イタリアは、中世ヨーロッパにおいて経済的にも文化的にももっとも発展していた国で、「革新運動(ルネサンス)」もイタリアから始まりました。革新運動とは、ギリシャやローマの古典文学を復興させようという運動で、強すぎる教会の支配から離れ、人間を中心とした作品を描こうとしたものです。この記事では、当時大ヒットした作品から現代の名作、さらには有名な児童文学も紹介していきます。
深い眠りから目覚めたダンテは、暗い森の中にいました。長年尊敬していたウェルギリウスという古代ローマの詩人と出会い、彼の案内で地獄と煉獄(れんごく)を旅することになります。
地獄には、生前の罪に応じて罰を受けている人々がいました。なかでももっとも重い罪は「裏切り」です。これを犯した罪人たちは、永遠に氷漬けにされていました。
なんとか地獄の底を抜け、2人が辿りついたのは煉獄。煉獄とは天国に行く前の人々が生前の罪を清める場所で、苦しみを受けることで天国に行くことができます。ゆっくりと道を進みながら、額に刻み込まれた7つの罪をひとつずつ清めていくと、頂上で幼い頃に心惹かれていた淑女、ベアトリーチェと出会いました。
ここからは、ベアトリーチェの案内で天国へと入っていきます。
- 著者
- ダンテ
- 出版日
- 2008-11-20
14世紀初頭に発表された、イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの作品です。小説ではなく、韻を踏んだ叙事詩の形式をとっていて、「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の三部構成になっています。
イタリア文学の代表作としてだけでなく、キリスト教の教義を含んでいるほか、世界の古典文学として最高傑作と評価されていて、革新運動(ルネサンス)はここから始まったといわれるほど。ミケランジェロの壁画「最後の審判」やロダンの彫刻「考える人」も本作をイメージしたもので、日本でも夏目漱石や中原中也が愛読したそうです。
ローマ神話やギリシャ神話の神々が登場し、聖書や古代詩の引用が多いのも特徴。さらには天文学にまで触れているのですが、ダンテ本人を主人公にした物語形式で進んでいくので実はそれほど難解ではありません。
「いいか、今日という日はもう二度とないのだぞ」(『神曲』煉獄篇より引用)
心に染みる名言もたくさん見つけられるでしょう。
舞台は1348年のイタリア。ペスト(黒死病)が大流行していたこの年、フィレンツェでは人口の3分の2が亡くなる事態になっていて、人々は恐れを抱いていました。
そこで、仲のよい男性3人女性7人のグループが郊外の邸宅に避難をすることに。散歩をしたり、昼寝をしたり、紳士淑女らしく品位のある行動を心がけていました。そして、退屈しのぎを兼ねて、それぞれが1日に1話ずつ、物語を披露することにします。
- 著者
- ジョヴァンニ ボッカッチョ
- 出版日
- 2017-03-07
イタリアの詩人ジョヴァンニ・ボッカッチョが、1348年から1353年にかけて執筆した作品。タイトルの「デカメロン」とは、ギリシャ語で「10日」という意味があります。
10人の男女から10日間語られる物語は、計100話。日によってテーマが決められていて、たとえば2日目は「多くの苦難をへたのち成功や幸福を得た人の話」、3日目は「長い間熱望したもの、あるいは失ったものを手に入れた話」など。落語のようにオチがあったり、機知に富んでたり、さらにはエロティックなものもあり、飽きることがないでしょう。
社会風刺や教会への批判に繋がるストーリーもあり、発表当時は反道徳的であると批判も受けたそうですが、当時の人々の様子が活き活きと描かれていて後世にも大きな影響を与えました。
1話ごとに完結しているので読みやすく、イタリア文学初心者の方にもおすすめです。
ファシスト政権がイタリアを支配していた時代。ナタリアは、大学教授をしている厳格な父と、楽天的で心優しい母、そして4人の兄姉とともに北部のトリノで暮らしていました。
ナタリアの家族や知人は反ファシズム運動に傾倒し、逮捕されたり亡命したりしている者も多くいます。第二次世界大戦が始まると、ユダヤ系イタリア人として差別も受けるようになりました。
過酷な生活を強いられる彼女たちは、どんな生活をしていたのでしょうか。
- 著者
- ナタリア ギンズブルグ
- 出版日
- 1997-10-01
1963年に発表されたイタリアの小説家、ナタリア・ギンズブルグの自伝的小説。イタリア文学界で権威ある「ストレーガ賞」を受賞しています。日本では1985年に翻訳出版されました。
