松久淳『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』に共感しすぎる件【山本裕子】

寒いですね。

暖冬だかなんだか知りませんけど。それでも寒いですよ。冬なので。

寒いと、あれですね、なーんにもする気が起こらないのは、これはあれですかわたし個人の資質の問題ですか、それとも。

状況さえ許すならば、もうずううっと布団から出ずに、ア○プラで洋ドラ見たり、ケータイで2次創作読んだりして、無為のまま人生を全うしたいですよ。

無人島に何持って行くかきかれたら、テレビとリモコン、と答えますよ。

「アレクサ、洋ドラみせて」

待て待て、せめてそこは、本だろ、と。

ここ、ホンシェルジュだろ、と。ごもっとも。

無人島、Wi-Fi飛んでないし。

でもここのところ急に、老眼が進んでのう~ゴホゴホ。

こうなると一気に、本を手に取るのが億劫になるんじゃよ。

夕方以降なんて、お子に読み聞かせる絵本の字すら見えんのじゃ。

真っ暗な中、長時間ケータイで2次創作(しかもこまかい英字)読んでたのが悪かったのかのう~。よぼよぼ。

よぼよぼといえば、この夏、夫とお子がホームセンターで買ってきた外国のカブトムシ(『セミ、カブトムシ等。結婚。子ども。岡村ちゃん』参照のこと)【←ここ、すみませんが、リンク貼ってください】のカブ太郎(通称:太郎ちゃん)も、気温の低下かあるいは寿命か、活動量が激減しましてね。

朝、虫かごをのぞくと、そこにはピクリとも動かない太郎ちゃん。もしかして、とうとうそのときが。ああ、ああ。

プラスチックの虫かごを、指先でコツコツ、コツコツ。太郎ちゃああ~~ん!

……よぼよぼ、よぼ。

太郎ちゃんは、その細い触覚を振り上げるのだった。

太郎ちゃん!よかった!

昨日の夜、お腹を上にして転がってるのを見たときは、あえて見なかった振りをしたけれど、てっきり、もう、あれなのかと。

おまえもわたしと同じだね。寒くて、動きたくないんだね。

じつはわたしも、今朝ジョギングをさぼってしまったんだ。正確には、今朝どころか、ここ1カ月半、丸々さぼっているんだ。

それまでだって、決して勤勉に走ってた訳じゃない。せいぜい週に2~3回、ひどいときには週イチで、10キロ弱をよろよろ走ってただけだけど、それでも。

走る前に一応形ばかりやってたストレッチもしなくなったから、体はバキバキだよ。

ズボンはくと、お腹・背中周りに、なにか差し支えるものがあるんだ。これ、寒くなって厚着してるからだと思ってたけど、もしや。

環境が変わればきっと、と、こないだ2週間の旅公演に、ジョギング用具一式持っていったけど、1回も包みを開けなかったよ、1回も。

それに、これは寒い時期の朝あるあるだけれど、朝走らないと、シャワー浴びない。

→顔洗うの忘れる

→化粧水もろもろ忘れる

→化粧、ナニそれ、おいしいの?

みたいな流れ、ほんと、どうかと思う。

ファンデーションがいつまでたってもなくならないんだ。なんだろうあれ。決してなくならない魔法がかかっているのかな。

睡眠の質もいまひとつだ。今からすぐ、本番なのに、段取りもセリフをまったく知らない!うわああ!台本どこ?!!っていう夢ばかり見るよ。

ああ、夢でよかった。

おはよう、太郎ちゃん。

走る奴なんて馬鹿だと思ってた

著者
松久 淳
出版日
2019-06-15

健康とフィットネスの総本山、雑誌『Tarzan』での連載を単行本化。

完全文化系夜型生活者である作家・松久淳の、ジョギングエッセイです。

なぜ45才のときに、意を決して走り始めたのか。最初は50メートルで足がもつれた軟弱ボディは、なぜ走ることに「はまった」のか。そしていつ、10キロ以上を平気で走れるようになったのか。そして挑んだフルマラソン。その結果は? というのが、おおよその本書の内容です。
走る奴なんて馬鹿だと思ってた。
本気でそう思っていた。もちろん完全な偏見だ。競技ならともかく、素人がただ長距離を走って何が楽しいのだろう。マラソンに人生を重ねるような物言いも「けっ」と思っていたし、ランウェアも顔つきも、なんだかランナーの「本気感」もうっとうしい。

