5分でわかる感染症の歴史!種類や感染経路などをわかりやすく解説

更新:2021.12.8

この記事では、これまでの人類史においてどんな感染症が流行してきたのか、種類や感染経路、天然痘の根絶など歴史をわかりやすく解説していきます。注目されているおすすめの関連本も紹介するので、最後までチェックしてみてください。

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そもそも感染症とは

 

感染症とは、病原体が体内に侵入することで生じる疾病のこと。身近なものでは、いわゆる風邪(普通感冒)やインフルエンザなどが有名です。

感染症の原因となる病原体として代表的なものは、ウイルスや細菌、カビ、寄生虫など。症状は多岐にわたり、せきや鼻水程度の軽微なものから、生命に関わるものまでさまざまです。

病原体が体内に侵入する経路は、大きく「垂直感染」と「水平感染」に分類されます。「垂直感染」は「母子感染」とも呼ばれ、出産やその後の授乳などを通じて、母体から子どもに感染するものです。

「水平感染」は、感染源から周囲の生物に広がるもの。「接触感染」「飛沫感染」「空気感染」「媒介物感染」とさらに細かく分類することができ、これらの感染経路を特定、根絶することが、感染症の拡大を防ぐ大きなカギとなります。

古来より天然痘(疱瘡)やペスト、コレラといった感染症はしばしばパンデミック(大流行)を引き起こし、人類に大きな被害を及ぼしてきました。医療の発達した現代でも、エボラ出血熱やエイズ、新型コロナウイルス感染症のように、それまで知られていなかった「新興感染症」が発生し、国際的な問題となっています。

 

世界の感染症の歴史1:流行したものの種類や感染源、感染経路を年表で紹介

 

人類の歴史は、感染症との戦いの歴史といっても過言ではありません。ここでは、これまでに流行したものの種類や感染源、感染経路などを時系列で紹介していきます。

先史時代

初期の人類は小規模な単位で分散して生活していたため、感染症が拡大することはほとんどなかったと推測されています。

しかし人類は約1万年前から、農耕や牧畜をおこなうようになり、一ヶ所に定住する人が増加しました。人口密度が増したことで、しだいに感染症が問題になっていくのです。

紀元前12世紀

この頃没したエジプトのファラオ、ラムセス5世のミイラから、天然痘の痕跡が確認されています。これが現在確認できる、天然痘による最古の死亡例といわれています。

紀元前5世紀

古代ギリシャで起こった「ペロポネソス戦争」の際、籠城戦をしていたアテナイ(アテネ)で感染症が発生、多くの犠牲者が出ました。以前は「アテナイのペスト」と呼ばれていましたが、近年の研究の結果、当時流行した感染症は天然痘か発疹チフスだったと考えられています。

2世紀

「五賢帝」のひとりマルクス=アウレリウスが治める古代ローマ帝国で、天然痘の大規模な流行が発生しました。その原因は「第六次パルティア戦争」に勝利してシリアから凱旋したローマ軍が、天然痘を持ち帰ったことだといわれています。

6世紀

東ローマ帝国で大規模なペストの流行が発生しました。諸説ありますが、この時に帝国は人口の40%ほどを失ったといわれています。これが記録上で確認できる、最古のペスト流行です。

14世紀

世界中でペストのパンデミックが発生し、当時の世界人口の20%超、1億人前後の死者が出たと推計されています。

発生源は中国か中央アジアといわれていて、貿易を介してイタリアのシチリア島に持ち込まれた後、フランスやスペインを経てヨーロッパ全域に広まっていきました。その結果、ヨーロッパの人口は最大で5分の2程度まで減少してしまったそうです。感染すると、内出血によって全身の皮膚が黒ずむため、当時は「黒死病」と呼ばれて恐れられていました。

これだけ被害が拡大した要因として、当時は世界的に不作が続いたため、栄養不足が免疫力の低下を招いた可能性が指摘されています。

大量死は人々の死生観にも作用し、その様子は寓話「死の舞踏」をもとにした絵画や彫刻など、さまざまな芸術からもうかがうことができます。死を恐れる気持ちは、「メメント・モリ(=死を思え)」として芸術作品の題材になり、ルネサンスのはじまりにも影響したそうです。

ペストの流行はヨーロッパ以外の世界各地にも多大な影響をおよぼし、モンゴル帝国の衰退や農奴の地位向上などにも繋がりました。

19世紀

複数回にわたって世界的にコレラが流行、その影響は日本にもおよび、明治以降も数万人単位の死者が発生しています。

そこで明治政府は対策として、上下水道の整備など「公衆衛生政策」を推進。国民もコレラ予防の観点から清潔な環境を整えるなど、衛生意識を高めるようになりました。これがきっかけとなり、現在でも日本人の衛生意識は世界屈指の水準にあるといわれています。

