織田信勝(信行)はどんな人?兄の織田信長と対立、家臣に裏切られる最後とは

更新:2021.11.21

織田信長の前半生を語るうえで欠かすことのできないライバルのひとりが、実の弟である織田信勝(信行)です。この記事では、信長や信次との対立、「稲生の戦い」、家臣に裏切られる最後など信勝の生涯をわかりやすく解説していきます。

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織田信勝(信行)の生涯。「弾正忠」をめぐり、兄の信長と敵対

 

織田信秀と土田御前(どたごぜん)の間に生まれた織田信勝。織田信長のすぐ下の弟です。信秀にはわかっているだけでも25人の子がいますが、そのなかで土田御前が生んだのは信長、信勝、秀孝、信包、市、犬の4男2女とされています。

織田信勝は、江戸時代に成立した『織田系図』には「織田信行」と記載され、一般的にも信行という名で知られていました。しかし同時代の史信頼性の高い史料によると、「信勝」「達成」「信成」と名乗っていた記録はあるものの、「信行」という名は確認されませんでした。この記事では、「織田信勝」に統一して解説していきます。

信勝が生まれた織田家は、尾張の守護である斯波家のもとで守護代を務める家柄。しかし1467年の「応仁の乱」で東西に分裂し、以降は尾張上四郡を織田敏広の「織田伊勢守家」が、尾張下四郡を織田敏定の「織田大和守家」が治めるという体制がとられていました。

織田大和守家には「清洲三奉行」と呼ばれる分家があり、それぞれ「因幡守家」「藤左衛門家」「弾正忠家」と名乗っています。織田信勝の父である織田信秀は「弾正忠家」の当主で、門前町や港湾都市として栄えていた津島を支配することで、主家を凌ぐほどの力を有するようになっていました。

ちなみに「弾正忠」とは、もともとは太政官制にもとづき設置された、治安維持を担う「弾正台」という官庁の役人のこと。主な職務は、中央行政の監察や京の風俗の取締りなどでしたが、816年頃に警察組織「検非違使」が設置されてからは、その権限を失っていました。

戦国時代に「弾正忠」を称したのは、織田弾正忠家の歴代当主や松永久秀、上杉謙信など。彼らは朝廷に正式に任命されていましたが、そのほか高坂正信や真田幸隆、保科正俊などは任官の記録が確認されておらず、自称だと考えられています。

織田弾正忠家にとって「弾正忠」を名乗ることは、当主を意味し、1552年に織田信秀が亡くなった後は、織田信長がこれを名乗ります。しかし信長が父から那古野城を与えられていたのに対し、信勝も末森城を与えられていたのです。

史料によると、当時の両者はほぼ同等の権限を与えられていたことがわかっています。そのため信秀が亡くなった時点では、どちらが家督を継承してもおかしくない状態だったのだとか。1553年頃には織田信勝が当主の証である「弾正忠」を名乗り、1554年頃には名前を「達成」に改名しています。

同じ頃、織田大和守家と織田弾正忠家が対立し、織田信長と叔父の信光によって織田大和守家が滅ぼされる事件が起こりました。

信勝が名乗った「達成」の「達」という字は、織田弾正忠家にとって主君にあたる織田大和守家当主の通字です。そのため信勝が達成に改名したのは、滅亡した織田大和守家の役割を自らが代行する意思を示したものだとも考えられています。

一方で織田大和守家を滅ぼした織田信長は、尾張守護である斯波義統の長男、義銀を保護。こうして信長と信勝は、対立を深めていくのです。

織田信勝は弟の秀孝を暗殺され、叔父の信次とも対立

 

織田信長と織田信勝の関係が悪化するなか、不幸な事故が起こります。

1555年7月24日、庄内川付近にある松川の渡しという場所で、彼らの弟にあたる織田秀孝が、叔父で守山城主を務めていた織田信次の家臣に、殺されてしまったのです。

信次が家臣を連れて川狩りに興じていたところ、秀孝がそばを馬に乗って通りかかり、領主の前で下馬もせずに通り過ぎようとする不届き者と誤解されたのでした。秀孝は当時まだ15歳ほどで、容顔美麗な美少年だったそうです。

信次は報復を恐れて逃亡しましたが、信長は単騎で信次の領内を通行していた秀孝自身にも落ち度があるとして、罪を問いませんでした。

しかし織田信勝は兄の判断に従わず、柴田勝家や津々木蔵人らを連れて出兵し、報復として守山城下を焼き払いました。

逃亡した信次の後任には、織田安房守が任じられます。彼は別名「信時」「秀俊」とといい、信長や信行の弟にあたる人物。しかし着任してまもなく、守山城年寄衆の角田新五によって殺害されてしまうのです。

これは、安房守が守山城年寄衆だった坂井喜左衛門の子である孫平次を寵愛していたことに、角田が反発したもの。しかし後に角田が信勝陣営で活動している記録があるので、信勝が角田を唆して、信長側だった織田安房守を謀殺したのだといわれています。

織田信勝、ついに兄の織田信長に挙兵!「稲生の戦い」を解説

 

「うつけ者」と呼ばれ、織田家中では孤立気味だった織田信長には、後ろ盾となる人物が4人いました。

まずは父親である織田信秀、2人目は世話役だった平手政秀、3人目は叔父の織田信光、4人目は舅の斎藤道三です。しかし信秀は1552年に病没、平手は1553年に自害、信光と道三も1556年に討ち死にしているのです。信長は孤立を深めることになりました。

