約23億人もの信者を有する世界最大の宗教「キリスト教」。この記事では、各宗派の教えや世界各地に広がっていった歴史をわかりやすく解説していきます。おすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。
キリスト教とは、ナザレのイエスを「キリスト(救世主)」とし、イエスは十字架に架けられた後に復活したと信じる宗教のこと。「父なる神」「その子キリスト」「聖霊」を三位一体の唯一の神として信仰しています。
ただひと口にキリスト教といっても、上記の定義に当てはまらない異端とされるものも含め、多くの宗派が存在しています。大まかに分類すると、「東方キリスト教」と「西方キリスト教」の2つ。さらに「西方キリスト教」は「カトリック教会」と「プロテスタント」に分かれます。ちなみに世界史で習うローマ教皇を頂点とする教団は、「西方キリスト教」の「カトリック教会」を指すものです。
また「プロテスタント」のなかにも「ルター派教会」「改革派教会」「長老派教会」「会衆派教会」「メソジスト教会」「バプテスト教会」「アナバプテスト」などさまざまな宗派があります。
キリスト教全体の信者は、すべての宗教のなかでもっとも多く、世界でおよそ23億人。このうち約12億人が「カトリック教会」の信者、約5億人が「プロテスタント」諸派、約3億人が「東方キリスト教」系、約3憶人が「モルモン教会」や「エホバの証人」などです。
「カトリック」という言葉の語源は、ギリシア語で普遍的、世界的を意味する「カトリコス」。自らを「使徒ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」と定義しています。
その教えは「聖書と聖伝」という言葉で表されていて、旧約聖書や新約聖書、イエス・キリストや使徒の教えに由来するもの。教父たちの研鑽によって磨かれ、議論されたうえで公会議において確立されたものとし、「使徒信条」および「二ケア・コンスタンティノープル信条」を基礎としています。
「プロテスタント」は、その名のとおりカトリック教会に対する「抗議」から生まれた諸派です。ローマ教皇のように全体を統括する指導者や組織はありません。
その教えは、聖書は神の言葉であり一切の誤りはないとする「福音主義」が主となっています。
そのほか「カトリック」の教会が「派手で豪華」、聖職者を「神父」と呼ぶのに対し、「プロテスタント」の教会は「質素」で、聖職者を「牧師」と呼ぶ点に違いがあります。
また「イングランド国教会」は、その成立過程から「プロテスタント」に分類されることもありますが、「カトリック」の伝統を引き継いでいて、「中道の教会」「橋渡しの教会」とも呼ばれています。
現在は紀年法として「西暦」が一般的に用いられています。西暦は、6世紀のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスが算出したもので、イエス・キリストが誕生した翌年を紀元元年としています。しかしその後の研究によって、実際にイエス・キリストが誕生したのはディオニュシウスの計算よりも数年早く、紀元前6年~紀元前4年頃だったそうです。
『福音書』や『使徒言行録』では、イエス・キリストのことを「ナザレのイエス」と書いています。ナザレは現在のイスラエル北部にある町。当時は苗字を名乗る風習がなかったため、他者と区別するために出身地を付けて呼ぶのが一般的でした。
ナザレのイエスが活動していた期間は、28年から30年までの3年ほど。さまざまな教えを説き、奇蹟を起こし、12使徒に代表される「ユダヤ教ナザレ派」という小規模な教団を組織しました。
ナザレのイエスは、伝統的なユダヤ教の宗派であるファリサイ派やサドカイ派を批判したため、危険思想の持ち主として訴えられ、処刑されました。しかし処刑された3日後に復活を遂げ、弟子たちの前に姿を現し、40日間ともに生活した後、天に向かって昇っていったとされています。
ユダヤ教ナザレ派がキリスト教として成立したのは、ナザレのイエスが死んでから蘇ったとする「復活信仰」が広がり始めた後の66年~70年にかけて起こった「第一次ユダヤ戦争」の頃。エルサレム神殿が破壊されたことがきっかけでした。
この頃から、パウロらによって『新約聖書』がまとめられる70年頃までを「原始キリスト教」と呼びます。
原始キリスト教はエルサレムで成立したと考えられていて、その後ステファノやペトロ、パウロらによる伝道活動の結果、ガリラヤ、ガラテヤ、ピリピ、コリントなどにも拡大しました。教義は地域ごとに差があり、統一はされていなかったそうです。
初期のキリスト教徒は、ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で礼拝をするのが一般的でした。そのため、ディアスポラ(民族離散)によってローマ帝国の各地にユダヤ人が散らばるのと同時に、キリスト教も広がっていくことになります。
ローマ帝国では多神教が基本だったため、唯一神教であるキリスト教は迫害を受け、多くの殉教者が出ました。しかし、たび重なる迫害を受けても拡大は止まらず、4世紀頃にはアルメニア王国やアクスム王国など、キリスト教を公認または国教化する国も現れるのです。
ローマ帝国でも、313年の「ミラノ勅令」によって、キリスト教が公認されました。380年にはローマ帝国の国教に定められ、392年には帝国内でキリスト教以外の宗教を信仰することが禁止されます。
