穂村弘をご存知ですか?現代短歌を率いる歌人でもあり、批評家、エッセイスト、翻訳家でもあります。今回は、短歌という31音の枠から飛び出したエッセイスト穂村のセンスが輝く、珠玉のおすすめエッセイ5作品を紹介していきます。
「終バスにふたりは眠る紫の〈降ります〉ランプに取り囲まれて」
これは穂村弘の代表的な短歌の1つ。90年代、短歌がニューウェーブ短歌に昇華しました。先代の残してきた作品を踏まえながら口語を用いるなどして、現代においても好まれるよう短歌を進化させた人物の1人、それが穂村弘です。
歌人、詩人、エッセイストなど、様々な分野で活動されているので、その名を目にする機会は多いのではないでしょうか。
彼の短歌は口語体を器用にリズムに当てはめ、いとも簡単に情景を想像させます。独特な着眼点と言葉選びにより、読む人の心に寄り添うような短歌。
エッセイでは短歌よりも色濃く、「生きるのがうまい」とは言えない穂村の人格を味わうことができます。器用に世界に調和できなかった経験を持つ人は共感しながら、そして穂村弘の過剰な自意識に愛らしさのようなものを感じながら読むことができるでしょう。
ここからは、彼の魅力が存分にあらわれたエッセイをランキング形式で5作品紹介します。ランキングは、ECサイトでの売上順位を基準に、ライターが「穂村弘の深みにハマりたい人へ」向けてオリジナルの順位を作成しました。穂村弘に初めて出会う人はランキングを参考に、すでに好きな方はまだ読んでいない作品を探しながらチェックしてみてください。
独特な感性と観察眼、自意識を持つ穂村弘が考えるさまざまな「本当はちがう」ことが、おもしろおかしく語られる『本当はちがうんだ日記』。切り口が独特なので、なんじゃそりゃと笑い飛ばしてしまうのですが、読んでいくとあまりにも物事の見方が斬新なので、そういう見方もできるのかと感心してしまうことも多いでしょう。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
最初に書かれているのは、エスプレッソのことです。エスプレッソが好きなのに飲んでは、「苦い。地獄の汁のような味だ」とこぼします。本当のエスプレッソは果実の薫りがして、キャラメルの味わいがするはずなのに、目の前のエスプレッソは苦い。ここで穂村は考えます。
「私のエスプレッソがこんなに苦いのは何なのだろう。(略)それは、おそらく、私自身がまだエスプレッソに釣り合うほどの素敵レベルに達していないからだ」
「私のエスプレッソは今日も苦い。舌が痺れるほど苦い。地獄の汁かと思うほど苦い。おそらくは明日も苦いだろう。(略)だが、と私は思う。本当はちがうのだ。エスプレッソは果実の薫り、そしてキャラメルの味わいなのである。本当の私はそのことを知っている」
(『本当はちがうんだ日記』より引用)
自分は素敵ではないという自意識の塊である穂村だからこそできる見方なのかもしれませんが、こんな考え方ができる人は素敵ではないでしょうか。
他にもあだ名のこと、「素敵」のこと、恋愛や将来、様々な物事を独自の視点で語ります。これらに触れることで、新しい物事の見え方を知ることができ、生きる上でのスパイスとなって、今後見聞きする出来事に新たな色合いを与えてくれることでしょう。
余談になりますが、あだ名について語っているところで「僕にはあだ名がない」、それによって人間界に溶け込めないのだと嘆いているのですが、ファンの間では、愛をこめてこう読ばれているようです。
「ほむほむ」
どこか不可思議で愛らしい、柔らかな印象の穂村弘にピッタリの愛称だと思いませんか?
