リーマン・ショックからようやく世界経済が立ち直りつつあった2010年、「ギリシャ危機」が起こりました。この記事では、ギリシャが財政赤字となった原因、世界や日本に与えた影響などをわかりやすく解説していきます。さらに理解を深められる関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。
「ギリシャ危機」の発端となったのは、2009年10月に起こったギリシャでの政権交代です。
コスタス・カラマンリス率いる新民主主義党が敗れ、全ギリシャ社会主義運動が与党に。党首のゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウが新しく首相に就任しました。この時、旧政権である新民主主義党が財政赤字を隠蔽していたことが明らかになったのです。
それまで、ギリシャの財政赤字はGDP比4~5%程度とされていましたが、実際には約13%だったことが判明しました。
2010年1月には欧州委員会が統計上の不備を指摘し、問題が表面化。新首相のパパンドレウは「3ヶ年財政健全化計画」を発表しましたが、前提となる経済成長率の見通しが楽観的すぎたため、格付け機関が実現不可能と判断。ギリシャ国債は格下げされ、暴落しました。これを「ギリシャ危機」といいます。
これを受けて、ニューヨーク株式市場ではダウ平均株価が一時998ドル下落。通貨ユーロも下落します。さらにこの流れは、財政状況が脆弱だとみなされていたイタリアやスペイン、ポルトガルにも波及。「ユーロ危機」と呼ばれる経済危機の連鎖となりました。
「ギリシャ危機」は、2008年に発生した「リーマン・ショック」から立ち直りつつあった国際経済に冷や水を浴びせたようなもの。再び世界的な金融危機に発展する可能性があると、世界中の識者や投資家に懸念を抱かせるのに十分なインパクトをもっていました。
「ギリシャ危機」を招くきっかけになったギリシャの財政赤字の原因として、「公務員への手厚い保護」「年金支給開始年齢の低さ」「巨大な闇経済」の3つが挙げられます。
そもそもギリシャは、公務員の多い国として有名でした。人口約1100万人に対し、公務員の数は約100万人。人口の10%が公務員で、労働人口でいえば25%を占めていたそうです。
しかもギリシャにおける公務員の給料は、一般的な職業のおよそ1.5倍と高給。いわば人件費がギリシャの国家財政を圧迫していたのです。
また当時のギリシャの年金は、55歳から早期の受給ができる仕組み。その金額は現役時代の80~90%と高く、高齢世代に手厚い制度が組まれていました。
これらの制度も、それに見合う税収があるのであれば問題ありませんが、ギリシャには「闇経済」「地下経済」と呼ばれる大きな問題があったのです。世論調査で国民の約40%が「脱税は市民の権利」と答えるなど、脱税や汚職が蔓延していました。本来得られるはずの税収がなくなる一方で、支出は増えていく状態です。
これでは国家財政が破綻することは明らかですが、「ギリシャ危機」が起こる前に与党だった新民主主義党にとって、もっとも大事なのは選挙だったのでしょう。改革をするのではなく、財政赤字を隠蔽したことがさらに赤字を膨らませ、「ギリシャ危機」を招いてしまいました。
「ギリシャ危機」を乗り越えるため、パパンドレウ首相はEUに財政支援を要請しました。これに対しEUは、IMF(国際通貨基金)、欧州委員会、ECB(ヨーロッパ中央銀行)という「トロイカ体制」で支援を実施します。支援の条件として、増税や公務員の給与削減、公益事業の民営化、年金改革など、緊縮財政政策をギリシャに求めました。
しかしギリシャ国民は、大きすぎる負担に反発。ストライキやデモがおこなわれるようになり、ギリシャ労働総同盟・ギリシャ公務員連合が実施したゼネラル・ストライキには270万人以上が参加する事態になります。
一方で、支援国側の世論も好意的なものではありませんでした。「ギリシャ危機」はいわば身から出た錆。自分たちの税金がギリシャに使われることに対して、反発があったのです。このような状況を背景に、トロイカがギリシャに求める条件も徐々に厳しいものになっていきました。
2015年、ギリシャでは、緊縮財政政策に反対する急進左派連合が台頭。総選挙で第一党になり、党首のアレクシス・チプラスがギリシャ史上最年少の40歳で首相に就任しました。
しかし当時のギリシャは、金融支援を返すために金融支援を受けるという自転車操業状態。さらに支援を受けるためには、より厳しい緊縮財政政策を受け入れる必要があり、ギリシャとトロイカの交渉は難航していきます。そしてチプラス首相は、トロイカ側が提示する緊縮財政案を受け入れるかどうか、国民投票で問うことにするのです。
