東京が怖いと思う。しかし同時に憧れてもいる。大阪から見る東京のきらめきは、まぶしくて妖しい。何だか漠然としていて、動きが速い感じがする。(この印象自体が漠然としているけれど)あの巨大な渦に巻き込まれたら、浦島太郎のように突然おじいちゃんになってしまいそうだ。竜宮城には行ってみたいが、おじいちゃんにはなりたくない。
東京には楽しげな場所がたくさんある。山手線なんかに乗ると、着く駅すべてが大都会。大阪で言えば全駅梅田。福岡なら天神か。こんなにでっかいビルがたくさんあって余ったりしないのかと思う。ファッションビルを作ったものの全くお客さんがこないこととかないのだろうか、ないのだろう。だって、東京には本当に人がたくさんいる。
東京へ向かう時、いつも仕事の空き時間に何かしらオシャレスポットにでも立ち寄ろうと考える。どこにいても近くにイカした場所があるのが東京だ。早く終わったらカフェでコーヒーを飲んで買い物をして、辺りを散策してみよう。もし時間が合えば東京の友達にも会いたい。行ってみたいお店も、食べてみたいものもたくさんある。何なら今からホテルを予約してもいいかな、なんて優雅な妄想を巡らせながら新幹線に乗っているのだが、毎度東京駅についた途端にその夢は散り、現実へと引き戻される。
もう、人が多い。わかりきったことだが、いつも東京駅に着くと人の多さに圧倒される。大阪も人は多いし、奈良だって年中旅行客がわんさか訪れるが、レベルが違う。だだっ広い駅の構内に隙間なく人がいる。それが縦横無尽にわらわらと動いている。人と人がぶつからないのが不思議なくらい人がいて(ぶつかっているのかもしれないけれど)、その人たちの心やら思惑やら目に見えないものが低い天井にどんよりと漂っている気がして怖い。
みんなが早歩きで自分の目的の場所へとさっさと向かう中、乗り換え方がわからず、改札を出た方がいいのか出ない方がいいのかとオロオロしているうちに心細くなって、あぁやっぱり早く帰ろうと思い直す。何とか目的地に向かい、仕事が終わるとさっさと帰る。入り口から歓迎されていない。それが長年抱き続けてきた東京への印象だ。
東京には仕事で行くことがほとんどで、それには二通りのパターンがある。一つは大阪の番組が東京でロケをするとき。もう一つは何らかの奇跡が起きて東京の仕事に呼んでもらうとき。
大阪の番組の場合は、ディレクターさんと私だけで東京に行き、撮影クルーは東京のスタッフということが多い。その際は決まって、ディレクターさんと私の間に妙な団結力がうまれる。ロケバスの中では必要以上に関西弁でしゃべりまくる。東京の街のクールさを褒め、やっぱり大阪はあかんなと謙遜するフリをして東京と大阪の間に勝手に線を引く。車窓に流れる景色を見ながら、『あのでっかい建物はなんや』と『渋滞がすごすぎる』とか言ってガチャガチャやっている間、東京のスタッフはいかにもスマートに必要最小限の受け答えと会話を繰り広げる。そのギャップに途中で気が付き現場に着くころにはすっかり恥ずかしくなっている。そんな無意味な儀式からロケが始まる。
一方で、東京の仕事をもらった場合はもちろん全員が東京のスタッフだ。そしてもちろん、全員がスマート。おしゃれな服を着て、自分の仕事をテキパキとこなし、誰もボケたりつっこんだりしない。いや、おぎやはぎのようなスマートなジョークを挟むことはあるかもしれないが、それも都会的でクールだ。ケータリングに雪の宿やぽたぽた焼きは並んでいない。仕事はスマートかつスムーズに終わる。大幅に早く終わるときもある。そして別れ際は極めてあっさりだ。いつも少し寂しい気持ちで現場を後にし、いい仕事ができなかったからあんなにあっさり帰されたんじゃないかと落ち込む。東京は仕事のやり方もシュッとしている。わかりやすく言えば無駄がない。その点大阪は無駄に愛が詰まっている。
仕事をするなら、無駄のないのも魅力的だし、愛があるのも素敵だと思う。しかし、ではなぜ東京が怖いのかと言うと、まずはやはり最初に書いた通り、人がたくさんい過ぎるところだろう。満員電車の質も違う。すし詰めどころの騒ぎではない。あれが寿司だとしたらシャリとシャリがくっついて一つのでっかい寿司、もしくは餅になりそうだ。もうこれ以上は乗れないと思ってからも信じられないくらい人が乗ってくる。
それに、東京の人は怖いのだ。