『現実入門―ほんとにみんなこんなことを?』は作者が未経験の出来事を担当編集者とともに体験していくエッセイです。
以前作者が書いたエッセイを読んだ編集者が、未経験のことを作者に体験させるエッセイを書いてほしいと依頼してくるのです。献血、モデルルーム見学、健康ランド、占いなど、だれしも1回経験するかしないか……そんなことを穂村弘が体験していきます。
巻末の直木賞作家・江國香織の解説もユーモアがあふれ、的確に穂村弘に文章のツボを突いています。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
まず献血の体験から始まります。
誰もが未経験のことを体験する瞬間はドキドキするものですが、穂村弘の場合はドキドキではなく、終始戸惑っています。ワクワクもなければ、楽しみという感情をその文章から読み取ることはできません。
しかも、その戸惑いが常軌を逸しています。
「はははははははは、駄目だ、駄目だ、ぼくは駄目だ。」
(『現実入門』から引用)
ただの献血の注意書きを見てこんなことを思ってしまう作者・穂村弘。この先に待っているであろう取材という名の初体験に、頭を痛めたと思います。
しかし、未経験であることを激しく恥じるのではなく、飛び込んでいったその体験に対して真摯に向き合います。
おそらく作者は至極真面目にその体験について綴っているのですが、描かれるその情景はやはり笑いを禁じ得ないのです。読者が同じ体験をしても、きっと作者のように献血の血を吸血鬼が「デリシャス!」と言っているところを妄想はしないでしょう。
未経験なことを体験していくことを通して、作者の新たな一面を見ることができる1冊です。
4月1日から始まり、あー、日記ってそう、書かない日もあるんだよ、という具合にときは流れて3月31日までの丸1年が書かれる『にょっ記』。無論、日記の装いですが、本当にこれは日記なのか、と首を傾げたくなるほど妄想が炸裂していて、穂村ワールド全開です。
妄想、想像、空想、が綴られていますが、その中にリアリティはちゃんと存在しています。そのアンバランスな融合がおかしくて、クスクスと笑ってしまうのです。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
- 2009-03-10
ときおり天使が登場しますが、その天使と穂村とのやりとりが妙に奥深く、何度も読んでしまいます。
「7月31日 理解
天使が、私の背広をみている。
背広の襟をみている。
いつまでもみている。
やがて、何かがわかったらしく、その顔が輝く。
これ、大切なの?
と、社章を指して云った。」
(『にょっ記』より引用)
深遠さに圧倒されます。
他にも「うこん」について3日にわたって書いていたり、たった1行で笑わされる日があったり、長い短い関係なくおもしろいので、ペラペラとページをめくってしまいます。就寝前の読書には向かない本かもしれません。読み始めると、本を閉じるタイミングを逃し続けてしまうでしょう。
おすすめは「4月16日 山崎勉」「6月10日 計算」「8月12日 実況」「8月22日 濁点」「11月3日 夢」……書き出すとキリがないですね。どれを読んでも独特な感性が感じられるので、実際に手に取って読んでほしいです。
ただ外出時に読んでしまうと、思わず笑ってしまったときの周囲の視線が怖いですから、要注意です。
会社員時代の思い出から日々のちょっとした叫びまで集めたエッセイです。作者の妻との微笑ましいやり取りも収録されており、謎の多い妻の生態も少しだけわかります。
穂村弘の売りでもある世間一般との「ズレ」よりも、毎日の中で感じた「不満」をブチまけているように感じるかもしれません。しかし、その不満すらきっとズレていると感じるでしょう。
2021年現在、文庫化された穂村弘最新エッセイですので気軽に手に取ってみてください。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
作者の妻の、ルマンドの袋が幼いころに開けられず一時期嫌いになったエピソード。同じく彼女の、お店のキャラメルを買う前に食べてしまったエピソード。
作者がその話を聞いたあとの夫婦での会話が、微妙にズレています。
「ほ『成長したんだね』 妻『そうだね』」
(『野良猫を尊敬した日』から引用)
