「積ん読」という「罪」の重さを、みんなちょっと軽視しすぎじゃないだろうか。

更新:2021.11.29

「ホンシェルジュ」編集部の大学生インターン・吉野シンゴのセレクトで、独自のファンを持つ読書ブロガーの方々に書評を寄稿していただきました。 今回は、ブログ「俺だってヒーローになりてえよ」を運営する読書中毒ブロガー・ひろたつさんに、「積ん読」の功罪について語っていただきました! 本好きの方々は軽々しく「積ん読」をしがちですが、ここで一度、その罪深い行為との向き合い方を考えてみませんか?

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読書家は「積ん読」にどう向き合うべきか。

読書好き界隈には「積ん読」と呼ばれる、習性というか、悪癖が存在する。

これは「買った本を、読まずに積み重ねておく」という行為である。字面だけ見ると異常行動なのだが、ツイッターとかで「また積ん読が増えちゃう~」とかいう、体重とスイーツの狭間で悶える女子みたいな呟きを見る限り、かなり一般的に行われている様子が伺える。かくいう私も積ん読大好きっ子なのだけれど。

積ん読という行為は、他のものに置き換えると異常さがよく分かる。

例えば、服。着るために買ったはずの服を、1回も着ずにひたすら部屋の角に畳んで重ねていたらどうだろう。笑点の座布団みたいなことになってたらどうだろう。

観賞用に買って並べるのではなく、読むつもりで買ったのにただただ積み上げる。そんな行為が許されているのは、本ぐらいだ。今ちょっと考えてみたけど、積むために買うものって、他にはジェンガぐらいしか思いつかない。

本とジェンガ。あまりにもかけ離れているこの両者。共通点は積まれることと、直方体であることだ。だからなんだと思われたか。私もそう思ったところだ。気が合うな。

罪の意識が足りなさすぎる。

私は常々思っているのだが、積ん読という行為の罪の重さを、みんなちょっと軽視しすぎじゃないだろうか。

読書好きのツイッターアカウントなんかを日頃から眺めていると、積ん読は日常化されていて、家具と同列の扱いである。いや家具よりも序列としては下かもしれない。家具は必要になれば使われるが、積ん読本は机の上に置いた時点で「用無し」である。

男性目線で話を進めるが、買った本というのは、正規な手続きを経た本妻のようなものだ。愛を誓い添い遂げる(読み終える)べきである。ただ、そうは言っても相手は本なので、同時に何人もの妻を娶るのもありだろう。日本国憲法は往々にして解釈が別れるものだが、私は人対本の関係に限り一夫多妻(一妻多夫)制を許可していると読み取っている。

そう考えると、積ん読とは不倫みたいなものだろう。画面に収まりきらないほどの積ん読本の山をツイッターにあげてる奴は、不幸にした女の数を自慢しているようなもんだ。みんないい加減に目を覚ませ。もしかしたら本を擬人化している自分の方が目を覚ました方がいい可能性もあるが。

「積ん読」が止められないっていう、どうしようもないあなたにオススメしたい本。

ということで、本も罪も絶賛積み上げ中の積ん読愛好家たちにオススメしたいのが、こちらの本である。

じゃじゃん。

著者
近藤麻理恵
出版日

『人生がときめく片づけの魔法』は、「世界を片づけたい」というRPGの魔王みたいなことを本気で語る著者・近藤麻理恵、通称「こんまり」氏による、超ベストセラーである。

2015年の『TIME』誌で「世界で最も影響力のある100人」に選出されていて、さらに魔王感に拍車がかかっている。

日本だけでなく世界的にも評価されていて、全40ヶ国で翻訳、1200万部売れてるっていうんだから、こんまり氏が世界征服するのも時間の問題である。

こんまり氏が幼い頃から独自に重ねた研究を、誰にでも簡単に真似できるよう「こんまりメソッド」として記した本書。面白いのは、片づけだけに話が留まらず、実践した人から「人生が変わった」とまで評されていることである。

考えてみれば、部屋にある「物」は、煩悩をそのまま具現化したようなものばかりだ。自分の煩悩に囲まれる生活が当たり前になれば、そりゃ腐って当然だし、腐ってることにさえ気付けなくなるだろう。部屋から煩悩が消え去るのなら、「人生が変わる」のも当然と言えよう。

煩悩を捨て去るには修行が必要だけれど、物体の形をしていれば片づければ済む話だ。インスタント悟りである。こりゃ確かに魔法だ。

そういえば私には、こんまり氏の片づけの魔法にやられた友人がいるのだが、「こんな凄い本、読んだことない」とキラッキラの目で言ってきたことがある。あれは、完全にカルマから脱した人間の目だった。

ぜひとも、世の積ん読愛好家たちには、こんまりの魔法で重い重いカルマの輪から抜け出てほしいと願っている。

 

……というのは建前の話で、本当は『人生がときめく片づけの魔法』さえもしっかり積み上げておいてほしい。それでこそ積ん読愛好家である。

「積ん読」は、思う存分、積めるだけ積んだら良い。

さっきから好き勝手に書き散らかしているけれど、冒頭で書いたとおり、私も生粋の積ん読中毒者である。

仕事帰りに本を買っては、自宅の積ん読の山が高くなる瞬間には、得も言われぬ快感がある。もしかしたら無意識のうちにニヤついているかもしれない。私の母親にはとてもじゃないが見せられない顔である。じゃあ父親に見せるかっていうとそういうわけじゃないし、そもそもわざわざ見せる必要もない。

積ん読の魅力は、存分に分かっている。

書店で出会った魅力的な本たち。新しい本を手に取ると、脳裏には家で待っている未読本たちの顔(背表紙)がよぎる。若干の罪悪感を噛み締めながら購入するご新規。こんな背徳的な楽しみは人生の中でそうそうない。

本屋の棚に並んでいるとやけに魅力的に映るのだ。逆に、どれだけ欲しかったあの本も、一度手に入れてしまうと途端に輝きを失う。

ということで、我々はこれからも買って積んでは満足し、次の本を探しに本屋へと足を運ぶ。端的に愚かとしか言いようがない。だが、人間なんてみんな愚かだし、愚かさにこそ人間という未熟な生き物の愛らしさが詰まっているように思う。

だったら思う存分積めるだけ積んだら良いのではないのだろうか。そんなカルマを背負って、我ら本好きは生きていけば良いのである。

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