原子力の平和的利用を促進し、軍事的利用に転用されることを防ぐために創設された「IAEA」。唯一の被爆国でありながら国内に原発も有している日本は、密接な関係を築いています。この記事では、IAEAが創設された背景と目的、役割などをわかりやすく解説。あわせておすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。
「International Atomic Energy Agency」の頭文字をとった「IAEA」。日本語では「国際原子力機関」と訳されます。
主な役割は、原子力の平和的利用の促進、軍事的利用の抑止、原発事故の原因究明や事故再発防止の取り組みを進めることです。アメリカのアイゼンハワー大統領が提唱した「平和のための原子力(Atoms for Peace)」という考えにもとづき、1957年に設立されました。
国際連合と連携協定を結ぶ自治機関のひとつで、本部はオーストリアのウィーンにあります。2019年現在の加盟国は171ヶ国。そのうち原子力に関して高い技術をもつと認定された13ヶ国が「指定理事国」に、そのほか総会で選出された22ヶ国が「選出理事国」を務め、各種の取り組みを進めています。
IAEAを構成する主要な機関は3つあります。年1回開催され、すべての加盟国が参加する「総会」、指定理事国と選出理事国をあわせた35の理事国が運営する「理事会」、具体的な業務を遂行する「事務局」です。このうち事務局では、2009年から2019年まで日本の天野之弥が事務局長を務め、原子力の研究施設の整備などに大きな足跡を残しています。
2019年9月には、ウィーンで第63回通常総会が開催されました。北朝鮮の核問題やイランの核合意、福島第一原発の廃炉に向けた取り組みなど、原子力に関する広範な議題が取り扱われたそう。核不拡散の中心となる組織として、IAEAのさらなる強化や効率化の必要性が決議されました。
1953年、アメリカのアイゼンハワー大統領は国連総会で「平和のための原子力」と題した演説をおこなっています。ここで示された考えは「核の平和利用」とも呼ばれていて、原子力を発電など平和的に活用しようと提唱しました。
同時にアイゼンハワー大統領は、原子力の平和的利用の推進と、軍事転用を防止するための国際機関の設立も提案。これがきっかけとなり、1957年にIAEAが創設されたのです。
アイゼンハワー大統領が「平和のための原子力」の演説をした背景には、冷戦があります。アメリカとソ連を中心に核開発が劇化し、核戦争に発展するのではないかという危機感を抱いて、原子力を国際的に管理する必要性を訴えたのです。
IAEAは、別名「核の番人」とも呼ばれています。その名のとおり原子力の研究だけでなく、原子力が軍事転用されること、核兵器が拡散することを防ぐためにさまざまな取り組みをしているのです。
外務省のホームページには、次の権限を有するとされています。
これらの権限を行使して原子力の平和的な利用を促進することが、IAEAの役割であるといえるでしょう。
日本は、1957年にIAEAが創設されて以来、「指定理事国」として運営に携わっています。また先述したように2009年から2019年までは天野之弥が事務局長としてIAEAを主導。イランの核問題や北朝鮮の核開発を抑止するための体制強化などに取り組みました。
また天野は、「平和と開発のための原子力」を掲げ、原子力を利用した途上国支援などを推進。IAEAが掲げる「原子力の平和的利用」の実践にも大きな足跡を残しています。
その一方で日本は、多くの原発を有していて、IAEAから監視される立場でもあるのが現状です。特に2011年に発生した福島第一原発の事故は、「原子力の平和的利用」という考え方そのものを揺るがしかねない衝撃を世界に与えました。IAEAは日本に対して、事故の収束に向けてさまざまな提言をしています。
また福島第一原発の廃炉に関する報告書をまとめ、汚染水処理問題への対応を急ぐことを要請。汚染水の検査数値の公表をめぐっても、東京電力が一般人に簡単に理解できる形で情報を提供していなかったとみなし、問題視しています。
- 著者
- 國分功一郎
- 出版日
- 2019-09-25
1950年代以降、「原子力の平和的利用」の名のもとに、世界中で原発が建設されました。福島第一原発をはじめ深刻な問題が起こり、反原発運動が盛りあがる一方で、依然として核開発は続いています。
本書は、哲学の観点から原子力技術と人間がどのように向き合うべきかを論じた作品です。さなでも作者が重視しているのが、20世紀に活躍したドイツの哲学者ハイデガー。彼が記した「放下」というテキストを軸に、人類が原子力に惹かれる理由と、抗するための方策を述べています。
発展し続ける技術とどのように向き合うべきなのか、考えてみましょう。
- 著者
- 山崎 正勝
- 出版日
本書は、各種の公的資料を用いながら、1939年から1955年における日本の核開発を時系列に沿って解説した作品です。
日本の核開発は、原爆の製造を目指すところから始まりました。しかし技術的、資源的な制約から開発は難航し、結局敗戦により軍事的利用の計画は頓挫しています。戦後は世界に先駆けて原子力の軍事的転用を禁じた一方で、原子力そのものはむしろ積極的な活用を図りました。
広島と長崎の原爆を経て、日本は核とどのように向き合ってきたのでしょうか。IAEAや原子力について考える時に参考にしたい一冊です。