教団としての地位が向上する一方で、神学論争が勃発し、公会議が盛んに開かれるようになったのもこの頃のこと。特にアリウス派とアタナシウス派の論争はヒートアップし、暴力沙汰に発展することも少なくありませんでした。やがて皇帝の介入を招くことになります。
325年にコンスタンティヌス1世が開いた「ニカイア公会議」の結果、アリウス派は異端とみなされて追放。さらに431年にテオドシウス2世が開いた「エフェソス公会議」では、ネストリウス派が追放されています。
公会議によって教義が確認され、「正統」が確立される一方で、異端とされた宗派は教会から分離することを余儀なくされました。多くの宗派が消滅しましたが、なかには正統派の勢力が及んでいない地域で発展を遂げるものも出てきます。たとえば追放されたネストリウス派は東へと向かい、7世紀頃には中国へ伝わり、「景教」として「唐代三夷教」に数えられるまでに発展しました。
395年にローマ帝国が東西に分裂すると、キリスト教も東の「正教会」と、西の「ローマ・カトリック教会」に分裂します。この分裂は対立というよりは、ギリシア語圏に属する東ローマと、ラテン語圏に属する西ローマの文化的な相違によるもの。しかし両者の関係はしだいに悪化し、1054年には完全に分裂。以降、別々に発展を遂げていくことになるのです。
16世紀、キリスト教界では、「宗教改革」と呼ばれるカトリックを批判する革新運動が起こります。先駆者といわれているのは、14世紀から15世紀に活躍したイングランドのウィクリフ、ベーメンのフス、フィレンツェで神権政治をおこなったサヴォナローラなど。もっとも有名なのは、ドイツ人神学者のマルティン・ルターでしょう。
ルターの宗教改革のきかっけは、1515年にローマ教皇のレオ10世が「サン・ピエトロ大聖堂の建築資金」を名目として、「贖宥状」を発売したこと。贖宥状は、罪を犯しても神によって与えられる罰を免れることができるとするものです。これを持っていれば、たとえ戦場で敵を殺しても罰を免れることができるため、兵士から人気でした。
贖宥状の売上は、カトリックにとっては貴重な財源でした。イタリアの豪商メディチ家出身のレオ10世は、教皇となった後も王侯貴族のような生活を送り、その費用としてドイツの豪商フッガー家から多額のお金を借りていたそう。彼が発行した贖宥状は、「サン・ピエトロ大聖堂の建築資金」を名目としていましたが、実際には借金の返済が目的だったのです。
ヴィッテンブルク大学の神学教授だったルターは、本来必要とされる悔い改めなしに、金銭で償いができるという風潮を批判。1517年に、市内の教会や城に「95ヶ条の論題」を提示しました。ちょうどグーテンベルグが考案した活版印刷術が普及しはじめたこともあり、ルターの批判はドイツを中心に各地に波及します。
これを受けてレオ10世は、1521年にルターを破門。破門されたルターは「聖書中心主義」「神の前に万人は平等」とする理念を掲げて、新たな宗派「ルター教会」を立ちあげます。
また、ルターの宗教改革に影響を受け、チューリッヒのフルドリッヒ・ツヴィングリやジュネーブのジャン・カルヴァンらが「改革派教会」、イングランド王ヘンリー8世が「イギリス国教会」を立ちあげました。
これらの宗派はまとめて「プロテスタント」と呼ばれるようになり、ヨーロッパは「カトリック」と「プロテスタント」に二分される宗教戦争へと突入するのです。
宗教戦争の最中には、「プロテスタント」の拡大を阻止しようと、カスティリヤ王国バスク地方出身のイグナチオ・デ・ロヨラと、パリ大学の学友6人が男子修道会「イエズス会」を結成しました。創設メンバーのなかには、1549年に日本を訪れたフランシスコ・ザビエルも含まれています。
「イエズス会」は「教皇の精鋭部隊」と呼ばれ、「プロテスタント」に対抗するために非キリスト教世界を「カトリック」に取り込もうと奔走。ザビエルが日本で2年間の宣教活動に従事したのも、その後に中国を目指したのも、「カトリック」の普及のためでした。
しかし日本を「カトリック」に組み込む策は、豊臣秀吉の伴天連追放令や江戸幕府の禁教令などで失敗に終わります。
すると「イエズス会」の目はアメリカ大陸へと向かい、特に南米で大きな足跡を残しました。リオデジャネイロやサンパウロなどの大都市も、もとはイエズス会が作った街。このような「イエズス会」の活躍もあり、キリスト教は世界各地に広がっていったのです。
- 著者
- 白取 春彦
- 出版日
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はいずれも、神が人類救済の始祖として選んだアブラハムの流れをくむといわれています。しかし同じ祖をもつはずの彼らは、争い続けてきました。
本書では、彼らの信仰の原点である「聖書」に焦点を当て、その起源や影響をわかりやすく解説。意外なエピソードや面白い謎も多く登場します。今なお世界中で起こる事件の背景に、多くの宗教的な問題が関わっていることを理解できるでしょう。
世界最大のベストセラーともいわれる聖書について知りたい方におすすめの作品です。
- 著者
- 小田垣 雅也
- 出版日
西アジアで生まれたキリスト教が、いかにして世界最大の宗教となっていったのか、その歴史を解説した作品です。
前史となるユダヤ教から掘り起こし、ナザレのイエスと弟子たちの布教活動、その後の教団化、迫害を受けながらの拡大、教義の確立、正統と異端を神学論争、教会の堕落と宗教改革など、キリスト教が歩んできた2000年を通史として描き出しています。
本書を読んでわかるのは、ヨーロッパの歴史を語るうえでキリスト教は避けては通れないということ。キリスト教の影響が社会の隅々にまでおよんでいることに、あらためて気づかされるでしょう。