私は自己中だ。自分のペースを乱されるのは嫌だ。しかし、相手のペースに合わせてしまうことが多い。実は自己中でもないのだろうか。いや、違う。この世には圧倒的な強さで自分のペースに相手を引き込める人が存在する。そして私は、そんな人によく出会う。
先日、娘を連れてスーパーで買い物をしていたときのこと。お店を掃除していたおじさんが「赤ちゃんかわいいねぇ~!」と近づいてきた。ありがとうございます~と礼を言いつつ娘の手を取ってバイバイさせながらその場を立ち去ろうとすると、おじさんは「ボクはねぇ、三人兄弟やねんけど、一番下の弟はご縁がなくてねぇ。ずっと結婚してないのよ」と、いきなりデリケートな種類の身の上話を振ってきた。
返事に困り、目が泳ぐ。しかし、なぜか動揺していることを悟られたくないという無意味な見栄を張り「はぁ!そうなんですかぁ!」と、目を剥いて大げさに答えてしまった。
「こいつ、いけるな。」と思われたのだろう。おじさんはさらに続けた。「真ん中はねぇ、ご縁はあったんやけどなかなか子どもができなくてねぇ。だからうちはボクのところしか子どもがいないのよ。」
さらにデリケート。記録的とも言える短時間でおじさんのだいたいの家族構成を知ってしまった。はて、何て答えるべきなんだ。
「あら!それは可愛がられたでしょうね!」
悪くない回答だったと思う。「そうですか」だけじゃシンプル過ぎて味気がない。弟たちの話から反らすこともできる。しかしこれが地雷だった。
「そう!それはもう可愛くてねぇ!可愛がったよ!うん!随分可愛がった!」
嬉しそうに話すおじさんに、曖昧に笑いながら適当にうなずく。そろそろ終わるかなと思った時、おじさんの目がキッと光った。
「でもね!可愛がってばっかりはあかんよ!可愛がり過ぎたら、ダメになるよ!」
さっきまでのにこやかな表情から一転、おじさんの顔つきが険しくなった。
「可愛がるのもいいんやけどね!そればっかりやと、ダメになる。うん。ダメになるのよ、可愛がってばっかりやと!」
おじさんは、私の目を真っ直ぐ見ながらダメダメ繰り返してくる。見知らぬおじさんに説教される昼下がり。なぜこんなことに・・・。だがここで意気消沈してしょんぼりとうなだれていたら、周りの買い物客に『この人、何したんやろう』と怪しまれる。私はただ娘を抱っこしながら納豆を選んでいただけなのに。娘だって泣いてもいないし騒いでもいない。おじさんに叱られている構図にはなりたくなかった。
「ほんま!そうですねぇ!悪いことしたときは!ちゃんと!怒らないと!」
私は、落語家のごとく大げさに同調した。これで、おじさんに叱られているようには見えないだろう。納豆売り場の前でおじさんと井戸端会議しているだけだ。
そうそう!と同調する私におじさんは目をらんらんと輝かせ「せやねん!ちゃんと怒らんとあかんのよ!ビシッと!子供はなぁ!」とヒートアップし「うちも大変やった!」と言ったところで突然「ありがとう!」と手を挙げ、風のように去って行った。その場に取り残される私と娘。何が大変だったのか気になった。
別の日、私は雑貨店でお玉を選んでいた。スープや味噌汁をすくったりするあれだ。大きいものと小さいものがあり、どちらを買うべきかで悩んでいた。大は小を兼ねるかと、大きいものを手に取ったら、やっぱりコンパクトな方が便利なのかもと思えてきて小さいものに替える。しかし、小さいと何回もすくわないといけなくなって面倒な気もする。いやいや大きい方にしよう、とまた大きいものを手に取りつつまだ少し悩んでいた。
すると、横にいたご婦人も全く同じ行動を取っており何となく目が合ってしまった。「大きい方が便利かしらねー?」とにこやかに話しかけられると、やっぱりみんな迷うんだなと何だか可笑しくなって「ですよね。」と笑って返した。
「今までは100均のやつ使っててんけどね、柄の部分がプラスティックで途中から金属やとどうしても継ぎ目のところが汚れるでしょう?ここ!ここ!」
これも同じだった。私も同じ理由でお玉を買い換えようとしていた。思わず「わかります!だから全部ステンレスのものに替えようと思って。」と乗ってしまった。
ご婦人は別の店だと倍以上の値段がしていて、覚悟を決めて買いに来たのだけれど、ふらっと入ってみたこの店で同じようなものが安く売っていてよかったという情報を教えてくれた。そして「前はこんなやつを持ってたんやけどね、嫁にあげてしまったのよ。こういうのも持ってたんやけど、それも嫁が・・・。」と続けた。
いきなり話しかけてくる人は、家庭の事情を話しがちなのか。またしても答えに困る。だがそれほど返答に期待されている感じでもなかったので、ふにゃふにゃと相槌をうった。
すると「そうそう!嫁はこれも便利って言ってたよ!こういう形のやつ。ソースとかすくうのはこれがいいって!こういう風にしてね、使うの。あと、こういうのとか!これは炒め物とかにいいって!」と嫁から仕入れた情報をもとに次々と違う商品を勧めてきた。
マンツーマンの通販番組のようだった。圧がすごい。せめて言われたものを手に取った方がいいのかとオロオロしていると、ご婦人もまた「ごめんなさいね!話しかけて!」と、大きい方のお玉を手に取り突然小走りで去って行った。
