自然主義とは。日本近代文学の作家と『蒲団』など代表的な作品を紹介!

更新:2020.1.21 作成:2020.1.21

日本の近代化が加速度的に進んでいった明治時代末期に誕生した、自然主義文学。ヨーロッパの影響を受け、日本独自のリアリズムへと傾斜していきました。この記事では、代表的な作家とおすすめ作品を紹介していきます。

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自然主義とは。歴史や写実主義との違いなどを簡単に解説

 

「自然主義」とは、19世紀末にフランス人作家のエミール・ゾラが提唱した文学運動のことです。ゾラは自然科学の視点から、人間の行動や一生を客観的に解明しようとしました。

当時は産業革命が起こったことで階級格差が急速に広がっていて、人々は芸術のなかにもリアリズムを求め、理想や幻想を追求する古典主義やロマン主義が衰退していったのです。

ところが「自然主義」は日本に伝わる際に正しく伝承されず、人間の本質を赤裸々に描くリアリズムと受け止められます。そのため坪内逍遥などに代表される「写実主義」との区別はややあいまいです。ただ「自然主義」が発展したことで、文学が社会の矛盾や人間の欲望を深く掘り下げる方向へ進んだことは、間違いないでしょう。

 

自然主義文学の代表作といえば、島崎藤村の『破戒』

 

1872年生まれ、現在の岐阜県にあたる信州木曽出身の島崎藤村。国学者だった父親の影響を受け、幼い頃から勉学に励み、現在の開成高校、明治学院大学に進学します。卒業後は英語の教師となり、そのかたわらで執筆活動を始めました。

1893年、北村透谷らと文芸雑誌「文学界」を創刊。ロマン派の詩人として『若菜集』などを発表します。後に曲がつけられて教科書などにも掲載された「椰子の実」は有名でしょう。

その後結婚して父となり、日露戦争などを経験すると、現実問題に関心を移してロマン派と決別。小説『破壊』で本格的な自然主義作家として活動を始めました。

 

著者
島崎 藤村
出版日

 

1905年に発表された島崎藤村の長編小説です。翌1906年に自費出版しました。

主人公は、小学校の教員をしている瀬川丑松。父親からは、部落出身だという身分を誰にも漏らすなと厳しく戒められてきました。しかし丑松が敬愛する思想家で、同じ部落出身の猪子蓮太郎は、自らの出自を新刊書のなかで堂々と告白しています。それを見た丑松は、身分を隠し続けることに悩むようになるのです。

本当のことを言えない苦しみと、本当のことを言ったら差別されるという苦しみに葛藤する姿が印象的でしょう。

猪子の死を受けて、ついに丑松が出自を告白。それでもなお受け入れてくれる友人がいる一方で、世間の大半は手のひらを返したように追い詰める様子はリアリティがあります。自然主義文学の先陣を切ったといわれる、島崎藤村の代表作。ぜひ読んでみてください。

 

私小説の起源はここにあり『蒲団・重右衛門の最後』

 

1872年に栃木県で生まれた田山花袋。代々、秋元氏の藩士を務めていた家柄でしたが、6歳の時に父親が「西南戦争」で亡くなったため、わずか9歳で丁稚奉公の身となります。

その後、兄の計らいで学問に触れる機会を得て上京。漢詩や和歌を習得します。1891年には尾崎紅葉に入門しました。

1896年、国木田独歩や島崎藤村と出会い、共同で「抒情詩」を発表。また従軍記者として参加いた「日露戦争」で軍医だった森鴎外と親しくなり、徐々に自然主義文学へと傾倒していきました。

 

著者
田山 花袋
出版日
1952-03-18

 

自然主義文学の方向性を決定づけたとされる、田山花袋の『蒲団』。1907年に発表された中編小説です。盟友の藤村と独歩が自然主義文学作家として名声を得ていることを受け、焦りと、自分に対する失望のなかで書きあげたといわれています。

物語は、花袋に師事していた女弟子との関係がもとになっており、女弟子が使っていた蒲団の匂いを嗅いで涙し、恋しい気持ちを募らせる中年男の内面が赤裸々に描かれているのが特徴です。

妻子ある身で女弟子に恋をし、彼女の恋人に激しい嫉妬心を燃やす内容は賛否両論が巻き起こりましたが、日本の自然主義文学の流れが私小説へと向かう最初の作品として歴史に刻まれました。

