国語の入試問題、英語の教科書、ニュースの何気ない言葉から、日本文学、果ては憲法に至るまで、清水義範という作家は、どんな題材でもおもしろく小説化してしまう人です。パスティーシュ(文体模倣)の技術を武器に、様々な分野をパロディ化した彼の小説のおすすめ7作をご紹介します。
清水義範は1947年に愛知県で生まれました。地元の小学校、中学校、高等学校を経て、愛知教育大学に進みます。教育学部(専攻は国語)を卒業していますが、教員の道を選ばず上京して作家半村良に弟子入り。その後『昭和午前試合』でデビューを果たし、『国語入試問題必勝法』では吉川英治文学新人賞を受賞しました。
清水義範はパスティーシュ作家として知られています。パスティーシュとは文体模倣のことです(パロディという意味で使われることもあります)。
清水義範の作品では有名な作家の文体をまねたり、特徴的な人物の口調を用いたりしています。たとえば後で紹介する『騙し絵 日本国憲法』では、憲法を長嶋茂雄や松本人志のような口調、あるいは歌舞伎のセリフっぽく書き表しているのです。こうすることで憲法という、ちょっととっつきにくい文がたちまち生き生きと輝いてくるから驚きです。
清水義範は、このパスティーシュの技法で幅広い題材を調理します。日常のちょっとした場面から、言葉から普通の人なら見逃してしまいそうな題材を実にうまく小説にしています。さらに教育学部出身ということもあってか、難しいことを面白く書いていろんな人にわかってもらいたい、そんな願望が見える「勉強アレルギー」に効く作品も数多いのです。
『国語入試問題必勝法』は、第9回(1988年) 吉川英治文学新人賞受賞作品。清水義範の代表作にして入門書に最適な短編集です。清水義範は教育学部の出身ですが、このことが影響しているのでしょうか。彼の本にはかなりの頻度で、学校教育への痛烈な批判をパロディ化した作品が登場します。本作は、それが最も顕著化しているものです。
- 著者
- 清水 義範
- 出版日
- 1990-10-08
皆さんも学生時代に国語の問題を解いていて、「なんでこれが正解なの?」というような割り切れない気持ちになったことはないでしょうか。他教科に比べて「国語」というテストの正答根拠の曖昧さ。特に「現代文」のテスト対策のしにくさ。多くの受験生と同じく現代文を苦手とする主人公浅香一郎(あさかいちろう)のもとに現れた家庭教師月坂の説く、奇想天外な必勝法とは「国語の入試問題は問題文を読まなくても解ける」というものでした。
つまり現代文は文章能力や読解能力で解くものではなく、テクニックで解くものなんだと。選択肢問題に対しては「長短除外の法則」(文章が最も長い選択肢と最も短い選択肢は正解ではない)や、「正論除外の法則」(正論が書かれている選択肢は正解ではない)などの法則が登場します。これらは清水義範が考えた出鱈目な法則なのですが、実際、予備校や参考書で語られているセンター試験国語現代文問題の必勝法の一つに「問題文を読まず選択肢から読め」というものがあるので、あながち間違いでもないのです。
あきらかにむちゃくちゃな理論を雄弁と語る月坂に爆笑しながら、読者の心に「そうなんだよ、現代文問題って理不尽だよね」という共感を呼び、現国のテストに対する強烈な皮肉にもなっている作品なのです。
とにかく笑える本作には、他に「時代食堂の特別料理」「霧の中の終章」など切なさや、もの悲しさを感じさせるしっとりとした話も含まれているので、清水義範のいろいろな顔を楽しめる短編集となっています。
『国語入試問題必勝法』が国語のテストを題材にしたパロディなら、本作『永遠のジャックアンドベティ』は英語教科書のパスティーシュです。「文体模倣」という文学表現であるパスティーシュを、鮮やかに生かして見せた清水義範のユーモア短編となります。
- 著者
- 清水 義範
- 出版日
