“旅行”ではなく“旅”
旅が好きだ。ただ、先に言っておくが私は旅の玄人ではない。10代の頃から貧乏暇なしバンドマンを続けてきた身にとって、旅に出ることは容易ではなかったからだ。それに加えて沢木耕太郎の深夜特急シリーズに始まり、硬派も軟派も関係なくあらゆる旅行記を読んでは無駄にインドや東南アジア事情に詳しくなって、丘サーファーならぬ部屋トラベラーと化していたので、「俺の求めているものは“旅行”ではなく“旅”だ。旅とはロマンだ。ロマンとは(以下略)」みたいなごたくを頭の中で並べて、どうせ行くなら海外だと決めていた。旅初心者が陥りやすそうな思想である。邦楽より洋楽の方が優れていると信じている中学生と同じ頭の構造だ。
そんなわけで、我慢できずに21歳の時にイギリスに、24歳の時にタイに逃亡した。初めての自分の意志での旅だった。旅先で読む本というのは、いつもより一層味わい深い。物語を読めば、旅の非日常さに感化されていくぶん、ほぐれた心に一文一文が染み入るし、旅行記などを読めば自分の旅と照らし合わせて明日への想像が刺激されてわくわくする。ハードボイルドな物語を読んで旅に臨めば、貧乏旅行故の苦難、例えば乗り継ぎの空港で15時間待たされて待合室の固い椅子で一夜を明かしたり、鍵の壊れたホテルの部屋に泊まることになって隣の部屋には完全にキマッたジャンキーがいたとしても、「あ、これ深夜特急っぽい……!」という風にヒロイックな雰囲気に浸ることもできる。
そんな簡単に影響されてしまう人間は「やっぱインド行ったら人生変わったわ~」と連呼して周りに煙たがられると相場が決まっているので注意が必要だが、旅先で読むのに適していそうな本をいくつか選んでみたので、機会があれば、ぜひ旅先で読んで適度に旅情を増して欲しい。男目線の男旅な選書になってしまったが、今回ばかりは「まったく、男っていくつになっても子どもね!」って具合にお姉さん目線で女性読者の方は楽しんで頂きたい。
ロマンはまず形から入りましょう
冒頭でも述べたが、旅とはロマンだ。ロマンに危険は付き物だ。そしてどうしようもなく時代錯誤だ。それが男のロマン。アメリカのビート文学を代表する作家、チャールズ・ブコウスキーの短編集を選んだ。酒に溺れてセックスをして、宵越しの銭は持たないぜって具合にその日暮らしな作家の自伝的とも言える物語。職を転々としながらアメリカ各地を放浪していた時の経験が詰まった一冊。
もし一人旅をするなら、これほどロマンを高めてくれる本があろうか。浸れる要素満載。内容はひたすら酒と女とギャンブルとみたいな下世話なものばかりなのだが、だてにアウトサイダーな生き方をしておりません。含蓄ある言葉も随所に見られ、そこにまた男は痺れるのだ。
「正気でいるということは不完全でいるということなんだ」
「人生の意味を知ってるのは、貧しい者だけだ。金持ちや生活に心配のない人々は、ただ推し量るだけである」
カビ臭いホテルのベッドの上や、鈍行列車の座席で読んで、ぜひ旅の雰囲気を自分で作り上げて頂きたい。
クールでスマートな主人公を気取って
村上春樹の作品を読んでいると、思考がクリアになるというか、フラットな気持ちになれる気がする。なので、海外旅行に限らずバンドのツアー先とかにもよく持っていって、一人の時間があると読み返して気持ちを落ち着けることがよくある。恐らく作品の語り手の淡々とした感じや、会話のどことなく非日常的な雰囲気が、自分と作品の波長を整えてフィットさせているような気がする。感情移入とか共感というのとは別の形で。
これは表題作の『レキシントンの幽霊』を含む短編集で、他の作品に比べて世界観の設定が異様であり(緑色の獣とか氷男と結婚したとか)、非日常感の強い作品である。それ故に、読む場所によって喚起されるイメージも異なりそうだと思った。そしてかなり行間を読む必要がある物語だと思うので、日々の忙しなさの合間に読んで表層をなぞって終わるよりは、時の流れがゆっくりな旅先などで、文脈を味わいながら読んで欲しい。そして村上作品の主人公のように、道中で不思議な出会いを経験して非日常な言葉を交わして、帰国したら小説をしたためて読ませて欲しい。