タイトルのとおり、作品のベースはナタリアたち家族の会話劇です。事実がもとになっているので、起承転結のある創作物語とは一線を画していますが、この時代を生きた彼らの生活そのものが先の展開が読めない状況だったこともあり、退屈に感じることはないでしょう。
過酷な生活を強いられていたにも関わらず、家族で交わされる会話は意外にもユニーク。誰かが騒動を起こすたびに「なんというロバだ、おまえは!」と父が怒り、母が機転を利かせてその場をとりなすといったクスリと笑えるシーンがたびたび見られます。
翻訳者である須賀敦子の洗練された文章にも定評がある作品なので、海外文学の翻訳が苦手な方にもおすすめです。
博識で洞察力に優れた修道士のウィリアムと、その弟子のアドソは、北イタリアの山奥にある修道院にやって来ました。対立が続いている教皇派と皇帝派の話しあいを仲介するためです。
しかし、到着するや否や2人が修道院長から依頼されたのは、修道院で起きた怪死事件の調査でした。謎を解くカギは、一冊の本が握っているとのこと。そこで2人は、入室を禁じられた文書館へ入ることを試みるのですが、そのうち第2第3の事件が起こってしまいます……。
- 著者
- ウンベルト エーコ
- 出版日
1980年に発表されたイタリアの小説家ウンベルト・エーコの作品。日本では1990年に翻訳出版され、世界の累計発行部数が5500万部を超えるベストセラーとなりました。
ウィリアムとアドソの関係は、まるでホームズとワトソン。14世紀当時のキリスト教の分裂や、教派同士の争い、さらには教会の威圧的な支配の様子を浮き彫りにしつつ、事件の解決に乗り出すという読みごたえたっぷりの内容になっています。
作者のエーコは記号学者でもあり、言葉がもつ重みを再認識しつつ、仕掛けられた暗号やトリックに驚愕することになるでしょう。
舞台は1938年のポルトガル。主人公のペレイラは、肥満と持病に悩む中年の新聞記者。紙面作りのアルバイトとして、最近ロッシという青年を雇いました。しかしロッシは、レジスタンス運動に参加する活動家だったのです。
一方のペレイラは、新聞記者といっても文芸面担当で社会情勢には疎く、政治活動には関わりたくないのが本音。それでも元来の面倒見のよさが出て、青年を助けようと世話を焼いてしまい、いつしか反社会運動に巻き込まれていきます。
- 著者
- アントニオ タブッキ
- 出版日
1994年に刊行された、イタリアの作家アントニオ・タブッキの代表作。複数の文学賞を受賞しています。
「問題はぼくが死についてばかり始終考えてしまうことだ。ぼくにとって、世界ぜんたいが死に絶えたみたいな、さもなければ、いまにも死にそうな、そんな気がするんだ」(『供述によるとペレイラは…』より引用)
亡き妻の写真に、こんな風に話しかけていたペレイラ。過去にとらわれていましたが、ロッシと出会ったことで心境も行動も変わっていくのです。
活き活きと軽やかにペレイラの様子が語られる一方で、くり返される「供述によると」という文言が読者への不安を煽ります。彼は何の罪で、誰に向けて、何の供述をしているのでしょうか。
テーブルの脚を作ろうと作業を始めた大工の親方。しかし材料の棒っきれは、斧を打ち下ろすと痛いと泣き叫び、皮をはぐとくすぐったいと笑うのです。恐怖に怯える親方のもとに、ジェッペットが訪ねてきました。
ジェッペットは操り人形を作るための木が欲しいと言うので、親方はこれ幸いとばかりに喋る棒っきれを押し付けます。
素敵な木を貰ったと喜ぶジェッペット。さっそく操り人形を作り、「ピノッキオ」と名付けました。ところがこのピノッキオ、歩き方を習ったとたんにジェッペットのもとから逃げ出したのです。
- 著者
- カルロ コッローディ
- 出版日
- 2016-11-09
1881年に「子ども新聞」に連載された後、1883年に刊行されたカルロ・コッローディの作品。絵本や映画などでおなじみですが、原作を読んだことがある方は少ないのではないでしょうか。20世紀になってから各国に広まり、日本で最初に紹介されたのは1920年だといわれています。
子ども向けにアレンジされたものとは異なり、本作のピノッキオは身勝手で後先考えずに行動する、まるで暴君。多くの失敗と後悔を経験し、最終的には人間の子どもになるという話の大筋は変わりませんが、ピノッキオに良心を説こうとしたコオロギが殺されるなど残酷な描写もあるのが特徴です。
テンポのよいストーリー展開で、大人も楽しめるイタリア文学でしょう。