大人になった妻にはもう起こらないであろう出来事に対する作者の言葉が、なんとも脱力してしまいます。同時に、本当に仲がいいのだと感じることもできると思います。
作者は基本的に世間一般の「普通」とは違うものの見方、言葉の選び方をしています。一見ほんわかした雰囲気の「成長したね」というセリフには、切り返しの上手さを感じます。
妻のエピソードに否定的な態度を取るわけでもない優しい言葉で、彼女との会話を楽しんでいる雰囲気が伺えます。
歌人として、短いセンテンスに言葉を組み込んでいく穂村弘はある意味、言葉選びのスペシャリストです。その事実を十全に感じさせてくれ、一つひとつの言葉に光るものがあると知ることができます。
世界音痴という日本語は存在しません。でも、なんとなく理解できてしまいます。世界に対して音痴。シュールかつ斬新な表現ではないでしょうか。
世界音痴については作中9番目のエッセイで書かれています。周りの人が「自然に」やっていることが、自分は「自然に」できない。「自然に」の輪に入れない。「自然さ」を持たずには、世界の中に入れない。つまりは世界音痴だ、と言うのです。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
- 2009-10-06
「自然さ」ででき上がっている世界の中に入れない焦燥感が赤裸々に綴られていて、思わず笑ってしまうエピソードが綴られます。ですが、ときおりはっとさせられるのです。これは自分にも経験があるぞ、笑いごとではないなと。人の振り見て我が振り直せ、ではありませんが、背筋が伸びる瞬間がたびたびやってきます。
穂村はお寿司が好きだそうで、寿司ネタも多くあります。表紙も回転寿司屋の写真ですから、寿司への思い入れがうかがえます。
短歌が散りばめられているのも読みどころです。そのときのエピソードに合わせて選ばれた短歌も素敵ですが、自作の短歌は秀逸です。
「切り替えスイッチ」というタイトルの中で詠まれた短歌が、ずっと頭に残っています。胃に影があるということで再検査を申し渡され、「次元が変わる」ほどの不安にさいなまれます。結果は「問題ありません」。
この言葉に世界が「きらきら」して見えてくる。見るものすべてが「きらきら」している。このまま生きていきたいと思っても、その感覚は長続きしない。その切り替えのスイッチは至近距離にあるのに手が届かない。このようなエピソードの最後を締めくくる短歌が、こちらです。
「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」
(『世界音痴』より引用)
一首詠むだけでも、穂村弘の感性が強く感じられます。
世界に馴染めないと言いながらも、自分として生きている姿は「自然さ」に悩むすべての人を、大丈夫、こんな感じで生きていけるからと応援しているようです。世界音痴でも、世界に入り込めないわけじゃないんだと、生き証人として存在しているのかもしれません。
『世界音痴』のように私生活を綴った面白いエッセイを他にも読んでみたい方には、こちらの記事もおすすめです。
私生活を綴ったエッセイおすすめ6選!いつ読んでも面白い作家たちの日常
こんなに面白い小説を書く人は、いったいどんな生活を送っているのだろう?こう思ったことはありませんか。そんな好奇心を満たしてくれるのがエッセイの醍醐味。作家の日常生活や素顔、価値観を知ることで、他の作品をまた違った角度から楽しめるようになるでしょう。この記事では、作家が私生活を綴ったおすすめのエッセイを紹介していきます。
冒頭「外の世界のリアリティ」というタイトルのパートで、本作『絶叫委員会』の説明が書かれています。
「『絶叫委員会』では、印象的な言葉について書いてみたいと思います。映画や小説の名台詞、歌謡曲の歌詞、日常会話、街頭演説、電車の吊り広告の見出し、怪しいメール、妻の寝言など、いろいろなところから言葉を拾ってくるつもりです」
(『絶叫委員会』より引用)
これはつまり、穂村弘が見聞きした「印象的な言葉」=「絶叫」を選出し、まとめた本なのです。絶叫を選別する委員会なるものがあったならば、委員長は穂村弘が務めたのでしょうか。絶叫委員会、ぜひ入りたいものです。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
