「安楽椅子探偵」とは、事件現場に足を運ばずに、関係者から話を聞くだけで真相を暴いてしまう探偵のこと。必要なのは推理力と洞察力、そして己の人生経験です。この記事では、そんな「安楽椅子探偵」が活躍するミステリー小説のなかから、特におすすめの名作たちを紹介しましょう。
ミステリー小説のジャンルのひとつ「安楽椅子探偵」をご存知でしょうか。
そもそも安楽椅子とは、ひじ掛けがついていてゆったりと座れる椅子のこと。「安楽椅子探偵」は、そんな安楽椅子に座ったまま事件を解決する探偵なのです。事件の現場に足を運んだり、証拠を自分で集めたりすることなく、関係者の話や調書のデータなどをもとに、頭の中だけで推理を重ねていきます。
「安楽椅子探偵」の魅力は、「言語情報のみ」で事件を解決していくこと。つまり読者も探偵役と同時に情報を得ることができるので、同じ立場から謎解きに参加できるのです。純粋な推理力と洞察力を活かした、ミステリー小説の究極の形といえるかもしれません。また短編小説が多いので、ミステリー小説初心者にもおすすめできます。
ここからは、そんな「安楽椅子探偵」が活躍する小説をご紹介していきます。
ミス・マープルの自宅には、作家で甥のレイモンド・ウェストらが作った「火曜クラブ」の面々が集まっていました。会合では、各自が真相を知っている昔の迷宮入り事件を持ち寄り、みなで推理を披露しあいます。
しかし語られる事件は難問ぞろい。参加者は頭を抱えますが、ただひとり、静かに編み物をしていたミス・マープルだけは、真実を見抜いていました。
- 著者
- アガサ クリスティー
- 出版日
- 2003-10-01
1932年に刊行されたイギリスの作家、アガサ・クリスティーの短編集。表題作の「火曜クラブ」には、ミス・マープルが初登場します。
ミス・マープルはクリスティ作品を代表する名探偵で、いつも静かに座って編み物をしている、優しそうなおばあちゃま。安楽椅子がよく似合います。
そんな彼女の武器は「人生経験」と「人間洞察力」。人間の本性を底の底まで知り尽くし、次々に謎を解決していく様子は実に爽快です。最初はミス・マープルのことを馬鹿にしていた火曜クラブのメンバーも、回を重ねるごとに態度を改めざるをえなくなるほど。
「安楽椅子探偵」の定番ともいえる作品なので、ぜひ読んでみてください。
「十語ないし十二語からなるひとつの文章を作ってみたまえ。そうしたら、きみがその文章を考えたときにはまったく思いもかけなかった一連の論理的な推論を引きだしてお目にかけよう」(『九マイルは遠すぎる』より引用)
親友のニッキイ・ウェルト教授にこう言われた私は、ふと思いついたある1文を口にします。それを聞いた教授が引きだしたのは、一体どんな推論だったのでしょうか。
- 著者
- ハリイ・ケメルマン
- 出版日
1947年に刊行されたアメリカの作家、ハリイ・ケメルマンのデビュー作。8編の短編が収録されています。
「安楽椅子探偵」の金字塔ともいわれる作品で、特に表題作の「九マイルは遠すぎる」は有名。内容は知らなくても、「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」というフレーズは聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
この短い文を聞いたニッキイ教授は、論理的な推理を重ね、最後に驚くべき真相を暴き出すのです。いたってシンプルなストーリーですが、「安楽椅子探偵」の神髄である論理的思考を堪能できるでしょう。
またニッキイ教授のシニカルで癖のあるキャラクターも魅力的。語り手の私とのやり取りも絶妙で、ぜひ2人の会話劇にも注目しながら読んでみてください。
女人禁制、他言無用、ホストの絶対権限……これらのルールにもとづいて、ニューヨークのレストランで毎月1回開かれる「黒後家蜘蛛の会」。会員は、化学者、数学者、弁護士、画家、作家、暗号専門家の6人と、ゲストが1人です。
会合ではいつもミステリーめいた話題が出て、それぞれが自身の推理を披露するのですが、いつも真相を言い当てるのは黙って話を聞いていた給仕係のヘンリーでした。
- 著者
- アイザック・アシモフ
- 出版日
- 2018-04-12
1974年に刊行された、SF界の巨匠 アイザック・アシモフの代表作。シリーズ化されていて、日本では文庫版が全5冊発表されています。
「黒後家蜘蛛の会」で取りあげられるのは、暗号を解いたり、失くし物を探したりと日常の謎ばかり。それを教養豊かなメンバーたちが、自身の専門知識を駆使して推理をしていくさまが面白く、ウィットに富んでいて魅力的です。ずっと話を聞くだけだったヘンリーが、最後に鮮やかに真相を暴くお決まりのパターンも楽しめるでしょう。
各話ごとについている作者の「あとがき」にもご注目。作品の一部として飛ばさずに読むことをおすすめします。
刑事のデイビッドは、毎週金曜日の夜に妻のシャーリイを連れて、実家のママを訪ねることにしています。
お目当ては、ママが作る絶品ロースト・チキン……ではなく、捜査中の事件の内容をママに話し、助言をもらうこと。ママは簡単な質問をいくつかするだけで、警察が頭を悩ませている事件をあっという間に解決してしまうのです。
- 著者
- ["ジェイムズ ヤッフェ", "James Yaffe"]
- 出版日
- 2015-06-04
1977年に刊行された、アメリカの作家ジェイムズ・ヤッフェの作品。「安楽椅子探偵」もの小説の最高峰ともいわれていて、作者の職人芸が光る名作です。
一見料理上手な普通のママが、難事件をあっさりと解決していくさまが面白い作品。特別な知識は必要なく、人間心理を見抜く力と豊富な人生経験を用います。
シャーリイとママの嫁姑バトルと、間に入って苦労するデイビッドという構図も毎回お決まりの笑えるポイント。しかもそんな会話劇のなかにさりげなく、事件解決のヒントが盛り込まれているのです。ほとんどの真相はママの過去や人生観とリンクしているので、1話読むごとに彼女の人となりを深く知っていけるのも見どころでしょう。
三軒茶屋の路地裏にあるビアバー「香菜里屋」。数種類のビールとおいしい料理を提供しています。
マスター工藤の人柄にも惹かれてお客さんがやって来るのですが、彼らはみな何かしら「人生の謎」を抱えていました。
- 著者
- 北森 鴻
- 出版日
- 2001-12-14
1998年に刊行された、北森鴻の作品。「香菜里屋」シリーズの1作目です。
バーを訪れる常連客たちが持ち込む小さな事件の真相を、マスターで「安楽椅子探偵」役の工藤が持ち前の洞察力で推理するという設定。しかし工藤はさりげなくヒントを提示するだけにとどまり、答えをすべて教えてくれるわけではありません。物事を断定しない優しさと、余韻を感じさせる構成です。
また本作の魅力は謎解きだけでなく、常連客たちが持ち込む事件をとおして「人生の悲哀」が描かれていること。穏やかで優しい雰囲気に包まれていて、陰惨なミステリーが苦手な人でも楽しめるでしょう。