随分前に品川駅から大阪に帰ろうとホームで新幹線を待っていたとき、駅員さんがやってきてどこに行くのかと尋ねられた。「大阪です」と答えると、強い口調で「大阪行きは反対!」と言われた。私は品川から東京行きのホームに突っ立っていたのだ。道理で人が少ないわけだ。と思いながら礼を言ってその場を立ち去ろうとすると、背中に向かって「ちゃんと確認しなさい!」と叱られた。今思えば、わざわざ声をかけて反対側のホームだと教えてくれるなんてむしろ親切なのだが、その時は「そんな、怒らなくても・・・」と泣きそうになった。
お店に入ると店員さんがオシャレすぎて値踏みされているように感じるし、道を尋ねるにも止まってくれそうな人を見つけられない。意を決して聞いてみてもほぼ無視されたりする。渋谷にいる人は全員パーティーピープルだし、池袋はウエストゲートパークなのだ。・・・思ったより具体的な例が出てこなかったが、とにかく何か怖いのだ。早口だし、早足だし。
しかし、東京出身の旦那さんは東京の人こそ優しいのだと言う。人情味溢れるのが東京だと。そんなのALWAYS三丁目の夕日くらいの時代の話なんじゃないかと思ったが、生粋の東京の人は親切なのだと主張する。
私が東京の人だと思って怖がっている人たちは全員東京の人じゃないというのが旦那さんの言い分だ。地方の人が持つ“東京のイメージ”を地方から上京してきた人たちが演じる。それを見た地方の人が『やっぱり東京って怖い!』と思う。そう思っている人が上京することになると、バリアを張り、また東京を演じる。その繰り返しなんだと言う。クールで都会的な街は、それに憧れた人やそれを恐れた人が作り上げているのだ。
実は東京で生まれ育った人は少ないという話はどこかで聞いたことがあったが、私が東京だと思って恐れていたものは、外から作り上げられたものなのだとは知らなかった。しかし、確かにそうかもしれない。私だってもしきらめく東京に出ることがあったのなら、同じように肩肘張って暮らしていただろう。その土地に馴染むことが一番のバリアになると信じていたにちがいない。それが間違った馴染み方だと気づくこともなく、すぐに標準語とかしゃべって、でもそれはちょっとというかかなりエセだったりして、それでもクールな自分を演じていたと思う。
それを知ってからは、東京が少し怖くなくなった。何だか怖かったりつんけんしているように見える人はきっと、孤独と東京に戦っているのだ。彼らも故郷に帰れば、にこにこ顔で道案内したり、おばあちゃんをおんぶしたりしているのだろう。
そして、本当の東京をもっと見てみたいと思った。確かに目を凝らして見てみると、親切な人はたくさんいる。気のせいかもしれないが子どもに優しい人が多いようにも思える。
東京は確かに竜宮城のようだ。美しく豪華で、楽しい。あちこちに玉手箱も転がっているだろう。開けてみるどころか、勝手に開いていて煙がモクモク出ているものもあるかもしれない。しかし、竜宮城の奥の方まで覗いてみれば、案外のどかな暮らしが広がっているのだろう。冷たく、頑固者のおじいちゃんにならないためには、自分の目でしっかりと見極めなくてはいけない。
- 著者
- 古川 日出男
- 出版日
- 2010-03-29
東京に暮らし、事情や問題を抱える人たちが交差していく様子を描いた作品。この本にもし「東京」という言葉が出てこなかったとしても、私はきっと東京を想いながら読みふけっていたと思います。風変りな人々も、街の様子も、そして何より物語のテンポがとても東京的。都会のきらびやかさよりはむしろその裏側を覗いているようなのにそう感じるのです。独特の疾走感と目線に夢中になれる一冊です。
- 著者
- 川上 弘美
- 出版日
- 2019-11-07
このあたりとは、どのあたりなのか。その答えはどこにも出てきません。誰かの日記を覗き見ているようなごく短い物語が連なって構成されているこの本の世界は、実はすぐそばで起こった出来事かもしれないけど、遠い町の出来事かもしれない。でもなんだか、東京でだけはない気がします。上の一冊とは対照的な景色を描いた作品で、近所を散歩しているように読めます。
小塚舞子の徒然読書
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