日本近代文学の一翼を担った白樺派。国語や日本史の授業で習ったものの、教科書以外で作品を読む機会はあまりないのではないでしょうか。この記事では、自由と個性を求め、新たな時代の開拓者となった白樺派の思想の特徴や、主な作家の代表作を紹介していきます。
1910年4月、学習院出身の武者小路実篤、有島武郎、志賀直哉らによって、文芸雑誌「白樺」が創刊されました。
当時はラジオすらない時代。雑誌のもつ影響力は大きく、「白樺」の文芸思潮と同人たちは「白樺派」と呼ばれるようになります。
彼らは、ロシアの思想家トルストイの文学から影響を受けた人道主義を基板に、理想主義、個人主義を追い求めました。
また「白樺派」は、世に認められる前に亡くなった芸術家ゴッホの清貧な生きざまに共感します。有島武郎は実際に自身の財産を小作人に分け与え、武者小路実篤は宮崎県に村落共同体「新しき村」を開拓するなど、ブルジョア的世界観からの脱出も試みていたのです。
その一方で「白樺派」に対しては、上流階級の戯れ言という批判も強く、1923年9月に起きた関東大震災の影響で雑誌は廃刊しました。
1885年生まれ、東京都出身の武者小路実篤。子爵家の末子として育ち、初等科から学習院に進学。その後、東京帝国大学の哲学科に進むも中退しました。
20代なかばで雑誌「白樺」を創刊した際は、「文壇の天窓を開け放った」と称えられ、以降同誌の中心メンバーとして活躍します。
階級闘争の無い世の中を目指し、自然と社会の調和を理想とする「新しき村」を宮崎県に設立。およそ6年間、農作業をしながら執筆活動を続けました。
晩年は美術への関心も高まり個展を開催するなど、さまざまなことに挑戦しつづけた人物です。
- 著者
- 武者小路 実篤
- 出版日
- 2003-03-14
1919年に新聞掲載された『友情』。武者小路実篤の代表作です。
物語は、野島と大宮という、文学を志す2人の青年を中心に進んでいきます。野島は友人の妹の杉子に恋をし、その気持ちを大宮に打ち解けていました。2人は互いに敬意をもち、強い友情で結ばれていましたが、それゆえに友人の思いを知りながら自身も杉子に惹かれていく大宮の苦悩が大きくなっていくのです。
男女の三角関係と友情という、言ってしまえばありふれたテーマですが、だからこそ武者小路実篤の圧倒的な筆力が光ります。登場人物たちの真面目すぎる性格は、読んでいて気持ちがよく、本作が長年愛される理由がわかるでしょう。切なくも爽やかな青春恋愛小説です。
1878年生まれ、東京都出身の有島武郎。元薩摩藩士で大蔵省の官僚だった父親から、旧士族の長男にふさわしい英才教育を受けて育ちました。
学習院の中等科を卒業した後は、札幌の農学校に入学。その後アメリカの大学に進学し、西洋哲学の影響を強く受けたそうです。帰国後に、武者小路実篤や志賀直哉と知り合い、「白樺」に参加。小説や評論を発表しました。
妻を病で亡くした数年後、人妻への恋に苦しみ、45歳で自殺をしています。
- 著者
- 有島 武郎
- 出版日
1918年に発表された『小さき者へ』は、妻を亡くした経験をもとに記された短編小説です。まだ小さなうちに母親を失った3人の子どもたちに向けて、これから先の人生で困難があろうとも恐れずに前へ進んでいけ、恐れない者の前に道が拓けると伝えています。
感傷的になるのではなく、そっと寄り添いながらエールを送るような内容。子どもの成長を見ることができなかった妻への思い、3人を抱えることになった責任感、そして彼らへの愛情などさまざまな想いを感じることができるでしょう。
力強い文章のなかに、どこか遺言めいたニュアンスも感じられるのも特徴です。
1883年に宮城県で生まれた志賀直哉。「小説の神様」「日本文学の故郷」と評価され、芥川龍之介や夏目漱石からも「志賀のような文章は書きたくても書けない」と言われています。
初等科から高等科まで学習院で過ごしました。志賀が2度留年したため、途中から武者小路実篤と同級生になっています。
卒業後は東京帝国大学に進学。在学中に雑誌「白樺」を創刊し、『城の崎にて』や『范の犯罪』『小僧の神様』などを発表しました。
- 著者
- 志賀 直哉
- 出版日
本作は、志志賀文学を確立した円熟期の作品から厳選された18の短編が収められています。このうち真骨頂と評価されている『城の崎にて』は、1917年に発表された私小説です。
山手線の列車にはねられ怪我をした主人公。養生のため、兵庫県の温泉地、城の崎に滞在します。話相手はおらず、秋の寂しい風景に気分が落ち込みますが、死にゆく蜂やねずみに親しみを感じ、自己を投影していくのです。
作為的なものを捨て、簡潔でリアリズムを追求した文体が特徴。10ページにも満たない短い文章から生と死を考えらえる作品です。
1888年に東京で生まれた長與善郎。1912年、学習院から東京帝国大学に進み、同年に「白樺」に参加しています。
1917年に発表した戯曲「項羽と劉邦」で文壇的地位を確立。白樺派らしい人道主義的な作風でが特徴です。「白樺」廃刊後は、その跡を継ぐ雑誌「不二」を主宰しました。
- 著者
- ["長與 善郎", "四方田 犬彦"]
- 出版日
- 2015-07-03
日本が「満州国」を建国してから6年後の1938年に刊行された作品。当時の満州の姿をリアルに描いた少年向けの内容になっています。
物語は、父親が中学生と小学生の2人の息子を連れて満州に旅行へ行くという設定。旅をしながら満州について学び、東満や北満、熱河などをめぐる様子が写真とともに描かれています。
満州国というと、現代ではともすればマイナスのイメージが強いかもしれませんが、本作からは「五族協和」をスローガンに掲げて5民族の共存をはかった、明るい近代国家の姿をうかがい知ることができます。当時の日本人が、満州国に大きな期待を寄せていたことがわかるでしょう。子ども向けの作品ですが、読みごたえのある一冊です。
最後に番外編として、白樺派の作家たちが登場する現代作家の作品を紹介します。作者は、アートと物語を求めて世界中を旅する小説家、原田マハです。
早稲田大学で美術史を学んだ原田は、商社や美術館勤務を経て、フリーのキュレーターになった経歴の持ち主。2005年に『カフーを待ちわびて』で「日本ラブストーリー大賞」を受賞し、小説家デビューしました。
2016年に刊行した『リーチ先生』では、日本で活躍したイギリス人陶芸家バーナード・リーチと、白樺派の文人たちの交流を描いています。
- 著者
- 原田 マハ
- 出版日
- 2019-06-21
主人公は、大分の小鹿田で陶芸修行中の沖高市。そこで世界的に有名なイギリス人陶芸家バーナード・リーチと出会い、亡き父の亀乃介がかつてリーチに師事していたことを知ります。
実在するリーチと、架空の人物である沖親子を用いて、当時の美術史や文学史の流れを体験できる一冊。彼らがともに陶芸に打ち込んだこと、日本を愛したリーチがついに陶芸の名士である尾形乾山の名を免許されたことなどが、ひたむきな文章で活き活きと描かれているのが特徴です。
原田マハは、史実にもとづいたフィクションの名手。武者小路実篤や柳宗悦など、白樺派の面々とリーチが芸術に情熱をぶつけあう姿にも心打たれるでしょう。