ジャック、ベティというのは、昔の英語教科書に載っていた主人公の男の子と女の子のこと。今の英語の教科書でも、教科書の案内役となる二人組が(名前はメアリーとジョンとかになっている可能性はありますが)必ず出てきますよね。
そもそも日本の英語教科書の文章は、英語圏の人間から見ても、日本人から見てもかなり変というのは昔から言われていました。日本人だって、明らかにペンだとわかるものを目の前に「これはペンですか?(Is this a pen?)」「はい、ペンです。(Yes,it is.)」なんて会話しませんよね。この気持ちをコメディ化した作品が「永遠のジャックアンドベティ」なのです。
本作は、大人になったジャックがほのかに思いを寄せていたベティと数十年ぶりに再会するところから始まります。ところがすっかりあがってしまったジャックは中学生の時と同じ、「英語の教科書風にしか」しゃべれなくなってしまうのです。
「一杯のコーヒーか、または一杯のお茶を飲みましょう」。こんな変な文章で会話を続けた結果、ジャックはとうとうベティに愛を告白し、男女の関係になりたいと告げようとします。しかしこれを中学英語の範囲で言語化しようとすると……。
英語の教科書の文題模倣が見事生かされた爆笑の、そしてちょっと物悲しいオチ。
「永遠のジャックアンドベティ」以上に笑えるのが、同時収録されている「インパクトの瞬間」という短編です。こちらは論文的文体の模倣を行う作品です。「なんだかよくわからないけどすごい」ということを、実に真面目に考察しているように見せかけるコメディ作品。ちなみに作品が書かれた当時に有名だった「インパクトの瞬間、ヘッドは回転する」というゴルフクラブのCMがタイトルの元ネタですが、これを知らなくても十分楽しめます。
この2作品については笑いがこらえられない可能性があるので、外出先で読まないほうが無難でしょう。他にも映画のパンフレットをパロディ化した作品などが収められています。
「バールのようなもの」とはなにか、を究極まで考え続ける短編『バールのようなもの』。「発見」「推理」「実験」「後日談」に分かれた4章編成です。といっても短編なのでどれも短い作品。素朴な疑問を追及していたはずが、最終的にはなぜか警察のご厄介になってしまうというストーリーです。
- 著者
- 清水 義範
- 出版日
バール、それは日本語では「かなてこ」といわれる長いくぎ抜きみたいなもの。しかし主人公の「私」が知りたいのは「バール」ではなく、「バールのようなもの」なのです。
それはある日のニュースでアナウンサーが口にした言葉がきっかけでした。「店にはシャッターが降りていましたが、犯人はこれをバールのようなもので破って侵入したもようです」という部分。何気なく聞いていた私ですが、ふと、「バールのようなもの」ってなんだろうという疑問にぶち当たります。
そこで「広辞苑」や「大辞林」などの各国語辞典から、「会社四季報」まであらゆる辞典を繰ってみるのですが「バールのようなもの」という項目は見つかりません。知人、友人に聞いても「バールのようなもの」を明確に知る人は誰もいなかったのです。「バール」が辞書に載っていても「バールのようなもの」が載っていないのは、ある意味当然。しかし主人公は、このことに大変驚くのです。
彼の主張は「Aのようなもの」は類似を現すが、だからといってAと同じものを指すわけではないというもの。「そうはいってもバールのようなものって、バールとほぼ同じじゃん」と思う読者をうならせる部分があります。
「女と、女のようなやつは同じではない」
このセリフには、思わずなるほどねと言いたくなりませんか。当たり前と思っていることが実は当り前じゃない、そんなことに気づかせてくれる名作です。
同時収録の「みどりの窓口」は、駅のみどりの窓口での日常を描いた作品。普通の客と駅員の会話が、だんだんドタバタ劇になっていく、こちらも必見の短編です。なんといってもこれらのシュールな短編は、立川志の輔が落語にて演じるほど、完成度が高いんですよ。
