5分でわかる甲申事変!開化派と事大党、その後の天津条約などをわかりやすく解説

更新:2020.6.9 作成:2020.6.9

1884年の朝鮮で、近代化を目指す開化派が「甲申事変」と呼ばれるクーデターを起こしました。新政府を樹立したものの、わずか3日で鎮圧されてしまいます。この記事では、クーデターの背景にあった開化派と事大党の対立、日本との関係、その後の影響などをわかりやすく解説。またおすすめの関連本も紹介するので、最後までご覧ください。

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甲申事変の背景は?開化派と事大党、それぞれの思想を解説

 

「甲申事変」とは、1884年12月4日に朝鮮で発生したクーデターです。近代化を目指す開化派が、対立する事大党を一掃するべく蜂起しました。1884年の干支「甲申」にちなんで名付けられ、別名を「朝鮮事件」ともいいます。

開化派は一時は王宮を占拠し、新政府の樹立に成功しましたが、中国の清が介入して3日で失敗に終わっています。

開化派は、1870年代に日本の明治維新などに刺激を受けた青年貴族官僚を中心に結成されました。目標としていたのは、日本と手を結び、宗主国である清からの「自主独立」と「近代化」を実現すること。そのため別名を「独立党」ともいいます。

中心人物は金玉均(きむおっきゅん)と朴泳孝(ぼくえいこう)の2人。福沢諭吉をはじめとする慶應義塾関係者が彼らを熱心に支援しました。

一方の事大党は、朝鮮国王である高宗の妃である閔妃(びんひ)と、彼女の実家である閔氏一族を中心に形成された派閥です。「事大」とは、『孟子』のなかの一節「以小事大」に由来し、「小国は大国に従うべき」という考え方にもとづいています。これまでの伝統を守り、清の冊封下に留まって、その庇護下で開化政策を進めることを目指していました。清の実力者である李鴻章(りこうしょう)や、彼の配下の袁世凱(えんせいがい)が支援しています。

 

甲申事変と日本の関係は?「済物浦条約」もあわせて解説

 

朝鮮は長らく鎖国状態にありましたが、1875年に起きた「江華島事件」と、これをきっかけに結ばれた「日朝修好条規」によって、開国への機運が高まります。

この動きに乗じて、最初に開化政策を推進したのは、実は後に事大党を率いる閔妃でした。閔妃は日本か旧式軍隊が、ら教官を招き、「別技軍」と呼ばれる近代式軍隊を創設。しかし既得権益が奪われることを危惧した旧式軍隊が1882年に「壬午軍乱」というクーデターを起こします。閔妃を王宮から排除して、高宗の父で当時失脚していた大院君政権を復活させたのです。

大院君は、かつて政権を握っていた際は開国を否定し、外国勢力を排除する攘夷志向で、キリスト教などに激しい弾圧を加えた人物。明治維新を遂げた日本のことも、秩序を乱すものとみなして、日本公使館を焼き討ちにするなどしていました。

そのため日本は、居留民を保護するために軍艦4隻と1000人以上の兵を、さらに清も属領を保護するために軍艦3隻と3000人の兵を派遣します。こうして「壬午軍乱」は鎮圧され、大院君は天津に拉致されることに。閔氏政権が復活します。

日本は閔氏政権との間に、賠償金の支払いや公使館護衛のため漢城に日本軍を駐留させることなどを定めた「済物浦(さいもっぽ)条約」を締結。

また清は3000人の兵士を引き続き漢城に駐留させたうえで、袁世凱を事実上の「朝鮮国王代理」として派遣し、実権を掌握することに成功します。結果的に朝鮮の王宮内では、開化派が大きく後退し、袁世凱が支援する事大党が勢力を強めていきました。

袁世凱の事実上の監視下に置かれることになった閔妃は、宗教に傾倒。朝鮮全土から宗教家を集め、毎日2回の祭祀をするほどです。莫大な費用をまかなうために売官、関税の横流し、悪貨の鋳造などが横行しました。

この事態を深刻にとらえた金玉均などの開化派は、クーデターを計画。高宗、アメリカ、イギリスなどの同意を得たうえで、日本に援助を求めます。

日本としても、「壬午軍乱」の後に朝鮮における清の影響力が増していた状況は看過できません。ただ朝鮮に駐留していた清軍が3000人以上いるのに対し、日本が動員できるのは日本公使館を護衛するために駐留していた150人のみ。援助をためらっていたところ、「清仏戦争」が起こるのです。

 

甲申事変の経緯を簡単に解説。『甲申日録』に書かれた綱領の内容は?

