あなたの今は、どんな今ですか?【小塚舞子】

あなたの今は、どんな今ですか?【小塚舞子】

更新:2021.11.29

2020年4月末。本来であれば、今頃はテレビで東京オリンピックに向けて選手のインタビューが放送されたり、それによって街がどんなに盛り上がっているかが映し出されたりしているはずだった。オリンピックにちなんだグルメなんかも紹介されただろう。世界中から人が集まることによって、ホテル不足だとかテロ対策、あとは交通機関の混雑など、様々な問題も提起されていたかもしれないが、それでもやはり明るい話題が多かったにちがいない。しかしそのオリンピックは、今のところ一年延期となった。

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一寸先などわからない

このコラムは書き上げてから大体一か月ぐらい間を置いて公開されることになっている。今これを目にしている人は、2020年の5月末以降を生きているはずだ。しかし私には、(と言うか、きっとこの世界の誰にも)ほんの少し先の未来がどんな風に動いていて、どんな風に止まっているのか、全くわからないでいる。

それが当たり前のことで、むしろそうあることが自然なのはわかっている。外に出れば事故に遭うかもしれないし、財布を落とすかもしれないし、運命の出会いをするかもしれない。家の中にいたって足の小指をぶつけて痛い思いをするかもしれないし、突然家電が全部壊れるかもしれないし、天井に顔のような染みを見つけるかもしれない。私たちは常に“かもしれない”瞬間を生きている。“一寸先は闇”とまで言ってしまえば、怖くて何もできなくなりそうだが、未来のことなどわからないものなのだ。

しかし、今の時点においての“未来がわからない”というのは、日常のそれとは大きく違っている。中国からやってきた新型コロナウイルスの流行によって、日本には現在、緊急事態宣言が出されている。不要不急の外出は自粛するようにと通達され、マスクやアルコール除菌のグッズなど、ウイルス感染を防ぐ物が不足し、ライブハウスやカラオケ店、バーやパチンコ店といった、生活に必需ではないけれど人々の心を潤すためにある場所はそのほとんどが休業している。

人との接触を8割減らすようにするため、リモートワークや時差出勤が行われ、いつもは賑わっている街も(とくに都会おいては)人がまばらになった。テレビでは、日々増え続けるコロナウイルスに感染した患者の数を発表し、それに伴って起こるあらゆる問題が報道されている。

かけがえのない命が奪われ、貴重な時間も奪われ、当たり前の暮らしでさえも奪われた。しかし、誰も悪くない。そう。あくまでも悪いのはウイルスなのだ。目に見えないウイルスが多くの人々の健康だけでなく、心さえも蝕んでいる。人と人との他愛もない繋がりに大きな溝を作り、それによって、善と悪との境目が曖昧になるまで人々を疲弊させている。

映画のような出来事が目の前で起こっていることが、あまりにも残酷で怖くて、ニュースやSNSを見るのが嫌になった。けれど目を反らすわけにもいかず、鬱々とした気持ちで毎日を過ごしている。それが、今パソコンの前に座っている私だ。緊急事態宣言は5月6日までとなっているが、その頃には少しは落ち着いているのだろうか。これを一か月後に読んでいる私はどうなっているのか。わからない。まさに一寸先が闇なのだ。

人と会えなくて寂しいなんて

私はこのことを記事に書くかどうか、とても迷った。実は先月も書こうとしたのだが、コラムが掲載される頃には事態が落ち着いているのではないかと考えてやめた。しかし落ち着くどころか、悪くなる一方だった。そして、今も迷いながら書いている。日々状況が変わるので、書き終わる頃には何らかの進展があるかもしれず、そうなったらまるごと書き換えなくてはいけないかもしれない。それに楽しくなる話が書きたいし、考えていたい。

でも、どうしても気持ちが切り替えられないのだ。ずっと家にいるからだろうか。窓の外は春の温もりが伝わるように明るくて、ベランダに出てみてもやはり風が柔らかくて気持ちがいい。それなのに今は、娘と公園に行くのさえ憚られる状況だ。元々家にいるのは嫌いではなかったけれど、自らそれを決定するのではなく、家に“いなければいけない”ということがこんなにも苦しいとは思わなかった。テレビやラジオを消して静かに時間を過ごしていても、家にいるというそれ自体が悪い意味での特別な行事のように感じられて、何だか落ち着かない。一番安らぐはずの場所に、閉じ込められているような感覚だ。人と会えなくて、こんなにも寂しいと思ったのは初めてかもしれない。

人が苦手なはずだった。買い物をしていて店員さんに話しかけられるのも、道端でばったり知り合いに会うのも嫌だった。しかし今は猛烈にそれを欲している。世間はリモート飲み会とやらが流行っているそうだが、残念ながらわざわざリモートで乾杯してくれそうな相手はいない。そういえばリモートでなくても飲み会にはほとんど誘われないことを思い出して、人付き合いの悪い自分を恨みたくなった。

