日本史上、もっとも女性的な感性が反映されたとされている「国風文化」。平安時代のなかばに花開きました。この記事では、かな文字や服装、芸術などの特徴をわかりやすく解説。おすすめの関連本も紹介します。
平安時代のなかば、10世紀から11世紀に花開いた「国風文化」。奈良時代に栄えた「天平文化」が中国・唐の影響を色濃く受けていたのに対し、日本独自で和風の文化です。
現代では「こくふう」と読むのが一般的ですが、当時は「くにぶり」といっていたそう。地方の習俗、という意味の言葉で、唐の文化を優れたものとする一方で、日本の習俗を下にみる考え方でした。しかし徐々に国風を重視する考えが広まり、894年の遣唐使廃止なども相まって発展していったのです。
国風文化の特徴は、華やかな色使いと柔和な造形です。国風文化が形成される過程で、朝廷に仕える女性の嗜好が取り入れられたことが影響していて、日本史上もっとも女性的な感性が反映された文化だと評されています。
女性が文化の担い手となった背景には、藤原氏による摂関政治が関係しています。藤原氏は権力を掌握するために、子女を天皇家に入内させ、生まれた子どもを天皇にして自らは外祖父となる手段をとっていました。
また天皇の関心を買うために、中流貴族の有能な子女を選んで女房にします。すると中流貴族たちも藤原氏に取り入ろうと子女の教育に力を注いだため、清少納言や紫式部、和泉式部などの優れた女流作家が誕生しました。女性の嗜好が取り入れられ華麗な文化は、ある意味で政治そのものだったといえるでしょう。
現代の生活にも大きな影響を与えているのが、国風文化で誕生した「かな文字」です。もともと日本には独自の文字はなく、それまでは中国から伝わった漢字の音訓を用いた「万葉仮名」が使われていました。
奈良時代の後期から平安時代にかけて、漢字の一部を簡略化した「カタカナ」と、漢字の草書体をもとにした「ひらがな」が用いられるようになります。硬い印象を受けるカタカナは男性を中心に使われ、丸みを帯びて柔らかな印象をもつひらがなは女性を中心に使われました。
漢字が連なる万葉仮名ではなく、柔和なかな文字が用いられるようになったことで表現の幅が大きく広がり、国風文化のもとでさまざまな文学が花開きます。
『古今和歌集』などの勅撰和歌集、『竹取物語』『伊勢物語』『落窪物語』『源氏物語』などの物語、『土佐日記』『蜻蛉日記』『枕草子』などの随筆が代表的です。
国風文化のもとで、服装も従来の唐風のものから日本独自のものへと変化します。中国に比べて日本は湿度が高いことから、袖口を広くするなど風通しのよいものが用いられるようになりました。また染色や織物の技術も向上し、見た目も多種多様になっていきます。
とはいえ、当時は貴族社会。官位によって身につけるものは細かく定められています。
文官は、単(ひとえ)、衵(あこめ)、下襲(したがさね)、半臀(はんび)、闕腋袍(けってきほう)という「文官束帯」を身につけます。身分が高くなるにつれて裾の長さが長くなり、太刀を結ぶことができるのは参議以上の官職と決められていました。
武官は、三位以上は「文官束帯」、四位以下は縫腋袍(ほうえきのほう)と呼ばれる束帯を身につけます。色は黒と定められていたため、ひと目で武官だと判断できたそうです。その後時代が進むと、身動きがとりづらい束帯は儀式用となり、普段は簡略化された衣冠や、現代の神職の装束にもなっている狩衣などを着用するようになりました。
女性の服装は、十二単が一般的。唐衣装装束、女房装束とも呼ばれます。小袖、長袴、単、五衣、打衣、表衣、唐衣、裳、物具装束などを重ねる豪華絢爛なもので、重さはなんと約20kgほどあったそうです。
ちなみに平安時代は現代よりも平均気温が低く、十二単は防寒具の意味合いも果たしていたと考えられています。
平安時代、日本では仏教の末法思想が広がりを見せ、浄土教が流行します。末法思想とは、釈迦が亡くなってから2000年が経つと、正しい教えが衰退するという考え方。1052年がちょうど2000年後にあたることから、藤原氏を中心に寺社の造営が盛んにおこなわれました。
浄土教は阿弥陀如来を信仰することで、極楽浄土にいくことができるとする教えです。空也や源信によって広められました。さらに、浄土教の世界観を表現した絵画「大和絵」も発達。「涅槃図」や「来迎図」などの仏教絵画がつくられるようになりました。
また建築も、中国から伝わっていた宮殿風のものから、日本独自の寝殿造に変化します。土間ではなく床が高く張られ、瓦葺から檜皮葺に、屋内に入る時は靴を脱ぐようになり、寝台ではなく畳の上で寝るようになりました。
藤原頼通が建てた平等院鳳凰堂などが、寝殿造の代表格だといえるでしょう。寝殿造は室町時代の後半から書院造に発展し、現代でも見られる和風住宅に繋がっていきます。
遊びの面では、和歌や管弦など雅なものが流行。しかしこれらは仕事や出世に直結するもので、決して気楽にしていたものではありませんでした。和歌の巧みさは結婚相手を決めるうえでも大切な要素です。
そのほか定番の「蹴鞠」や「コマ」、現代の射的に相当する「小弓」、お手玉の原型とされる「石投」、神経衰弱のような「貝合わせ」などが挙げられます。
- 著者
- 出版日
- 2002-03-01
古代国家が成立した飛鳥時代の藤原京、「あをによし」と称えられた奈良時代の平城京、国風文化に代表される雅な平安時代の平安京。本書は、時代ごとに日本の中心になった都を取りあげ、人々の生活ぶりを「衣」「食」「住」それぞれの観点から解説した作品です。
50ページに満たないページ数ながら、資料の数は豊富で内容の濃さは十分。なかには現代とほぼ変わらない文化をうかがうこともでき、興味深いでしょう。
- 著者
- 出版日
- 2012-11-14
「学研まんが日本の歴史」シリーズの3巻は、平安時代を取りあげています。
桓武天皇が即位し、平安京を建設。最澄や空海が仏教に革新をもたらし、藤原氏が築いた摂関政治は女房文学を発展させ、国風文化が花開く……その一方で末法思想や武士階級の台頭は人々の不安をあおり、浄土教が広がるきっかけにもなりました。
歴史の大きな流れを学びつつ、服装や建築などの国風文化は視覚で理解することができるでしょう。子どもだけでなく、大人の方の学び直しにもおすすめです。