写実主義とは?ロマン主義との違いや代表作など、日本近代文学を簡単に解説!

更新:2019.12.29 作成:2019.12.29

日本の小説が大きく変化したのは、明治時代のこと。文学界にも西洋化の波がやって来たのです。坪内逍遥は、江戸時代までの戯作的な作品を否定し、新たな手法「写実主義」を編み出しました。後の「ロマン主義」や「自然主義」の礎にもなっています。この記事では、現在の日本文学を作り上げたといっても過言ではない「写実主義」と、その代表作を紹介していきます。

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写実主義とは。意味、ロマン主義や自然主義との違いを解説

 

200年以上続いた鎖国が終わり、欧米の影響を受けて日本の在り方が大きく変わった明治時代。国の制度や人々の生活様式だけでなく、文学のスタイルも変化しました。「写実主義」は、日本の文学界における変化を牽引したといってもよいでしょう。

それまでの文学は、正義の味方が悪を懲らしめる勧善懲悪が主流でした。その一方で、西洋文化を見習って、もっと現実に即した作品を目指そうと発展したのが写実主義です。どこにでもいるような庶民を主人公に据え、喜怒哀楽や欲望をありありと表現するという特徴があります。

そして写実主義がさらに発展して生まれたのが、「自然主義」です。自然主義は、写実主義の要素に、環境や社会などの現実性を加味して執筆されたもので、結果的に貧困や暴力、差別などをテーマにした自伝的作品が多くなっています。

また写実主義と似ているようで少し異なるのが「ロマン主義」です。ロマン主義は写実主義から遅れること数年、森鴎外によって提唱されました。封建制度からの解放をテーマに、個人という概念や感情を丁寧に描写したスタイルです。恋愛物や神秘的な作品が多く執筆されました。

写実主義の誕生、坪内逍遥の『小説真髄』

 

日本の近代文学の第一人者ともいわれる坪内逍遥は、江戸時代末期の1859年に、現在の岐阜県に生まれました。

家庭は比較的裕福で、地方役人の父から漢文などの教育を受けていたそう。また母の影響で、俳句や戯作も好んでいたといいます。根っからの文学少年だったのです。

明治維新後は名古屋に移り住み、愛知外国語学校を経て東京大学の文学部で文学士を取得します。大学卒業後は、現在の早稲田大学の講師を務めながら、シェイクスピアなどの翻訳を手掛けました。

『小説神髄』を刊行した時はまだ26歳でしたが、日本の文学界に大きな影響を与えたことは間違いありません。

著者
坪内 逍遥
出版日
2010-06-16

 

『小説神髄』は坪内逍遥の代表作。「小説とは何であるか」を論じています。

大学で西洋文学を学んでいた坪内は、日本の文学と海外の文学の違いに大きな衝撃を受けました。その頃の日本の文学といえば、勧善懲悪を主題とした教育的な作品や、過去のリメイク物、または下品な娯楽物ばかりだったからです。

『小説神髄』で坪内は、小説を「芸術」として確立しようと提案しています。その手法として、現実的なテーマで、ありのままを書くことを推奨しました。写実主義の誕生です。

教育的な読み物はどうしても型にはまってしまい、また時代遅れな側面もあります。坪内は、そういった枠にとらわれずに、人々に感動を与えられる作品こそが小説であると提言したのです。

小説についての熱意もさることながら、その解説は現在にも通じる面が数多くあって実践的。小説家を目指している人は、ぜひご一読を。

坪内逍遥が写実主義を実践した『当世書生気質』

 

『小説神髄』で、小説のあるべき姿を論じた坪内逍遥が発表した小説です。自身が説いた写実主義を実践するために書かれました。坪内自身が大学生だった頃の経験が盛り込まれていて、各登場人物にもモデルがいるといわれています。

版元のトラブルによって、『小説神髄』よりも先に発表されてしまったという経緯もあり、読者への衝撃も大きく、批判も多かったそうですが、坪内逍遥が奮励して書きあげたとういう、時代を変えた一冊です。