どちらも、話を切り上げるタイミングがどこかにあったのかもしれない。しかし私はそれを全くつかめない。それに話に対する返しもおもしろくないのだろう。結果的に愛想をつかされて置いてけぼりをくらう。告白された数分後にフラれる、みたいな。
大きい方のお玉を買って、近くのパン屋に併設されたカフェに入った。パンを選び会計を済ませて席に座ると、隣でくつろいでいたおばあちゃんがピューン!という効果音つきの速さで私の前にやってきた。
「赤ちゃん、かわいいねぇ!」
娘が産まれてからというもの、連れて歩いているとしょっちゅう人に話しかけられるのでだいぶ免疫がついてきた。「よかったね~」と娘に声をかけてパンに手を伸ばそうとすると、「男の子?女の子?」と聞かれた。「女の子です。」と答えると、「あぁ!そう!やっぱり!優しい顔してるから女の子かと思ったけど、やっぱそうねぇ!」
・・・ん?聞き間違い?まぁいいか。
おばあちゃんは、今何か月だのどっちに似ているだの、訊きたいことが山ほどあるようで目の前から動かず、どんどん質問を重ねてくる。
「ご主人も可愛がってるでしょう?」
あ、やばい。地雷かも・・・と一瞬頭をよぎったが「可愛がってません」はおかしいので「はい!」と答えた。
「そうやんねぇ。ご主人は男の子やったら喜んではるでしょう!」
お。これは完全に間違えられている。「あ、いや女の子・・・」という声はかき消された。
「親戚の子はね、女の子が産まれておじいちゃんに見せに行ったらね、女の子なんていらーん!って言われたらしいわ!それでも今は可愛がってるみたいやけどね!」
出た!身内の話!そして同時に訂正する機会は失われた。このカフェでは娘を息子として扱うしかない。名前を聞かれたら旦那さんの名前でも答えようかと考えていると、私の斜め前の席に娘よりもっと小さい赤ちゃんを連れた女性が座った。
赤ちゃんの服装からして男の子だ。おばあちゃんはすぐに気が付いてくるっとそちらを向き「あら!また赤ちゃん!そっちは見るからに男の子やね!」
こっちはわかりにくいが女の子だ。今は息子だけど。
「小さいねぇー!まだあんまりわかってないねぇ!」おばあちゃんが新規の方に乗り換えようと、移動しかける。
すると女性は微笑むか微笑まないかの中間くらいの絶妙な会釈をした。無視はしてないけれど、これ以上はごめんなさい的な。小さく「どうも」と言っていた気もする。
なんと!これは魔法の言葉ではなかろうか。
「どうも。」
丁寧かつ失礼にもならず、話を遮断できる。「どうも、ありがとう」にも「どうも、さようなら」にも使えるが、「どうもどうも!」という挨拶だと捉えられることはまずないだろう。目の反らし方と言い、「どうも」の声のボリュームと言い、完璧だった。世間の人はこんなに早い段階で話を切り上げるのか。
おばあちゃんは、すぐに舞い戻ってきて自分にも息子が二人いると教えてくれ、男の子のオムツを替える際のハプニングなど男の子の育児あるあるを楽しそうに話した。私はほとんど共感できなかったが、バレない程度に同調して、おばあちゃんの下ネタに戸惑いながらも“男の子のママ”を演じきった。
おばあちゃんは一通り話し終えると「西大寺いかなあかん!」と言って娘(この時だけ息子)と握手をして去って行った。斜め前の小さい坊やとも握手をしていた。取り残された私たちと女性の間に変な空気が漂った。「何か月ですか?」と訊きたい衝動に駆られたが、「どうも」と言われては困るので抑えた。
私は自己中である。しかも人見知りだ。しかし『いい人と思われたい欲』が強い。それ故に断れない。相手のペースに合わせてしまい、丸呑みされる。
いつか「どうも」とクールにかわしてみたいが、冷たい人だと思われていないかと後で思いっきり後悔することは目に見えている。それが無理なら、せめて本物のいい人になりたいものだ。“いい人養成講座”があれば、喜んで通う。
- 著者
- 高崎 卓馬
- 出版日
- 2019-09-06
小泉今日子の親衛隊のお話、とだけ聞いて読み始めましたが、想像していたより血気盛んで驚きました。そして人間の感情が生々しい。
主人公であるチョクは人見知り。一方でチョクと友達になる高階は物怖じせず、堂々とした性格です。人見知りなんてせず、街中でいきなり人に話しかけるタイプ。私はもちろん、思いっきりチョクに感情移入しつつ高階を羨みながら読んでいたのですが、いつのまにやらチョクにも憧れを抱いていました。
素直でありたいと思った一冊です。ラストが潔くて好きです。
- 著者
- 今村 夏子
- 出版日
- 2014-06-10
あみ子は少し、いや結構風変わりな女の子です。お父さん、お母さん、お兄ちゃんと一緒に暮らしています。とんでもない行動をして周囲を巻き込んでいく姿、そして疎まれていく様子は胸が苦しくなります。
『うわ!変な人おる!近寄らんとこ。』と道端で思うそのまさに"変な人"の目線で描かれた物語は、新鮮で心臓を素手で触られているようでした。
痛々しいほどに真っ直ぐなあみ子。本当は皆、あみ子のように生きたい気持ちを抑えながら暮らしているのではないのかと思いました。生きやすさとは何だろうと考える一冊。
小塚舞子の徒然読書
毎月更新!小塚舞子が日々の思うこととおすすめの本を紹介していきます。