これに対しドイツのメルケル首相やフランスのオランド大統領、イタリアのレンツィ首相は「NOを選択すれば、ギリシャはユーロから離脱することになる」と発言。この国民投票は、単に緊縮財政政策の受け入れ可否という選択だけでなく、ギリシャがユーロ圏に残るか否かを問うものとして国際的に注目されるものとなりました。
国民投票の結果、ギリシャはトロイカからの金融支援を受け入れないことに。IMFへの負債を返済することができなくなり、先進国として初めての「債務不履行」が確定します。
またヨーロッパ中央銀行はギリシャへの流動性供給に制限をかけ、ギリシャの銀行は業務を停止。国民が引き出せる額は1日60ユーロまでに制限されました。
チプラス首相はトロイカ側が譲歩すると考えていたそうですが、その目論見は外れ、最終的には、自身が譲歩せざるを得なくなります。国民に謝罪したうえで、トロイカの求める緊縮財政策を粛々と実施。その後は徐々に経済が回復し、2018年8月に金融支援は終了。「ギリシャ危機」は収束しました。
ギリシャには、1974年に共和制になってから、左派のパパンドレウ家と右派のカラマンリス家、ミツォタキス家が代わる代わる政権を担ってきたという歴史があります。移民三世で極左活動家のリーダーだったチプラスが政権を担っていた時期は、まさに「異常」な時代でした。
2019年7月の総選挙で、チプラス首相は敗れ、新民主主義党のキリアコス・ミツォタキスが新首相に。経済再建の立役者でもあるチプラスは、トロイカに屈した裏切り者と国民にみなされたのです。その一方で「ギリシャ危機」のきっかけを作った新民主主義党を選んだギリシャ国民の選択は、その是非はともかく、ギリシャにとって「正常化」を意味する出来事なのかもしれません。
ただ経済は再建しましたが、失業率はいまだに15%以上と高いまま。特に24歳未満の若者の失業率は35%以上と苦しんでいる状況です。
トロイカによる支援もあって、「ギリシャ危機」は世界的な金融危機に発展することなく収束しました。日本経済も多少の円高に見舞われて株価が乱高下したものの、大きな影響は出ていません。
ただ世界は、「次に財政破綻しそうな国」に敏感になり、ギリシャとともに「PIIGS」と呼ばれるポルトガル、イタリア、アイルランド、スペイン、そしてユーロ圏で2番目の大国であるフランスも緊縮財政を求められることになりました。
しかし、それらの国に増して財政破綻のリスクが高いと考えられているのが、日本です。
問題が表面化した当時のギリシャの債務残高はGDP比113%ほどだったのに対し、日本の債務残高はGDP比240%を超える水準。国の一般会計の歳入の約3割は国債発行でまかなっていて、この状態をずっと続けていけないことは明らかです。
債務残高の内実や原因も異なるので安易に比較できないことではあるものの、仮に日本が財政破綻をすれば、世界に与える影響はギリシャの比ではありません。
2019年には消費税が10%に引き上げられましたが、IMFは日本政府に対し、消費税率を2030年までに15%に、2050年までに20%に引き上げる必要があると提言しています。
日本に寄せられているのはまだ「提言」に留まっていますが、いつ「要求」に代わってもおかしくはありません。少子高齢化も進み人口が減少するなか、どのように改革をおこなっていくのか、世界から注目されているのです。
- 著者
- 田中 素香
- 出版日
- 2016-01-21
ギリシャ危機が起こった原因、チプラス首相が国民投票をした理由、これからのEUの行方などを、ヨーロッパ経済を専門に研究する作者がわかりやすく解説していきます。
ギリシャ危機があったからこそEUが抱える問題が顕在化したとして、そもそもEUがドイツを中心に作られたものであること、構造と制度を変えなければ同様の危機が再燃することを主張。問題の本質が簡潔にまとめられているので、これからのヨーロッパを考えるうえで役に立つでしょう。
ギリシャ危機とEUの双方について学べる一冊です。
- 著者
- ヤニス バルファキス
- 出版日
- 2019-04-19
作者のヤニス・バルファキスは、2015年に成立したチプラス政権で財務大臣を務めた人物。本作は、トロイカとおこなった債務再編交渉の回顧録になっています。
「ギリシャ危機」の原因が、国の放漫財政にあったことは事実です。しかし当時のトロイカが要求した条件は、ギリシャに対する懲罰的な意味合いも強く、簡単に飲めるものではありませんでした。圧倒的な権力をもつトロイカに対し、彼は国と国民を思って交渉に臨みます。
流麗な筆致で紡がれる当時の記録は迫力満点。命がけで、文字どおり奔走していた様子がよくわかるでしょう。ノンフィクションでありながら物語を読んでいるかのように読者を惹きつける、おすすめの一冊です。