著者
坪内 逍遙
出版日
2006-04-14

 

書生(他人の家に下宿しながら勉学に励む者)の小町田はある日、兄妹同然に育ったお芳と偶然再会しました。経済的事情から芸妓の道に進んだお芳と、学生の小町田。身分が違う2人ですが、逢瀬を重ねるうちに、しだいに惹かれあうようになります。

小町田はお芳に夢中になるあまり、勉学に身が入らなくなる始末。同じくお芳に恋い焦がれるライバルの策略により、学校での立場も悪くなってしまいました。学問への意欲と、お芳への恋心の間で苦しむ小町田。さらに、実の妹の消息を追う守山や男色家の桐山など、個性的な人物が登場し、さまざまな影響を与えます。

写実主義にのっとって、登場人物たちの感情を生き生きと描いた本作。明治時代の大学生たちのリアルな生活の様子を知ることができるでしょう。

古文調で一見読みにくそうですが、勉学に励む書生たちの会話は洒落が効いていたり、英語交じりだったりと、コミカルなことに気付くはずです。日本の小説に革命を起こした作品です。ぜひ読んでみてください。

日本初の言文一致小説、二葉亭四迷の『浮雲』

 

作者の二葉亭四迷は、陸軍士官学校の受験に失敗し、外交官を目指すために現在の東京外国語大学でロシア語を学びます。ここでロシア文学に触れたことから文学に魅了され、坪内逍遥と交流を深めるようになりました。

坪内の勧めを受けて『小説総論』『新編浮雲』を発表しますが、まだ無名だったため自身の名前を使わずに、他人の名義を使用。この件で「くたばってしまえ」と自分を罵った言葉から「二葉亭四迷」というペンネームをつけたという逸話があります。

『浮雲』は、坪内逍遥の『当世書生気質』に納得できなかった二葉亭四迷が、より近代的な小説を目指して書いたもの。日本で最初の言文一致小説としても知られています。

著者
二葉亭 四迷 十川 信介
出版日
2004-10-15

 

叔父のもとに世話になっていた役人の内海文三は、同居する従妹のお勢に想いを寄せていました。叔父夫婦も勤勉な内海を気に入っており、2人は事実上婚約状態です。

しかし、内海は人員整理の際に免職されてしまいます。真面目すぎて世渡り下手なところがあり、上官に媚を売ることができなかったのです。

それ以降、叔父夫婦やお勢から疎まれてしまう内海。そんな彼を、元同僚の本田昇が訪ねてきます。本田は要領がよく、誰にゴマをすればよいかを心得ていて、着実に出世していました。そしてお勢も本田に心惹かれていくのです。

頭はよいけれど生真面目で不器用な内海と、成績は悪くても要領が良くて得をしている本田。そして、その2人の間で揺れ動いているお勢という三角関係を描いた恋愛小説。この3者の関係が、当時の社会情勢とリンクしていて、単なる恋愛小説ではない示唆に富んでいるのが特徴です。急激な近代化の波のなかで思い悩む内海の姿には、時代を超えた現代でも共感できるものがあるのではないでしょうか。

二葉亭四迷が精通していたロシア文学は、当時の世界文学をけん引しており、そんな彼だからこそ書くことができた当時もっとも近代的な作品です。

言文一致小説として文学的評価が高い作品ですが、色あせないストーリーもまた名作といわれるゆえんではないでしょうか。

口語と文語が美しく織り交ざる尾崎紅葉の『金色夜叉』

 

作者の尾崎紅葉は東京生まれ。大学在学中に、山田美妙や石橋思案らと「硯友社」を結成しました。面倒見がよく、多くの弟子を抱え、何度も推敲をくり返して原稿を書きあげていたそう。文学における熱意は他に類を見ないほどでした。

