家事の中では洗濯が一番好きだ。朝起きるとまず天気予報を確認する。晴れならもちろんすぐに洗濯機を回す。午後から晴れそうなら先に朝ごはんを食べて、その後掃除機をかけてからにする。一日曇りの場合は洗濯物のたまり具合と明日の天気予報を確認するが、よほどのことがない限りやはり洗濯をする。夕方から雨が降りそうなときでも早く乾きそうなものを洗う。洗濯物が少ないと水がもったいないので、他に洗えるものはないかと家中を探し回る。
洗濯物がたまっていると、手を洗って新しいタオルを使うたび、洗濯機に近づくたびに落ち着かない気持ちになるのだ。一日を快適に過ごすには、洗濯かごが限りなく空っぽに近くなくてはならない。梅雨時に雨の日が続いたりすると、体の中に洗濯ものが詰め込まれてパンパンに膨れ上がっているような気分になる。だからかなり怪しげな空でも天気予報さえ曇りになっていれば祈るような気持ちで洗濯機を回してしまう。
しかし当然予報が変わって雨が降り出すこともある。何なら洗濯物を干そうと外に出た時にはもう降っていることだってある。生乾きの洗濯物を家の中に入れるのは憂鬱の極みだ。しかし、それよりもたまった洗濯物を見るのが嫌なのだ。そもそも気にしない性格だったら楽なのにと何度も思ったが、気になるものから目を背けるのはなかなかに難しい。
洗濯の次に好きなのは掃除だ。掃除は天気に左右されないから、毎日やっている。と言っても、掃除機をかけるくらいだけど。娘のために買ったフロアマットを白にしてしまったので小さなホコリでも気になって仕方ない。まずは普通に部屋の全体に掃除機をかける。次に掃除機の先端を細いノズルに付け替えて、細かなところを綺麗にする。さらにブラシ型のノズルを使って、ドアの隙間などを攻める。
さらに掃除機自体の掃除も定期的に行う。水洗いできるところを全てぴかぴかに洗って、ベランダで乾かすととても気持ちがいい。クイックルワイパーのウェットタイプも好きで、特にシートがでこぼこしているものは、掃除機をかけた後でも細かな埃が取れたりしてこれまた爽快だ。
しかし考えてみれば、洗濯も掃除も本当に好きだと言えるのだろうか?もしも、すごい金持ちになったとして“下着やタオルなどは使い捨て、あとは全てクリーニング”みたいな生活(そんな人いる?) になったり、全く汚れず常にピカピカの家に住んだとしたら、わざわざ洗濯や掃除をしたいとは思わないはずだ。生活の全てを担ってくれるお手伝いさんがいたところで、洗濯だけは自分でやりたいと懇願することもないだろう。喜んで一日中ゴロゴロ遊んで暮らすはずだ。前言撤回。洗濯も掃除も好きではない。
ならば料理はどうだろうか。これに関してはあまり好きとか嫌いとか考えたことがない。普通だ。いや、嫌い寄りの普通かもしれない。食べることは好きだが、できれば作って欲しい。しかし外食が続くと疲れてしまうし、百貨店やスーパーのお惣菜も美味しいけれど毎日だと飽きてくる。それにやはりコストや栄養の面から見ても自分で作った方が良いのでそうしている。
自分たちの食事に加えて娘の離乳食を作り始めたときは毎日地獄のような面倒臭さだった。おまけに作ったものを一口も食べてくれなかったりして精神崩壊しかけた(と言うかした)。その時はキッチンに近寄ることすら億劫だった。最近ではよく食べるようになってくれたので精神面でも落ち着いたし、作ることに慣れてもきたが、離乳食のレパートリーが少なすぎて申し訳ない。料理好きのお母さんだったらもっといろんなメニューを考えてあげるのだろうが、私は野菜、肉、魚、タンパク質・・・などの初歩的な栄養を考えるのが精一杯で、気付けば同じようなメニューのローテーションになってしまう。料理はやはり好きではない気がする。