- 2013-06-10
他人の言葉に耳を傾けてしまうときは、おそらく誰にでもあると思います。電車の中、飲食店、路上、人のいる所すべてがそのシチュエーションになります。しかし、実際に生活を送っていると、聞き逃したり、見落としたりすることはたくさんあるはずです。それは、好きな音楽を聴いているからだったり、たまたま下を向いていたからだったりするからだと思います。せっかくおもしろい言葉が溢れているのに、気づかないことが多いのは悲しいことかもしれません。
私たちが聞き逃し、見落としてしまっていたユーモラスな言葉たちを、穂村弘が拾って、よりおもしろく調理し、提供してくれます。彼の独特の観察眼が羨ましくも感じられ、普段から周りの言葉に注意してみようかなと思わせてくれます。どこに素敵な言葉があるのかなんて、誰にも分からないですからね。
「こんばんは、やどかりなんですけど」
(『絶叫委員会』より引用)
数ある絶叫の中から1つ選んでみましたが、前後のやりとりが気になりませんか。詳細は実際に読んで確かめてほしいです。ふとした瞬間に見聞きした言葉が、時には衝撃的で、価値観を揺さぶることがあるのかもしれませんね。
好きな音楽を聴く日だけではなく、たまには絶叫に耳を澄ませる日もつくってみませんか。
『鳥肌が』は日常に潜むちょっとした恐怖や不安に関するエッセイです。
作者自身が感じる不安や怖さだけではありません。友人に聞いた話、編集者の発言、掲載予定の短歌。
だれもが不安に思う話かと言われたら、そうではないかもしれません。しかし、煽られる不安、増幅される恐怖の羅列に読者は覚えがあると感じると思います。
ユーモアがありながらも、心がざわつく1冊です。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
人によって恐怖や不安を感じる部分は様々です。自分が何を「こわい」と感じるかと考えたとき、必ずしも本書の内容には当てはまらないかもしれません。
確実に年を取ってゆく親、文化の違い過ぎるアフリカ部族。それがこわいの?と、一般的な「こわさ」とのズレが読者に新たな恐怖を与えます。
「何かの拍子に、そんな『我々の日常』の皮が剝けると、その下から見たこともないものが顔を出す」
(『鳥肌が』から引用)
私たちが生活している日常の中には、悪意や他意のない人間の行為であふれています。
たとえば京都出身の担当編集者が、「大文字焼」を「五山の送り火」だと頑なに、そして笑顔で言う場面。他意のない作者の「大文字焼」という言葉が、まるで編集者の剝いてはいけない皮を剝いてしまったようで「こわい」のです。
挿絵もまた、文章と相まって不安を助長します。文章で想像された頭の中のイメージ図が、挿絵によって固まっていくようです。文庫化もされていますが、単行本の表紙には実物を手に取らないとわからないある工夫がされていますよ。
「こわさ」を幽霊や未知の存在以外に求める読者には特におすすめです。
これまでご紹介した4冊のなかでも恋や愛については書かれていましたが、本作『もしもし、運命の人ですか。』は恋愛についてのみ書かれた、これまで同様、独特な切り口の恋愛エッセイです。一つひとつがこれまでのエッセイより長めに書かれており、読みごたえもあります。長く書いているのは、それだけ恋愛における疑問や謎が多いのだろうと想像します。
- 著者
- 穂村弘
- 出版日
- 2010-12-21
「私の心を縛っている自意識。心配、そして効率。これらを突き詰めれば、命の惜しさ、勿体なさということにいきつくのではないだろうか。そのために自分の安全と損得のことが一瞬も心から離れない。これでは保身を忘れたセクシーなオーラを身に帯びることはできない」
(『もしもし、運命の人ですか。』「理想の男性像」より引用)
「目の前のカップルが、いつかどこかで出会い、時間の経過とともに微妙な眼差しや言葉や行為を交し合って、少しずつ関係を深めていったのだ。こいつらの全員がそれをやったのだ。『ふたりのやりとりの複雑さ』×『道のりの遠さ』×『カップルの数』を思って、ふーっと気が遠くなる」
(『もしもし、運命の人ですか。』「1%のラブレター」より引用)
上記はどちらも『もしもし、運命の人ですか。』の各章からの引用ですが、独特な視点と言葉選びから名言が生まれていることが伝わってきます。