日を追うごとに孤独感は増すばかりだ。家族はいるので一人というわけではないのだが、それでも寂しい。人に気を使ったりする煩わしさですら恋しく感じてしまう。(あまり気は使えないのだけど)もっとフレンドリーに、飲み会やパーティーに誘われるような人生を歩んでおけばよかった。

この寂しい気持ちを紛らわせるには、やはり読書しかないと思って、娘が寝た隙や旦那さんに見てもらっている時間に本を読んでばかりいた。本屋さんに行くといつも読みたいものが何冊も見つかって散財していたので、まだ読んでいない本が家に数冊あった。集中して本を読んでいる時間はモヤモヤした気持ちを忘れられる。しかし読み終わると、物語の登場人物たちに別れを告げられたようで、いつもは感じない寂しさを感じてしまう。それを紛らわせるためにまた新しい本を読む・・・としていると、あっという間にストックがなくなってしまった。最後に読んだのが上下巻の上巻で、下巻を買っていなかった。慌ててネットで注文したが、本すら買いに行けないという現実がまた私をがっくりとさせた。

一寸先に光がある未来を願って

そんな私に一通のメールが届いた。10年以上前に仕事でとてもお世話になった方だった。たまに連絡を取ったりはしていたが、かなり久しぶりに来たメールで「元気ですか?無事ですか?」という内容だった。いつもはちょっと時間を置いて文面を考えたり、届いたメールをじっくり読み返したりして、返信するのが遅くなるのだけれど、すぐに元気で無事ですと書いた。またすぐに返ってきて、そのあとも簡単に自分の近況を何ラリーかに分けて報告しあい、やり取りが終わった。しかし、本を読み終わった時のような寂しさは全く感じず、ふわりと柔らかく温かい気持ちが残った。思い出して、メールをくれたことが嬉しかった。

私も久しぶりに連絡を取るような誰かにメールをしてみようと思った。誘われることばかり期待するのではなく、自分から動くことも必要だ。そのことがすっぽり頭から抜け落ちていた。とは言っても、メールができるような相手は多くない。私はきっとこれからも誰かと連絡を取っているより、本を読んで過ごす時間の方が長いだろう。それでも、人とつながっている時間は、たとえリモートでも心を癒してくれる。

さて、これを読んでいる私は、今どんな時間を過ごしているのだろう。そして、あなたは。

一寸先が明るく照らされている世界になっていることを心から願っている。いや、そこを照らすのは自分自身なのだ。家にいることを選択するのも、そこでできることを探すのも自分だ。たとえ小さくても、ちゃんと光が見えていますように。

読み終わった後も寂しくならない本

著者
増山 実
出版日

大阪の下町、玉出の銭湯に居候する駆け出しの落語家、甘夏。彼女の師匠である桂夏之助がある日、甘夏と二人の兄弟子たちを置いて失踪してしまいます。師匠は帰ってくると信じて一門を守ろうとする三人は、深夜に『師匠、死んじゃったかもしれない寄席』を行うことを思いつきます。

そこに集まるのは何らかの事情を抱えた人たち。そして、落語家として奮闘する三人にもそれぞれの想いや悩みがあります。女性落語家への偏見や、自らの生い立ち・・・。物語は思わぬ方向へ進んで読む人に考える力と機会を与えてくれます。

この本を読んでまず、『寄席に行きたい!』とウズウズしました。それほど落語の魅力がつまっているのです。彼女たちが成長していく様子は自分を勇気づけることにもつながり、読み終わった後には、甘夏がそっと寄り添っていてくれるような気分にさせてくれます。大阪のいろんな町が出てくるのも楽しくて、私もこの自粛期間が終わったら歩いてみようと思いました。

著者
一文, 白石
出版日

“昔の男が住む京都へサプライズ旅行をしたら、彼女はどんな反応をするだろうか。”こんなことを考えて、実行にまで移してしまう主人公は29歳出版社勤務。高給取りで頭もいいけれど、とんでもなくひねくれていて偏屈です。自分の恋人だったら最悪!と思うのですが、心のどこかでその偏屈さを応援したくなってしまいます。

時折見せる素直さよりも、むしろ嫌味な方に共感してしまう。これは私自身がひねくれているからなのか、主人公の目線で物語を読み進めているからなのか・・・。

そして、彼の奥に潜む過去の記憶や秘密が明かされていくうちに、何が歪んでいて何が真っ直ぐであるのか、今まで自分が正しいと思っていた固定観念のようなものが、少しずつほぐされていくような感覚がありました。読み終わった後に、改めて主人公のことを考えたくなる一冊です。

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