日の自宅の夕食が大好物だからという理由でふいにされた事件があった。もちろん私は激怒、というか相当拗ねた。そこで親友から届いたのが、「とり肉より さおちゃんのほうが すきだよ!!」という手紙だった。仕方ないなと思いつつ、子ども心に「 ”とり肉より すきだよ” って、それはそうでしょ、当然でしょう。わざわざ書かなくても大前提でしょう!」と、なんだかその部分にちょっとだけ納得がいかなかった憶えがある。

そうやって手紙を贈り合ったりしながら、その子が引っ越すまでの5年間ほど、たくさんの時間を一緒に過ごした。大人になってからは会っていないが、きっと今でも、変わらずとり肉が大好きな明るい子だろうと思う。

著者
["丹下 輝之", "濱崎 龍一", "五十嵐 美幸"]
出版日
2012-12-03

メモ帳は社交ツール!?

親友との友情確認の次の段階は、学校で、複数の同級生同士での《かわいいお手紙》交換だった。授業中にちょっとした手紙を書いて、休み時間に交換するのだ。

今となっては ”先生ごめんなさいエピソード” だが、当時はなんだか大事な社交のように思っていた。ちょっと大袈裟に言うと、センスのあるかわいいメモ帳を何種類も持っていて、メモ帳の折り方をたくさん知っている子がイケてる!という新たなヒエラルキーが発生したほどだ。ちなみに当時の私は、メモ帳はたくさん持っていたけれど、折り方は追求しないタイプだった。

さて、そこで欠かせないのが、かわいいメモ帳だ。今も文具店にはかわいい図柄のメモ帳が数多く並んでいるが、それと比べてみても、当時のバラエティーメモ帳界は急成長していたに違いない。次々に新作が発売され、店頭に並ぶ種類は今よりもっと多かったような気がする。

大人になった今、私はオフィスワークをしたことがないけれど、会社でのちょっとした伝達に、メモ帳や付箋を使ってメッセージを添えたりする事を、なんだか素敵なコミュニケーションだなと思う。

著者
むらかみ かずこ
出版日
2017-07-31

ファンレター

学生時代のお手紙交換社交界は、いつの間にか ”ケータイ” の “メール” に席を譲り、レターセットを買う機会は激減、かわいいメモ帳を集めることもしなくなった。チャットアプリで繰り広げる、まさに言葉の打ち合いのような、刺激的な速度のやり取りばかりが上手になっていった。

そんな、学生時代をすっかり3Gの速さで過ごした私に、再び手紙の魅力を思い出させてくれたのが、ファンレターだ。

大学卒業後に飛び込んだ、初めての世界。釣り番組でデビューをしたら、視聴者の方々からファンレターが届いたのだ。当時、「そうか、私、デビューしたんだ。」と実感した出来事の一つでもあった。お互いそれまで全く知らなかった人間同士、私はテレビに映る事で自分の存在を知ってもらい、ファンレターをいただく事で、応援してくれている人の存在を知った。

手書きの文字。励ましや自己紹介や、溢れんばかりの応援の言葉。読んでいると涙が出るようなファンレターを、私はこれまでに何通受け取っただろう。特別な言葉でなくても、ペンを握った人の想いが伝わってきた。

ネット上ではコメントが、気軽に匿名でいくらでもできる時代。そんな中で、便箋と封筒を用意し、時間をかけて言葉を紡ぎ、切手を貼って投函してくれているのだ。その手間をかけてまで伝えてもらった「あの番組、よかったよ!」「応援してます!」「これからも頑張ってね!」。デビューをして以来、心の込もったファンレターが、私の宝物になった。

こうして私は、再び手紙が大好きになったのだった。

著者
松岡修造
出版日
2013-12-13

アナログって、伝わる!

世の中大体のことが電子化されていて便利だし、アナログなことは手間もかかる。では、なぜまだ、アナログな技術や手書きの手紙、プリントされた写真作品があるのか?

一つ前の記事で、写真展に出展していると書いたのだが、まさに今回の写真展でも、そんな事を考える機会があった。

デジタル現像してみたけれど、これは展示作品として採用にならないかなと自分では思っていた作品がある。いくつか理由がある中で、一番は「あまりに作って見えないだろうか。」という点だった。アートフォトを取り扱うギャラリーなので、美しい作品に作り込んでいくのは本来問題ないのだが、自分で設定した今回の展示テーマにそぐわないのではないかと不安になったのだ。相談の結果、「これは絶対に出した方が良い!」というギャラリーの後押しにより、その作品は日の目を見ることになった。

印刷中も、モニターを眺めながら半信半疑の心持ちでいた私の前に、ついに紙にプリントされた作品が差し出された。すると驚くことに、それは実にさらりと、テーマの世界にピタリとはまってみせたのだ。

「モニターで見るのとは、こうも印象が違うものなのか。」自分の作品でここまでそう思ったのは、これが初めてだった。紙にプリントされたことで実体となり、印象の上でも手触りを得たようだった。

撮影: 荒井沙織

ネット上でSNSに届くコメントも嬉しい。けれどその合間でたまに味わう、便箋の種類・筆致の強弱・文章の特徴などといった、様々な実体の要素を含んで手紙から伝わってくるものは、やっぱりいいなと思う。

本のページをめくるのもそうだ。サラサラだったりザラザラだったり、ページの角を指でなぞりながら、夢中で次のページへ進めていくのが大好きだ。

アナログなもの、手触りのあるものには、確かな熱量がある。それがきっと、夏の風のように、作り手の想いをフワリとのせて、運んでくれている。私はそんな風を、全身で感じていたいと思うのだ。

さて、改めて尋ねてみよう。あなたが最後に手紙を書いたのは、いつだっただろうか。そろそろ、また誰かに短い手紙を書いてみてはどうだろう。背筋を伸ばし、一度すぅっと深呼吸する。丁寧に便箋の向きを整え、一文字ひと文字に、想いをのせて。

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