独創的な画風の漫画家、西原理恵子との共著『おもしろくても理科』。勉強アレルギーが克服できるかもしれないこの勉強シリーズは、他に『どうころんでも社会科』『いやでもたのしめる算数』『はじめてわかる国語』などがあります。
- 著者
- ["清水 義範", "西原 理恵子"]
- 出版日
- 1998-03-13
教育学部出身の清水義範は、『国語入試問題必勝法』や『永遠のジャックアンドベティ』など、勉強を題材にしたパロディを書く一方で、『わが子に教える作文教室』のようにけっこう本格的な勉強の指導書も書いています。『おもしろくても理科』シリーズは、ちょうどその中間にあたるような位置づけで、勉強の内容を真面目に扱いつつ、茶化し気味に書くといった感じの本です。
専攻は国語ですから、実は理科に関しては門外漢の清水義範。作中でも「科学的知識がそうあるわけでもないのに、ほらほら理科っておもしろいでしょう、ということを書いているわけだ。バッタもんと言われるのが当然である」と自虐している様子。しかし科学の専門家が言っていることって面白くないという読者一般人の立場に立ち、普通の人でもわかる理科の本を目指して(バッタもんを承知で)書かれたのが本作です。
「慣性の法則」など一般人が勘違いしがちな部分を丁寧に考察し、より理科の世界を身近に感じれる構成になっています。
合間に入る西原さんの一ページ漫画が、「清水さんの解説ちょっと難しくなってきたな」ってころ合いにうまいこと挿入されているのでよい息抜きになるでしょう。ときには「大学のレポートみてえに途中でワケのわかんねえ文章入れてカサましてねえかおっちゃん」といった毒舌ツッコミが!
理科が嫌いな中学生や、いまだに理科アレルギーを引きずってる大人に読んでほしい本です。
『偽史日本伝』というタイトルを見てわかる通り、日本史で習う『魏志倭人伝』のパロディです。本短編集に収められているのは数々の時代小説。けれどその時代区分が恐ろしく幅広いのです!
最初に収録された「おそるべき邪馬台国」という話は、日本歴史上最大のミステリー「邪馬台国はどこにあったのか?」を大胆な仮説で解決してしまうトンデモストーリー。邪馬台国ということで舞台はもちろん弥生時代なわけです。
- 著者
- 清水 義範
- 出版日
次にくる「大騒ぎの日」は、蘇我入鹿が暗殺された日に、テレビ中継があったら、ワイドショーのアナウンサーはどのように事件を報道するのかというお話。実際のワイドショーのように、解説者による事件背景の詳しい説明があるため、歴史の教科書で丸暗記していた事件が「なるほど、そうだったのか」と納得できること請け合いです。
さらに、紫式部と清少納言の女の争いを書いた「封じられた論争」、本物の源義経は弁慶だったという逆転劇「苦労判官太平記」が続き、舞台は徐々に中世になってきます。短編集の中盤では、足利幕府、戦国時代、江戸幕府をモチーフにした小説が、そして後半はいよいよ幕末の物語です。
幕末という大変な時に長州の殿様だった毛利敬親を書いた「どうにでもせい」。この話には、清水義範の作品の持ち味がよく出ています。幕末の長州藩を書いた小説といえば、大河ドラマのような壮大なストーリーを思い描きそうなものです。しかしここで書かれているのは、激動の時代にそぐわないおとぼけキャラのお殿様。家来がいうままに流されていたら、なんとなくうまくいってしまったという、どちらかといえば、ほのぼのとした話なのです。吉田松陰も高杉晋作も出てきて、長州征伐も起こっているのに、ほのぼのなのはすごいことではないでしょうか。
もうひとつのすごい点は「どうにでもせい」では、尊王攘夷や公武合体などの幕末の概念がわかりやすい言葉で説明されている点でしょう。そもそも長州の立場も攘夷、尊王、開国、倒幕と、ころころ立場が変わりますから、日本史の教科書で読むと、なにがなにやらさっぱりわかりません。そんなもやもやを払拭してくれる短編といえるでしょう。