たくさんのカップルを見て数式を作ってしまう感性には、心底感服です。また独特さゆえに迷言も多いのです。声を出して笑いたくなるようなポイントは、実際に読んで見つけてみてくださいね。
随所で短歌も紹介されています。そちらも心に響くものが多いので、あわせておすすめ。ここで、最初の章で詠まれる短歌をご紹介します。恋人と一緒にいる時間のやすらぎを、分かりやすく、しかし客観的な描写で捉えた短歌です。一緒にいる安心感とともに、一緒にいながらも向かい合っていない2人という描写にどこかハッとしまうのは考えすぎでしょうか。
「冷蔵庫が息づく夜にお互いの本のページがめくられる音」
(『もしもし、運命の人ですか。』「恋にかかる瞬間」より引用)
本作のように恋愛をテーマにしたエッセイをもっと読みたい方は、こちらの記事もご覧ください。
恋愛にまつわるエッセイおすすめ6選!人気作家たちも悩んでた
恋愛に悩みはつきもの。ひとりでふさぎ込んで辛いときは、人気作家たちが書いた恋愛に関するエッセイを読んでみませんか?思わず笑ってしまったり、勇気をもらえたり……この記事では、おすすめの6冊をご紹介します。
作者の一般的感覚からのズレと、愛してやまない本について語ったエッセイです。
何を食べても自分は貧乏くさいと嘆き、七三分けから脱出したいと切に願う。己の日常や自分自身に対する不満は愚痴のように語り、大好きな本に対してはとても饒舌に、まくしたてるように話します。
本が好きな人には手を叩いて頷けるようなエピソードも満載です。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
穂村弘のエッセイはまず、ままならない日常や、ままならない自分自身について語ることから始まることが多いのが特徴です。
御多分にもれず本書も、「フランス料理を食べても自分は貧乏くさいんだ!」というままならない自分への嘆きから始まります。穂村弘の嘆きや叫びは身につまされるというよりも、一種独特の悲哀と笑いが込められています。
ただ不満をぶちまけて読者に嫌な思いをさせたりせず、「フランス料理を食べても貧乏くさい!」という悲しみと一緒に「それはエレガンスではないからだ……」という笑いのオマケがつくところが魅力ではないでしょうか。
そんな「自分は一般の感覚からズレている」という部分は、自身が大好きな本に対しても当てはまるようです。しかし本に対しての感覚のズレは、読書が大好きな人にはそこまで変だと感じないはずです。
ご飯を食べずに目当ての本を探してしまうことも、出かける前に持って行く本を決められないことも「本好きあるある」だといえるでしょう。きっと、「そこはズレてないよ」と言ってあげたくなるはずです。
不満を笑いに変える力と、穂村弘の本を愛する文章は、読んでいて「ふふっ」となってしまうこと間違いなしです。
『君がいない夜のごはん』は初出がすべて料理雑誌に掲載された、穂村弘の食べ物にまつわるエッセイです。
生ハムメロンを食べれば「この食べ物は間違いだ」と思ってしまい、コンビニのおにぎりの進化に感心する。作者特有の「ズレ」は食べ物に対しても健在です。
作者の食べ物に対しても人とは頭一つ違ってしまう「ズレ」を楽しめ、さらに歌人・穂村弘の食生活も覗ける1冊です。
- 著者
- 弘, 穂村
- 出版日
「私は自分の鼻や舌に全く自信がないのだ。」
(『君がいない夜のごはん』から引用)
そう思っている人はきっとたくさんいるのではないでしょうか。誰も答え合わせすることはできないことですから。
作者は腐っている牛乳をそうとは気づかず飲んでしまいますが、自信を持って「この牛乳は腐っている」と断定できなかった自分に落ち込みます。
そこからくる上記の発言には、読者も「そういえば自分の舌も怪しいのでは?」と、自らの食の思い出が駆け巡ること間違いなしです。
作者の食生活が、特に異常というわけではありません。菓子パンが好きという部分は、成人男性であってもおかしくはありません。
しかし、私たちが思い描く「食」に対する思いや気持ちとは随分と違うものを抱いているということが分かります。
突然現れたスパゲッティに次ぐ存在「パスタ」に戸惑い、カロリーに会いたいと切に願う姿には吹き出してしまいます。
どんどん広がっていく作者の食べ物に対する妄想と自問自答。パンかご飯か?カレーライスかラーメンか?そばかうどんか?