20世紀

第一次世界大戦末期の1918年、アメリカでインフルエンザが流行しました。アメリカ軍の派遣にともないヨーロッパに持ち込まれ、その後大戦が終結すると、帰還兵を介して世界中に拡散していきます。当時の世界人口の4分の1にあたる約5億人が感染、2000万人から1億人が亡くなったそうです。

当初、戦時下にあった各国はその被害を隠蔽しましたが、中立国のスペインだけが実態を報道したため、「スペインかぜ」とも呼ばれています。

第二次世界大戦後

医療技術の高まりや、WHO(世界保健機関)など国際機関の活躍もあり、天然痘の撲滅など感染症の抑止に一定の成果が挙がりました。

その一方で、これまで人類に知られていなかったエボラ出血熱など「新興感染症」の流行が問題になります。エボラ出血熱は1970年代からアフリカで局地的なアウトブレイク(大流行)をくり返し、約90%という高い致死率で恐れられています。2014年の流行では日本人の感染も疑われ、緊張が走りました。

21世紀

2002年に確認されたSARSコロナウイルス、2012年に発見されたMERSコロナウイルス、そして2019年から2020年にかけて世界中で広まっている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をはじめ、新しいウイルスが発見されるたびに世界的な流行が起こっています。

また「新興感染症」だけでなく、結核など1度減少した感染症が再び流行する「再興感染症」も、大きな課題です。

 

世界の感染症の歴史2:天然痘はWHOが根絶宣言した唯一の感染症

 

人類の歴史を振り返ると、さまざまな感染症が流行をくり返してきたことがわかります。その一方で、感染症の抑止に尽力し、一定の成果を挙げてきたのも事実です。

特筆すべきは、天然痘の根絶でしょう。

天然痘は、天然痘ウイルスによって引き起こされる感染症で、「疱瘡(ほうそう)」とも呼ばれています。紀元前より流行をくり返し、日本でも奈良時代に流行。当時権勢を誇った藤原四兄弟が相次いで亡くなったり、奈良の大仏の造営のきっかけになったりと、歴史に大きく関わっています。

感染経路は、飛沫感染や接触感染。発症すると、発熱、倦怠感、頭痛、咽頭痛などの症状が出ます。その後内蔵を含む全身に発疹が生じ、これが化膿すると呼吸不全をもたらして、最悪の場合死に至ることもあるのです。

その一方で、近縁種の牛痘は、ヒトが感染しても非常に軽い症状で済みます。さらに牛痘から獲得できる免疫が天然痘にも有効なことがわかり、これを利用して「種痘」という予防接種が18世紀に開発されました。

1958年、WHO(世界保健機関)の総会で、ソ連のヴィクトル・ジダーノフが提案した「世界天然痘根絶決議」が全会一致で可決され、天然痘の根絶に向けた世界的な取り組みがスタート。1970年代になると、WHOは流行地域で徹底的に種痘をする「封じ込め政策」を実施し、感染者数は激減していきました。

1980年、WHOは天然痘の根絶を宣言。現在では研究機関を除き、自然界に天然痘ウイルスは存在しないといわれています。

こうして天然痘は人類が根絶した最初の感染症となり、主導したWHOの活動も高く評価されました。

 

 

 

壮大なスケールで感染症史をまとめた一冊

著者
["石 弘之"]
出版日

 

人類と感染症の関わりを、有史以前から振り返る作品。

まずは人類が歴史上、感染症からどのような影響を受けてきたのかを説明、弥生人が結核を持ち込んだために縄文人が衰退した可能性など、面白い仮説も見ることができます。

また作者は、ウイルスによる被害だけでなく、ヒトとウイルスの共生にも着目。たとえばピロリ菌の功罪などは、新たなイメージを与えてくれるでしょう。

ウイルスというニッチな内容ですが、読み物として面白く、人類史を考えるうえでも欠かせないものだと思わせてくれる一冊です。

 

人類と感染症の歴史を辿る一冊

著者
["加藤 茂孝"]
出版日

 

エイズやマラリア、狂犬病など、日本でも有名な8つの感染症を取りあげ、感染が拡大していった過程や、その対策をまとめた作品です。

人類は、常に感染症の抑止に成功してきたわけではありません。時には非人道的な対策が出されたり、誤った行動から感染症が拡大してしまったこともありました。

感染症が人々にどのような影響を与え、社会をどのように変えていったのか、さまざまな視点から理解できる一冊です。

 

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