本短編集には日本史が苦手な人、この時代とっつきにくいなと感じている人が歴史に興味を持つきっかけになりそうなおもしろ短編が多く載っているのです。
日本文学全集『普及版 日本文学全集』。もちろんただの日本文学全集ではありません。結構薄いこの本に収められている文学作品は『古事記』『源氏物語』『方丈記』『平家物語』『小倉百人一首』『徒然草』『太平記』『好色一代男』『奥の細道』と、なんと9作品にものぼります。
- 著者
- 清水 義範
- 出版日
文庫版の解説で清水義範はこう語ったとあります。「もっとすっとこどっこいに原点から離れてもいいと思うのに、どうしても原典に引きずられて、もとのものの価値を伝えようというパロディになっていってしまうのです。そういう意味では、私のやったことは日本文学のパロディではなく、それの、とっつきやすくておもしろい紹介だったような気がします」。
しかし、いくらなんでも20ページ足らずで『平家物語』の全部を紹介するなんて無茶です。そこで清水義範がどうしたのかというと、『平家物語』の有名な冒頭部分「祇園精舎の鐘の声……」という部分のみを、おもしろおかしく解説するということをやっているのです。
『源氏物語』では、原典の一部を使いながら、独身三十路の女性国語教師の心を描くという方法を取り、ちょっと現代風に『源氏物語』の世界を書き出して見せたりします。
『古事記』はある程度、本筋をなぞってはいますが、超特急の早回しです。それでもテンポが悪くならないよう、かなりツッコミを入れるためにすぐにページは尽きて「残念ですが、この先は自分で読んで下さい。ごめん」で終わります。
最近では「漫画で読む日本文学」のような本も出ていますので、原典の筋をきちんと知りたい人には、そちらの方がよいでしょう。しかし清水義範のこの文学全集では「どの本がおもしろそう?」という素朴な疑問に答えてくれますから、「なにを手に取ればいいかわからない!」と悩む方にはぴったりです。
ちなみに第一集の後には、第二集も出版されています。また姉妹版として『普及版 世界文学全集』も書かれていますよ。
日本の憲法なのに、なにを言っているか、わかるようでわからない文章。しかし日本国憲法には、大日本帝国憲法時代になかった国民の権利がしっかり明記されています。不戦の誓いをとなえた平和憲法としての意義も高いのです。
現憲法維持か、憲法改正かという選択を迫られる日本人ですが、憲法がとっつきにくいために議論に参加することを避けていませんか? 政治を人任せにしていませんか? 本作『騙し絵 日本国憲法』を読むと、なんでもおもしろく小説化する清水が、様々な方法で憲法をおもしろく解説しようとする意気込みが伝わってきます。
- 著者
- 清水 義範
- 出版日
その最たるものが「二十一の異なるバージョンによる序文」。ややこしい序文を長嶋茂雄風やら、パソコンのマニュアル風やら、様々な文体で書き分けて見せる、まさにパスティーシュ作家の本領発揮といった部分です。
議論盛んな9条にも膨大に紙面を割いています。日本国憲法ができる前、戦後憲法ができた後を比較して書いた小説には切ない気分にさせられます。また、9条を暴走族の掟と読み替え、掟を変えるべきか否か議論する姿は、憲法改正議論を身近に感じさせてくれるでしょう。
日本国憲法、そして改憲議論、どちらもひっくるめて、「どうやったらわかりやすくなるのか」に知恵が絞られた一冊といえるでしょう。
清水義範の作品は、どれもこれも「え、こんなのが小説のネタになるの?」と驚くようなものばかり。日常の様々なところに笑いがあることを教えてくれるようです。読後は少しばかり賢くなったり、言葉について深く考えるようになったり……。読者の考え方の幅を広げてくれる本がたくさんあります。今回ご紹介した本は、ちょっとした空き時間にも読めるものばかりです。お試しに一冊、ぜひ手に取ってみてくださいね。