完全に、はげしく、同意。一字一句たがわず同意。

わーかーるーわぁ~。ガチランナーのおっさんの穿く、B'z稲葉もまっさおなピチ短パンとか、マジないわ~。

最初の見出し、

マラソンは人生だなんて言わないよ絶対

の通り、しゃらくさい人生観、とか、ランニングの実用的アドバイス、とかそういうの一切ありませんので、どうかご心配なく。安心して読めるわ~。

コンプリート癖、マニア癖のあるひとが、あるひとつのこと(この場合ランニング)にはまっていき、いつしか薬物依存のごとく、ずるずると抜け出せなくなっていく様、を克明に記した記録、というようなもので、なんせニヤニヤ読めます。

原因不明の体調不良に長年悩まされたのち、ついに、かかるお医者みんなが口を揃えて言う

「太陽を浴びて運動してください」

とのアドバイスに従うため、やむなく始めたランニング。

それは、当初抱いていた「走る奴なんて馬鹿」という偏見を、わりと一気に払拭していくのであった。

あああ、それもわかるわ~~。

わかるわかる、うるさいですか。共感アピールはもういい。

走ることによる身体的な楽しみよりも、今日は何キロ走ろう、どこまで行こう、月に何キロ達成しよう、といったマニア体質が、モチベーションアップにもろに直結。

ラン用アプリの結果を見るのが楽しみで走るという、健康的本末転倒ぶりで、毎晩深夜の居酒屋でランアプリの結果のGPS地図をニヤニヤ見ながら、チューハイのおかわりが止まりません。

初めて5キロを走れた日の居酒屋で、

最初に100メートルで倒れそうになっていた私にしてみれば、5キロとは前人未踏のフロンティア。
「宗兄弟の背中が見えてきたな・・・・・・」
グラスを傾けながら思わずそう呟いて、遠い目をしてしまう60年代生まれなのだった。

さて「いっぱしなランナー気分」となった作者はこの後、ラングッズを購入していく過程で黒とオレンジのスポーツサングラスを買い、気分はイチローに。

さらに、ナイキのオレンジと黒のシューズを買ったことで、それは巨人・鈴木尚広へと変貌を遂げる。

オレンジ色の手袋にオレンジ色のシャツ、黒のパンツ、が基本姿勢となり、それからのランウェアは

「いつジャイアンツのスカウトの目に留まってもいい」

ことがテーマとなってゆく。

ね、どうかしているでしょう。

こんな感じでどんどん走っていって、ケガして、無理して走ってさらにケガして、ちょっと休んで、また走ってケガして、というのを繰り返しつつ、それでも走り始めて9カ月後には、キロ5分のペースでハーフマラソンの距離を走れるようになっちゃってるし、2年後にはフルマラソン完走しちゃってるし。

「シン・ゴジラ」にドハマリした結果、ゴジラがたどったルートを聖地巡礼的に走ったり(ゴジララン)、大阪行ったついでに大阪城を走ったり(大阪城ラン)、名古屋の栄からナゴヤドームまで走ってドアラの看板と自撮りしたり(ドアララン)、などなど、開拓したコースも満載。

中目黒、自由が丘、二子玉川などなど、しゃらくさい街を汗臭く疾走していく姿もすてきです。そして故障して、足引きずって帰るの。

走ってるひとも走ってないひとも、ランニングに興味あるひともないひとも楽しめますのでぜひ。


こんなふうに、わたしもいつか、この無気力から一歩を踏み出せるでしょうか。

それとも春が来るのが先でしょうか。

なくならない魔法のファンデーションは、買ってから7年くらい経ってることに気づいたので捨てます。

そして、新しいファンデーションをポチるのよ。

ポチるだけなら犬でもできる。

犬だけに。

ではまた次回。





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