子供ができてからというもの外食できる機会が減ってきた。できなくはないのだが店が限られる。子供も入れる店を探すのは結構面倒だ。すると家で食事する回数が増え、さっきも書いた通りやはりお惣菜では飽きてくるので、否が応でも自分で作らなくてはいけなくなる。しかし娘の離乳食同様に大人のメニューのレパートリーも少ない私は、同じ料理が頻繁に登場してしまう。
よく母が言っていた“晩御飯のメニュー考えるのが一番面倒くさい”という言葉がしみじみとわかるようになった。子供の頃によく何が食べたいかと聞かれ、いつも「何でもいい」と答えていた。それは食に興味がなかったからというのも大きいが、好き勝手言って母の手を煩わせたくないという子供なりの気遣いがあったり、ハンバーグとかカレーとかの(実際はだいたいそれが食べたかった)いかにも子供らしい料理をリクエストするのが恥ずかしかったりして、今思えばくだらないが複雑な感情が入り組んでの「何でもいい」だった。しかし、それこそ何でもいいから答えておけばよかったと思う。母なら喜んで作ってくれていただろう。
そんな記憶もあって、私はリクエスト方式をほとんど採用していない。面倒な料理を言われたら困るというのもある。(まぁ本当はそれがほぼ全てだけど)なので、スーパーに行って安かったり美味しそうだったりする食材を買ってきて、家にあるものと組み合わせて適当にレシピを考えている・・・と言うと料理ができそうな感じがしてしまうが、実際には全然考えておらず「なす ピーマン 豚肉」などとクックパッドで検索して人気の高いものや、あまり手数が多くなさそうなものを作っている。すると、その材料だとほぼ味噌炒めになる。たまに酸っぱいものが食べたくて甘酢で炒めたりもするのだが、この食材と言えばこの料理と言うのがどうしても決まってくる。しかも同じスーパーに通っていれば買う食材も似たり寄ったりになるので、しょっちゅう味噌炒めが食卓に並ぶのだ。
味噌炒めは好きだし、特に飽きる味というわけでもない。しかし作ることに飽きてしまった。飽き飽きしながら作った味噌炒めはそもそも本当に美味しいのかという疑問まで湧いてくる。そこになすとピーマンと豚肉があったからできた味噌炒め。一生のうちに何回作るんだろうと嫌気がさした。
そんな時、私は一冊の本に出会った。それは料理の本ではなく、実際にあった殺人事件を題材にした小説で、四六時中続きが気になって仕方ないほどに面白く、また衝撃的でもあった。しかしその物語の面白さ以上に、私はその中に登場する料理の数々と、それを表す味の表現に夢中になってしまった。あまりにも美味しそうなのだ。ちゃんとした料理が食べたいと強く思った。
そこで私は数年ぶりに、あるレシピ本を買った。今まで使っていたものはあったが、レシピなんてネットで検索すればいくらでもあるし、特に買い足さなくてもいいだろうと思っていた。ところが、ほとんど内容には期待せず自らを鼓舞するために買ったこのレシピ本が大正解で、難しい食材は使わず、味付けも非常にシンプルなのに作ってみると洗練された料理になるのだ。やはり餅は餅屋だ。いくらでも無料でレシピを知れてしまう中で、それでもわざわざ本を買う意味がちゃんとあるのだ。ネットは便利だが、情報が多い分結局偏ってしまうし、当たり外れもある。そのレシピ本からいくつか料理を作ってみたが、どれもはっきりと自分で美味しいと思える程の仕上がりになった。
そういえば母が料理を作り始めた時代は、それこそ本を読むか誰かに習うかして、徐々に勉強するしかなかったはずだ。地図を見て道を覚えるように、自分の中に手順や味付けを染みつかせてきたのだろう。しかし、カーナビばかり見ていてはなかなか道が覚えられないように、何かに頼っていては、料理そのものを手に入れることはできないのではと思った。毎度毎度ネットで検索していた私は、自分で作った料理を自分のものにできていなかった。その結果、自分好みの味にすることもできず、自信もつかず、料理自体を楽しめなかったのかもしれない。よく“おふくろの味”と言うが、そんなものは私には一生かかっても定着しないだろうと諦めていた。
