8世紀のなかば、中国・唐の影響を受け、平城京で「天平文化」が花開きました。一体どんなものだったのか、服装や文学、仏像や建築などそれぞれの特徴をわかりやすく解説していきます。
8世紀中頃の奈良時代、平城京を中心に「天平文化」が花開きました。聖武天皇の元号「天平」からこのように呼ばれています。
最大の特徴は、中国・唐の影響を色濃く受けているということ。630年からたびたび派遣された遣唐使によってもたらされたそうです。当時の唐は、玄宗皇帝のもとで「開元の治」と呼ばれる最盛期を誇っていました。
唐の都である長安は世界最大の都市で、さまざまな国の人が行き交う国際都市。遣唐使たちは世界最先端の文化や制度を学び、シルクロードによって結ばれていたインドやペルシアなどの文物も持ち帰ります。それゆえ、これらが多く収蔵されている東大寺の正倉院は「シルクロードの終着点」と呼ばれているのです。
天平文化のもうひとつの特徴として、「仏教」が挙げられます。聖武天皇の在位中、日本は災害や疫病に見舞われ、人々は不安に苛まれていました。聖武天皇は、仏教には国家を守り安定させる力があるとする「鎮護国家思想」にもとづく国造りをすすめます。東大寺の「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」は、その代表格でしょう。
ちなみに、後の平安時代に花開く「国風文化」は、日本独自の和風のもの。華やかな色使いと柔和な造形が特徴です。
唐の影響は、服装にも表れています。701年に制定された大宝律令のなかで、「衣服令」という規定がつくられました。
貴族たちの服装は大嘗祭など重要な儀式の際に着用する「礼服」、仕事をする際に着用する「朝服」、身分の低い者が朝廷の行事の際に着用する「制服」など、身分や場面に応じて事細かく定められたのです。ほかにも、衣服の素材に絹を用いること、鼻高沓(びこうぐつ)という爪先が上がった靴を履くこと、象牙製の笏(しゃく)を持つことなどが決められました。
男性だけでなく、女性の服装も細かく規定されます。藍色の服の上に背子(はいし)を重ね、さらに領巾(ひれ)と呼ばれるショールを羽織るのが一般的。髪型も唐の影響を受けて、高い位置でまとめ、飾りをつけるようになります。
また中国では衣服を着る際に「左前は野蛮」と考えられていたこと、仏教界で「左前」は死者の装束と考えられていたことなどから、日本でも衣服を着用する際は「右前」にあわせることが決められました。いまでも着物を着る際は「右前」が一般的ですが、そのルーツは天平文化にあるのです。
中央集権化が進み、国家としてのかたちが整えられていった天平文化の時代には、大きなプロジェクトがいくつも実行されました。
国の歴史をまとめることも、そのひとつです。日本最古の歴史書である『古事記』、『日本書紀』が執筆されました。また国全体の歴史書だけでなく、各地域の風土や歴史をまとめた『風土記』も編纂されています。
文学としては、元号「令和」の出典元になったことで再注目された日本最古の和歌集『万葉集』が編纂されたのも、天平文化の頃です。天皇、貴族から下級官人、防人、大道芸人、農民、東国の民謡など、さまざまな身分の人が詠んだ4500首以上の和歌が収められています。
当時の日本には、まだひらがなやカタカナは存在しておらず、和歌はすべて「万葉仮名」と呼ばれる漢字で書かれていました。
漢詩も盛んに作られ、淡海三船や石上宅嗣らが活躍。現存する日本最古の漢詩集『懐風藻』も完成しています。日本文学の始まりは、天平文化であるといっても過言ではないでしょう。
天平文化の思想の中心にあったのは、聖武天皇の「鎮護国家思想」で、これを体現するために仏教芸術が発展しました。代表的なものが、仏像、絵画、建築です。
天平文化の仏像は、表情が豊かで調和の取れた美しさが特徴です。東大寺の造営を担当する役所「造東大寺司」の管轄下に造仏所が整備され、東大寺の毘盧遮那仏に代表される「金銅仏」、麻布や和紙を漆で張り重ねてつくる「乾漆像」、粘土でつくる「塑像」など、さまざまな仏像が制作されました。
乾漆像としては、興福寺の「八部衆立像」や「十大弟子立像」、東大寺法華堂の「不空羂索観音立像」などが有名。塑像では新薬師寺の「十二神将立像」、東大寺戒壇院の「四天王立像」などが挙げられるでしょう。
天平文化の絵画は、豊満で華麗な筆致が特徴です。現存する例は少ないものの、正倉院所蔵の「鳥毛立女屏風」、薬師寺所蔵の「吉祥天像」、釈迦の一生を描いた「過去現在絵因果経」などがあり、いずれも国宝に指定されています。
また天平文化の時代には、盛んに仏教寺院が造られました。いずれも堂々として均整のとれた美しさが特徴です。「東大寺法華堂」、「唐招提寺金堂」、「正倉院宝庫」などが代表的。正倉院宝庫には、聖武天皇の死後に光明皇后が献じた遺愛品が収められており、「螺鈿紫檀五弦琵琶」、「漆胡瓶」、「白瑠璃碗」などの工芸品が保存されています。
これらがあることによって、当時の日本が唐だけでなく、シルクロードを介してインドやペルシアの文物にも触れていたことがわかり、文化水準と国際性の高さをうかがい知ることができるのです。
- 著者
- 河邊正夫
- 出版日
- 2006-06-01
縄文土器のデザイン性の高さが世界的に注目されるなど、日本人と装飾文様は切っても切り離せません。本書は、「装飾」に焦点を当てて古代から近世までの歴史を通観した作品です。
仏教とともに伝来した蓮華文や火焔文、天平文化に花開いた仏教芸術を彩った青龍、朱雀、白虎、玄武などの文様、末法思想や浄土教信仰の広まりとともに流行した唐草文や風景文、武士の館を彩った文様など、飛鳥時代から江戸時代までの装飾文様をまとめています。
色鮮やかな天平文化の文様、流麗で美しい平安時代の文様、質実剛健な武家の文様など、その時代の空気や思想を驚くほど体現していることに驚かされるでしょう。
文章による解説はそれほど多くなく、ページをめくるたびに眼前に広がる装飾文様の美しさを堪能できる一冊です。
- 著者
- 井上 靖
- 出版日
- 1964-03-20
文化勲章を受賞した作家、井上靖の歴史小説です。天平文化の時代に唐から日本にやって来て、律宗の開祖となった鑑真の物語。主人公は、高僧を招くという使命を抱いて唐に渡った普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)など、留学僧たちです。
南山律宗の継承者だった鑑真は、4万人以上に授戒をおこなった高僧で、当時は大明寺の住職でした。普照と栄叡をつうじて聖武天皇の要請を受け、渡日を5回試みますが、弟子たちの反対などもあり失敗。6回目でようやく実現した時は、要請を受けてから実に11年が経っていました。
鑑真を日本に招こうと奮闘する留学僧たちと、その心意気に応えようと失明さえしながらも日本を目指し続ける鑑真。日中両国にまたがる壮大な物語に、思わず息をのむはずです。