 

田山花袋だからこそ描けた自然主義文学『田舎教師』

 

『蒲団』で一気に文壇から注目された田山花袋は、老いた母の病と死を描いた『生』、花袋自身と妻をモデルにした『妻』の長編小説を発表します。

そして『蒲団』から2年後の1909年、長編書き下ろし小説『田舎教師』を発表し、島崎藤村らと並ぶ自然主義文学作家の地位を確かなものにしました。

 

著者
田山 花袋
出版日
1952-08-19

 

貧しい家庭に生まれ育った林清三。上級学校へ進学することはできず、文学を志しながらも田舎で教師をやることになりました。

安い賃金で田舎暮らし……このまま自分は終わってしまうのかという焦りと、いずれこの生活から抜け出てやるという野心から、文学仲間と同人誌を発行。しかし彼らはやがて、文学を捨てて芝居や女遊びに夢中になり、清三もまた自棄になって女にはしり、借金が膨らんでいくのです。

田山花袋自身が貧しい環境で育ち、文学者として藤村や独歩に遅れをとっていたからこそ描くことのできた、リアリティのある自然主義文学だといえるでしょう。環境に負けて流されていく清三を客観的に描くことで、彼のもつ野心と挫折が読者の心に響く傑作です。

 

ロマン主義と自然主義の融合が美しく切ない『春の鳥』

 

自然主義文学の先駆者といわれた国木田独歩。旧龍野藩士の父親と、旅籠の奉公人との間に生まれた不貞の子でした。彼自身も己の出生に悩みながら育ったそうです。

やがて文学を志すようになり、英語教師から新聞記者へと転身。さらに詩人やロマン主義作家として数々の作品を発表しました。

1903年に発表した『運命論者』『正直者』で自然主義に。「日露戦争」の翌年に発表した作品集『運命は』は文壇で大きな注目を浴び、自然主義運動の騎手と見なされるようになるのです。

 

著者
国木田独歩
出版日
2016-07-31

 

『春の鳥』は、1904年に雑誌「文学世界」に発表された短編小説。独歩が大分へ赴任した教師時代の経験がもとになっています。

田舎の学校へ赴任した「私」は、下宿先の家族に白痴の姉弟がいると知りました。彼らの父親は放浪のすえに死んでいて、母親も白痴に近い状態です。主人公は、3人の面倒を見ている主から、弟の特別教師になってくれと頼まれ仕方なく引き受けることになりました。

努力も虚しく数を数えることもできない六蔵を禽獣同様と思いつつ、古城跡で俗歌を歌う彼を天使だとも感じる主人公。しかし、ある日六蔵が古城跡から落ちて、死んでしまうのです。

ロマン派の詩人ワーズワースの流れをくむ「白痴賛美」の物語という評価もありますが、この物語にはロマン主義から自然主義へと変化していく国木田独歩の、現実を見据える視線をしっかりと感じとることができるでしょう。

 

夫婦の日常をあるがままに描いた、自然主義文学の隠れた名作『新世帯』

 

徳田秋声は1872年、石川県金沢市にて、没落士族の末子として生まれました。本の虫だったそうで、10代で小説家を志し、尾崎紅葉の門下に入ります。やがて泉鏡花や小栗風葉、柳川春葉と並び「紅門の四天王」と呼ばれるほどになりました。

1908年に自然主義文学の1作目となる『新世帯』を発表。その後短編集『秋聲集』や私小説『黴(かび)』、大正時代に入り運動が衰退した後も『爛(ただれ)』『あらくれ』など次々と新作を発表し、自然主義文学者としての地位を確立します。

 

著者
徳田 秋声
出版日
1955-11-05

 

『新所帯』は1908年に「国民新聞」に連載された中編小説です。秋声が以前住んでいた、東京小石川にある酒屋の夫婦がモデルになっています。

酒屋の新吉は、お作という金物屋の娘と見合い結婚をします。仕事人間の夫と、不器用で気が利かない妻の仲はギクシャクしていきますが、そんな新所帯へ新吉の友人の妻が転がり込んでくるのです。

山場もオチもない、市井の平凡な夫婦の話を、感情を排除し淡々とあるがままに描いている究極のリアリズムの世界。これぞまさに自然主義文学といえる、名作です。