しかし娘にとっては確実に私の味が“おふくろの味”になるのだ。自信がない料理をおふくろの味にはして欲しくない。何も見ずに手際よく料理ができる日がくるかはわからないし、多分たいして上手くもならないけれど、せめて私が美味しいと思っているものを、おふくろの味にしたい。娘が私たちと同じメニューで食事をするようになるまでにはもう少し猶予があるから、私なりの料理を作れるように頑張ろう。
お手伝いさんがいたとしたら、私は料理をどうするだろうかと想像してみた。自分で作るか、任せるか。娘の分だけでも作るだろうか。いや、今の状態だときっと作らないだろう。作りたいと思える程に料理を好きになりたいが、気になるものから目を背けること同様に、気にならないものに目を向けるのもまた難しい。三大家事はやはり全部あまり好きではない。でもただ一つだけ選ぶとしたら、料理を選ぶかもしれない。できないことには、のびしろがあると信じたい。料理というものが少しだけ、気になり始めているのかもしれない。
- 著者
- 柚木 麻子
- 出版日
男たちから奪ったお金で優雅に暮らし、そしてその男たちの殺人容疑で刑務所の中にいる梶井真奈子。週刊誌の記者である里佳は、若くも美しくもない梶井がどうして男たちを翻弄できたのか、そして殺人を犯したのか、その内面に迫っていきます。しかし、梶井への取材を続ける中で、里佳もまた彼女の言動に翻弄され狂わされていくのです。
実際にあった事件を元に描かれた作品ですが、事実に振り回されるようなことは決してなく、あくまでもフィクション。しかし、こちらの人生観は変わってしまうほどの、圧倒的な強さを持った作品です。そして、私が夢中になってしまった食べ物の表現。これが本当に素晴らしいのです。読みながら実際に作って食べたりもしました。今度東京に行くときは絶対に銀座ウエストでバタークリームのケーキを食べたいと思っています。とにかく面白いので、途中で読むのをやめることはないとはずですが、一気に最後まで読まないと5キロは太ることになると思います。危なかったです。
栗原はるみharu_mi 春
2020年02月29日
これが久しぶりに買ったレシピ本です。手に入らないような食材を使うこともなく、ほとんどは家にあるもので簡単にとても美味しいお料理が作れます。しかも、おしゃれ。特に“サーモンのタルタル”と“豚しゃぶと三つ葉の辛み鍋”は絶品でした。豚肉と三つ葉だけなのに超ごちそうなんです。おためしあれ。
- 著者
- ["高谷 亜由", "重信 初江"]
- 出版日
今までで一番お世話になったレシピ本です。定番のタイ料理、ベトナム料理、韓国料理からそれらのアレンジ料理まで楽しめます。こちらもスーパーで手に入る食材や調味料で、簡単にほぼ専門店のような味になってとても美味しいです。タイ風えびチャーハンがおススメです。
- 著者
- ["(株)ケイ・オプティコム", "eoグルメ編集部", "LLCインセクツ"]
- 出版日
関西にあるカレー屋さんが様々なカレーレシピを紹介している一冊です。あ、これならできるかも、というものから、こんな食材どこに売ってるねん!というようなものまで、読んでいるだけでも楽しいです。お店の意には反するかもしれませんが、カレーのスパイスは多少足りなかったとしてもクミンとターメリックとレッドペッパーさえあれば何とかなると思っているので、自分なりにアレンジしていくつか作りました。いつも作っているカレーよりは格段に美味しくできましたが、やっぱりカレーはお店で食べるのが一番だなと思いました。
小塚舞子の徒然読書
毎月更新!小塚舞子が日々の思うこととおすすめの本を紹介していきます。