クスッと笑えて、なぜかお腹も空いてくる不思議なエッセイです。
歌人・穂村弘と小説家・角田光代による男女の違いについて語り合ったエッセイです。歌人と小説家という、言葉を扱う職業の2人が24のテーマから男女の関係性を探っていきます。
男女の間には深い溝があり、きっと分かり合えないだろう……。そんな風に思っている男女の読者の気持ちを、しっかり代弁してくれます。
生きていく上では関わり合いを避けることは決してできない「男」と「女」という性別に対して、理解し合うきっかけになる1冊です。
- 著者
- ["角田 光代", "穂村 弘"]
- 出版日
- 2014-11-06
この本は、男女の間に横たわる深い溝を埋める本ではありません。溝の正体を一緒に探り、その溝の中を一緒に観察する本だと思います。
「溝の正体はこれだ!」というような答えは出ません。けれど、男女の代弁者である2人の意見を読んでいくと、なんとなく「男女の仲の深淵」を覗いたような気持ちになります。
「内面か?外見か?」については、もう答えが出ているようでどの世代でも話の種になる話題でしょう。「性格のいい女はブス」という意見から、「内面は外見に出ないから分からない」という意見まで。
男性も女性も、どちらがどちらの意見を読んでもおそらく驚くことは間違いなし。性別というものは根深い隔たりがあることが分かると思います。
しかし、だからといって性別の違いのせいで関係をこじらせようとはしていません。人種や肌の色が違うように、男性という性別と女性という性別の多様性を2人は語っています。
認め合うまではいかなくても、少しずつ理解をしたい。違うことを「悪」とせず、しかし無理やり分かろうともせず。「そういう考え方もできるよね」といえる関係を築ける本です。
穂村弘自身が過ごす毎日の中で感じた違和感や、居心地の悪さ、なんとく感じる不安について語ったエッセイです。
おばあさんの鼻先でドアを閉めてしまった気まずさ。咄嗟のタイミングで動けない自分の不甲斐なさ。どちらかというと少数かもしれない意見を、作者が掬い取るように拾いあげてくれます。肩の力が抜け、頬の筋肉を緩めてくれる1冊です。
芸人で芥川賞作家の又吉直樹との対談も収録されており、2人の間で交わされる独特の会話も楽しめます。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
穂村弘の主張する意見や気持ちは、一見マイノリティに感じるかもしれません。「私もそう思う!」と、諸手を挙げて賛成はできないと思います。
しかし実は、「自分はきちんとお店にクレームを言える人間か?」など、読者にも身に覚えのあるものばかりなのです。作者の意見に「賛成」ではなく、奇妙な「共感」を感じること間違いなし。
親切さえも猿真似のようになってしまう作者の悲哀とアイロニー。それは時に笑いを誘い、時に涙を誘います。
大学の後輩からの自分の印象が「カニミソの人」だったと表現された時、読者は笑うと同時に悲しくなるでしょう。たくさんの出来事があった中で自分の印象が、カニミソ?
「Iくんの頭の中では私はずっと『カニミソの人』だったのだ」
(『蚊がいる』から引用)
作者の嘆きがとても刺さります。
このエピソードの他にも、穂村弘は嘆いたり嘆息してばかりなのです。しかし嫌みがまったくなく、サラッと流れるように読めてしまうのも特徴かもしれません。
毒気のない本気の嘆きをどうぞお楽しみください。
野望もなければ立派な志もない穂村弘の生活を綴った、初期の作品です。エッセイ集としては『世界音痴』に続く作者2冊目になります。
女性同僚が感じる男性の行動の気持ち悪さについて悩み、朗読会に参加すれば朗読そっちのけで服装のことを指摘される。
どうにもならないことに苦悩し、しかしどうにかしようとする志は最初から作者にはありません。どうにもならないならそのままでいよう、という作者のなんとも気の抜けた、けれども小気味よい文章が読めます。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
「曇天の午後四時が怖ろしい」
(『もうおうちへかえりましょう』から引用)
なんとも不吉な文章からこの本は始まります。文字面からどこか不吉には感じるものの、その意味は即座にはわからないでしょう。一瞬では理解できないからこそ、この文章の続きが気になるはずです。
作者の怖ろしく感じたり、不満に思ったりすることには共感できないものもあります。
上記の「曇天の午後四時が怖ろしい」という表現に具体的な例はありません。はっきりと「幽霊が見えるから怖ろしい」などと書いてあるわけではないからです。
しかし不思議と、作者の表現自体には強くひきつけられます。だんだんと読み手にまで作者の恐怖が伝染してくるのです。
穂村弘は独自のものの感じ方をしています。それは穂村弘イズムとも呼べる思考の在り方かもしれません。この考え方ができれば、世の中の見方が少し変わると思うのです。
なんでもないことに苦悩したり、どうでもいいようなことが気になるようになってしまう弊害がある……かもしれませんが。
以上、穂村弘のおすすめエッセイ13選でした。穂村弘の魅力は伝わってきたでしょうか。エッセイ作品、そもそも穂村弘という人物がおもしろいので、実際に読んでもらいたい!と思います。独自の世界観が、読書家の皆さんの新たな発見に繋がることでしょう。ぜひ一度手に取ってみてください。