 

ベトナムをめぐり、清とフランスが戦った「清仏戦争」。1883年に勃発しています。この戦いで劣勢になった清は、朝鮮に駐留していた兵士の半数、1500人を本国に戻すことになりました。

兵力差が縮まったことを受けて、金玉均はクーデターを決行します。

クーデター当日の12月4日は郵征局開庁の祝宴が開かれ、朝鮮政府の要人、イギリスやアメリカ、ドイツ、清など各国代表が出席。日本からは公使館で書記官を務める島村久が出席していました。

夜8時過ぎ、祝宴会場から少し離れた別宮周辺で火の手があがります。

金玉均と朴泳孝、そして徐光範(じょこうはん)の3人は王宮に急行し、高宗に対して「清軍の反乱」という嘘の報告をしました。日本公使への救援要請を求め、高宗が従うと、待機していた竹添進一郎公使と日本軍が出動。国王夫妻が滞在する景祐宮を守ります。

騒ぎを聞いて王宮に駆けつけた事大党の閣僚たちのほとんどが討ち取られました。翌5日には政府の要職に開化派の幹部たちが就き、新政府の樹立が宣言されたのです。

6日には政治綱領も発表。金玉均の『甲申日録』によるとその内容は、「清に対する朝貢の廃止」「門閥の廃止」「人民平等の権利の制定」「地租の制定と税制の改革」「内閣の設置」「巡査の設置」「政治犯の釈放」など14ヶ条で構成されていました。

クーデターは成功し、開化派が目指す清からの「自主独立」と「近代化」が実現するという期待が高まります。

しかし、「甲申事変」が発生してから約3日間、事態を静観していた袁世凱が動きます。1300人の兵を率いて王宮に向かい、国王への拝謁を申し出たのです。金玉均は、拝謁は認めるものの、兵を率いて王宮に立ち入ることは拒絶しました。

これを受けて、袁世凱は王宮への攻撃を開始。朝鮮政府軍の多くが戦うことなく逃亡し、そうでないものは清側に寝返ったため、開化派の新政府軍は日本兵150人だけで戦わざるをえなかったそう。日本軍も撤退することになり、国王夫妻は清軍の手に落ち、新政府はわずか3日で倒されることになりました。

竹添公使、金玉均、朴泳孝など9人は仁川から長崎に脱出しています。ただ漢城の日本人居留地は清軍や暴徒たちによって破壊され、多くの日本人が被害を受けたそうです。

 

甲申事変のその後。清は日本と「天津条約」を締結

 

日本国内では、竹添公使や駐留していた日本軍が「甲申事変」に関わっていたことは伏せられたまま、清軍の襲撃と日本人居住地の被害の様子が報道されます。清に対する強硬論が強まっていきましたが、当時の日本と清の国力には圧倒的な差があったため、政府としては全面対決を回避して事態を収束させたいと考えていました。

これにもとづき、日本は朝鮮との間に「漢城条約」を、清との間に「天津条約」を締結します。

「漢城条約」では、日朝両国の速やかな関係回復を実現するため、「甲申事変」発生の経緯は棚上げし、「日本公使館の消失」と「日本人の被害」という事実を取り上げ、国王の謝罪、死傷者への補償金、公使館再建費用の負担などが決められました。

一方「天津条約」で焦点となったのは、「日清両軍の撤兵問題」と「日本人被害の責任追及」です。問題は、両軍が撤退した後の、朝鮮半島への出兵について。

日本は第三国の侵攻など特別な場合を除いて出兵すべきでないと主張したのに対し、清は「甲申事変」のような内乱が発生し、朝鮮国王からの要請を受けた場合には出兵すると主張。6回におよぶ交渉がおこなわれ、最終的には「出兵する際には相互に通知すること」「事態が収まった際には速やかに撤兵すること」が決まりました。しかし後にこの条項が破られることをきっかけに、「日清戦争」が始まってしまうのです。

「天津条約」が締結されたことで、朝鮮に駐留する外国軍隊はいなくなります。しかし清の影響力は強いままで、漢城に居座る袁世凱がたびたび政策に介入。閔妃の開化政策は停滞し、民衆による蜂起が頻発するなど、不安定な状況が続きました。

また朝鮮政府の外交顧問だったドイツ人のメレンドルフは、朝鮮半島への進出を目指すロシアに接近するようになり、後の「日露戦争」の遠因になっています。

 

閔妃暗殺までの経緯を解説

著者
房子, 角田
出版日

 

孔子の弟子である閔子騫の子孫といわれる、閔一族。朝鮮にわたり、最大の領地をもつ有力氏族となりました。19世紀なかば、王族のひとりである李是応に閔一族の女性が嫁ぎ、生まれた子が高宗として即位すると、高宗の妃を閔一族から選ぶことになります。

そうして妃となったのが、「事実上の朝鮮国王」ともいわれていた閔妃です。大院君と呼ばれる義父の李是応と、激しい権力争いをくり広げました。

本書ではそんな彼女に焦点を当て、特に「甲申事変」から暗殺事件までの経緯を中心に詳細に記述した作品です。一国の王妃が暗殺されるという大事件がなぜ起こったのか、そしてなぜ事件の関係者のほとんどが無罪となったのか……。そこには朝鮮だけでなく、日本や中国、ロシアなども大きく関わっていました。

真相を掘り起こして「問題作」ともいわれた作品です。

 

甲申事変など、日清・日露戦争が起きた原因をわかりやすく解説

著者
神野 正史
出版日

 

予備校で世界史を担当するカリスマ講師が、歴史上の出来事を解説する「世界史劇場」シリーズです。

押し寄せる西洋列強の脅威に対し、明治維新を成し遂げた日本、洋務運動を進めた清、そして「甲申事変」に代表されるように開化派と事大党の争いに揺れた朝鮮の事例を紹介し、「日清戦争」と「日露戦争」がなぜ起きたのかをわかりやすく解説しています。

平易な文章とイラストで、まるで再現ドラマを見ているかのように理解できると人気の作品。学生はもちろん、社会人の学び直しにもおすすめです。