一方の織田信勝は、斎藤義龍や織田伊勢守家らと手を結びます。織田弾正忠家の宿老である林秀貞や、猛将として名高い柴田勝家なども、信長を見限って信勝に従いました。

信長を支持していた者のうち、数百人規模の動員能力があったのは佐久間氏のみ。あとは中規模、小規模の武将しかいません。そのためこの頃の信勝の勢いは、信長を大きく凌いでいたと考えられています。

そのような状況のなか、1556年に織田信勝が挙兵。両者は、尾張にある春日井郡庄内川の近くで激突しました。これを「稲生の戦い」といいます。『信長公記』によると、織田信長軍は約700。対する織田信勝軍は、約1700の戦力だったそうです。

まず織田信長軍と、信勝側の柴田勝家軍が激突。猛将として知られる柴田勝家に本陣近くにまで攻め込まれ信長軍は苦戦しましすが、森可成らの奮戦によって持ちこたえ、さらに信長が大声で怒鳴ると、恐れをなした柴田勝家軍が逃げ出し、戦況は逆転します。

家督争いで敵味方に分かれたとはいえ、同じ織田弾正忠家同士の戦いであったことから、両軍の兵士間には顔見知りもいれば、親類縁者も多かったと考えられ、柴田勝家軍の士気が低かったことが敗因でした。

その後信長軍は、信勝側の林秀貞軍と激突。こちらも信長軍の勝利に終わります。

敗北した織田信勝は、末森城に籠城。信長はこれを包囲して攻めかかりました。しかし母である土田御前の仲介によって、信勝だけでなく柴田勝家や林秀貞も許され、兄弟による武力衝突は終了したのです。

織田信勝の最後。家臣の柴田勝家、津々木蔵人との関係は

 

「稲生の戦い」で敗れた後、織田信勝は「弾正忠」や「達成」といった織田信長に対抗する意味をもつ名を捨て、「織田武蔵守信成」と名乗るようになります。

しかし、表向きは信長に恭順する意を示しつつも、敵対心を捨てたわけではありませんでした。そんな信勝の心情は周辺の反信長勢力にも明らかだったようで、1557年4月には美濃の斎藤義龍から再度の決起を促す書状が届けられています。

また1558年に、信勝は駿河の今川氏への備えという名目で竜泉寺城の築城を開始。これを信長に対抗するためだと考える者もいました。

いずれにせよ、織田信長にとっても織田信勝は、警戒する存在であることに変わりありません。

やがて、信勝が信長に兵を挙げようとしているという情報が、信長の耳に届きます。その情報を伝えたのは、なんと信勝の重臣だった柴田勝家です。

1度は信長を見限り、信勝についた柴田勝家でしたが、「稲生の戦い」での戦いぶりや、その後の寛大な処置に感激し、信長に忠誠を誓っていました。

一方で勝家は、戦に敗れて命を助けられたにも関わらず、なおも家督を狙って策謀を巡らせる信勝に失望を感じていたそう。また信勝が新参者の津々木蔵人を重用し、自分をないがしろにする態度にも怒りを覚えていました。

柴田勝家によって信勝が謀反を企んでいることを知った信長は、1558年11月、仮病を使います。そして見舞いにやって来た信勝を家臣に襲わせ、殺害しました。

織田信勝を排除した織田信長は、その数ヶ月後には岩倉城の織田伊勢守家を滅ぼし、尾張をほぼ統一するのです。

若き日の織田信長を描いた小説

著者
杉山大二郎
出版日
2019-11-22

 

織田信長を主役にした本は数多くありますが、本作は若き日の信長を描いた歴史小説です。「桶狭間の戦い」も「本能寺の変」も出てきません。中心となるのは、弟である織田信勝との争いです。

家督を継承した頃の織田家は、父の信秀が「加納口の戦い」や「小豆坂の戦い」で敗れたことで多くの有力な家臣を失い、周囲の強国にいつ飲み込まれてもおかしくない状況でした。また尾張の国内も、織田一族間の争いで四分五裂しています。

そんななかでも信長は、殺し合わなくてもよい世の中「天下静謐」を実現するために熱い血潮を滾らせていました。そしてそんな彼に、前田利家や丹羽長秀、そして織田信勝側だったはずの柴田勝家さえもが引き込まれていくのです。

作者は、もともと歴史を専門とするプロではなく、IT企業の経営幹部や経営コンサルタントを務めてきた人物。大胆な構想で、壮大な物語を仕上げています。

もしも織田信勝が生きていたら……?

著者
ツマビラカズジ
出版日
2017-05-30

 

本作は、インターネット上で連載されていた作品の書籍版。全3巻のライトノベルです。

現代を生きるサラリーマンが突然、病に倒れた織田信長の見舞いに行く途中の織田信勝に憑依するところから物語は始まります。

いきなり暗殺の危機に瀕する織田信勝。主人公は現代の知識を駆使することで、何とか乗り越え、戦国の世をたくましく歩んでいくのです。

ライトノベルならではのわかりやすい文章で、ぐいぐいと読み進めることができるでしょう。時代背景などはストーリーを邪魔しない程度に適宜説明されるので、必要最低限の理解で十分に楽しむことが可能です。

もし生き残ったのが、織田信長ではなく織田信勝だったら……そんな想像をしながら楽しく読める作品になっています。

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