『金色夜叉』は、新聞で連載中から絶大な人気を得ていたために、早く続きを、という読者の要望に応えるように書き続けました。しかし激務は体に堪え、療養しながら執筆を続けていましたが、連載中に35歳の若さで亡くなってしまうのです。

著者
尾崎 紅葉
出版日
2003-05-16

 

両親を亡くした高校生の間貫一は、鴫沢家に引き取られました。養父母は勤勉で素直な貫一のことを気に入り、ゆくゆくは一人娘の宮と結婚して家督を継いでもらうよう計らっています。

しかし、銀行家の御曹司である富山が宮を見染めたことで、貫一の人生は一転。養父母も宮も、貫には申し訳ないと言い訳をしながらも、富山との結婚を選んだのです。

ともに歩んでいくはずだった2人の前に、突然現れた別れ道。それから彼らは、どのような未来に進むのでしょうか。

尾崎紅葉が所属していた硯友社が目指したのは、写実主義を踏まえた、江戸時代風の娯楽的な作品作りでした。この西洋化に反する流れは「擬古典主義」と呼ばれています。『金色夜叉』のテーマは「お金か愛か」。お金よりも愛が大事だと叫んだ貫と、お金を選んだ宮。現実でも創作の分野でも、古くから論じられているテーマです。

また『金色夜叉』がベストセラーになった理由は、文章の美しさにもあります。地の文は文語調、会話文は口語調と書き分けられているスタイルは、現在では珍しくないものの、当時では画期的なものでした。

尾崎紅葉が命を削って書いた作品。未完といわれることが多いですが、尾崎の死後は弟子のひとりが書き継いでいるので、結末まで読むことができます。

写実主義にのっとった擬古典主義で男の信念を綴った幸田露伴の『五重塔』

 

作者の幸田露伴は東京生まれ。現在の都立日比谷高校に通っていた時は尾崎紅葉とも同級生でしたが、家庭の事情で中退しています。

紆余曲折のすえに電信技師として働いていましたが、『小説真髄』や『当世書生気質』を読んで、文学の道を目指すことを決意したそう。25歳の時に発表した『五重塔』は絶大的な人気を獲得し、人気作家のひとりとなりました。尾崎紅葉と人気を二分していた時期は「紅露時代」と呼ばれています。

幸田はひとりで創作活動をおこなうことを好み、文学の結社に参加することはありませんでした。また自身の作品の執筆期間はあまり長くなく、古典の評釈をメインに活動するようになります。

著者
幸田 露伴
出版日
1994-12-16

 

人望が厚く、弟子たちからも慕われていた大工の親方・源太。感応寺の五重塔の建立を請け負いましたが、その仕事を横取りしようとする者が現れました。十兵衛です。

十兵衛は、大工としての腕はよいものの人付き合いがうまくなく、小さな仕事しか頼まれない日々を過ごしていました。職人としてのプライドを賭け、大きな仕事を成し遂げたかったのです。

騒動のすえに棟梁となった十兵衛ですが、職人気質の彼の偏屈ぶりに、ほかの大工たちの不満は募るばかり。ついに事件が起こってしまいます。

『五重塔』のテーマは、源太と十兵衛という2人の大工を巡る人情です。人気者の源太と嫌われ者の十兵衛。そっと見守る源太と、我が道を行く十兵衛。対極にいる2人が、何を大切にしてどう生きるのかを描くことで、さまざまな価値観を汲み取ることができるでしょう。

幸田露伴も、尾崎紅葉と同様に写実主義にのっとった擬古典主義をとっていました。娯楽的路線ではなく、人間としての理想の姿を追い求める作風であることから、「理想主義」とも呼ばれています。

言文一致の流れには沿わず、すべて文語体で執筆されています。しかし人物描写が適確で文章もシンプルなので、慣れていない人でも読み進めることができるでしょう。

文学的背景を知ると、ただのフィクションではなく、違った視点から小説を楽しむことができます。古い文体が苦手という人は、現代語訳版を読んでみてください。