中学3年生の少女を主人公に、カルト宗教にのめり込む家族の崩壊と人間関係、そして少女の成長を淡々と描いていく『星の子』。2017年の芥川賞候補にもなったこの今村夏子の作品は、背景の不穏さはありながらも思春期の少女の危うさ、瑞々しさが際立ちます。主人公を等身大で演じる芦田愛菜と同年代の方にもおすすめ、2020年映画化予定の本作の見所をご紹介いたします。
まずは作者、今村夏子がどういった人物なのかをご紹介していきましょう。1980年2月20日生まれ、広島県広島市の出身です。県内の高校を卒業後、大阪府の大学に進学。卒業後は清掃のアルバイトなどを転々としてきました。
29歳の時、アルバイトをクビになったことがきっかけで小説を書き始めます。ノートに手書きしていたものを清書した「あたらしい娘」で2010年太宰治賞を受賞。同作を改題し、新作中編を収録した筑摩書房『こちらあみ子』で作家デビューを果たします。2014年に文庫化された際に新作が収録されましたが、それ以外での作品発表はなく沈黙状態になってしまいます。
『こちらあみ子』は2011年に三島由紀夫賞も受賞しているのですが、その際に今村夏子は今後書く予定はないという趣旨の発言をしていました。プレッシャーからか、思う用に欠けない時期が続いていたのです。長らく新作を発表していませんでしたが、翻訳家の西崎憲に誘われ、2016年新創刊された書肆侃侃房の文芸誌「たべるのがおそい」に、新作『あひる』を発表。芥川賞候補作となります。
その後は作品を発表し、次々に評価を得るように。2017年の『星の子』で芥川賞候補に。2019年には、『むらさきのスカートの女』で芥川賞を受賞しました。2020年は、文藝春秋より『気になった亜沙』を発表しています。私生活では2013年に結婚。長女を出産し、子育てをしながら執筆活動を続けています。
- 著者
- 今村夏子
- 出版日
今村夏子は自身のことを、特定の人としか話をせず、人並みのことができない劣等感を抱えた子どもだったと語っています。そんな経験があるからか、今村作品の多くは社会に馴染めないヒロインが登場します。彼女たちを中心に、不穏な空気をはらみながらも淡々と、ユーモアを交えて物語は進んでいくのです。
今回ご紹介する『星の子』は、大阪の路上で夫婦らしき男女が頭に水を掛け合っていたのを見たのがきっかけで誕生した物語。友人曰く「カッパみたい」だというその姿から着想を得た物語は、何も知らなかった少女の成長に合わせ、世界が少しずつ変化していきます。
沈黙の期間は長かったものの、再び新しい作品が読めるようになったというのは、読者としては嬉しいことです。水を掛け合う夫婦という不思議な光景から誕生した本作は、どのような物語なのでしょうか。
主人公の林ちひろは未熟児として誕生し、病弱でした。5歳の時、原因不明の湿疹に悩まされます。夜中に激しいかゆみに泣き叫ぶ娘を見て途方に暮れた両親は、父の会社の同僚である落合さんに相談を持ち掛けます。落合さんは万病に効くという水を分けてくれました。その水で身体を洗い続けたところ、2か月ほどで全快します。
落合さんは「金星のめぐみ」という新興宗教団体に入信していました。「金星のめぐみ」は、怪しげな聖水や壺、水晶などを売っており、県境に「星々の郷」という広大な教団施設も持っています。水の力と落合さんにすっかり心酔したちひろの両親は、「金星のめぐみ」の活動にのめり込んでいくのでした。
ある日、落合さんの家に林家が招かれました。5歳上の姉であるまさみは、終始つまらなさそうにしています。しかしちひろにはなぜだかわかりません。そんな彼女は、喋れないという落合家の息子が、実は喋れるという事実を知ってしまうのでした。
- 著者
- 今村夏子
- 出版日
- 2019-12-06
小学校、中学校と進学していくにつれ、宗教にのめり込む両親や自分を「外」の視点からも捉えるようになるちひろ。成長していく彼女の心情の細微を追っていく物語です。
あらすじだけみても、ちひろの置かれている状況に驚かれるのではないでしょうか。こちらでは、主要な登場人物をご紹介していきます。主人公であるちひろは未熟児として生まれた影響か身体が弱く、5歳の時には酷い湿疹に悩まされていました。全快はしましたが、そのことがきっかけで両親は新興宗教にハマっていきます。
病弱で両親が心配し、べったりとしていたせいもあってか、ちひろは同年代の子どもよりも幼い印象があります。ちひろの両親は、物語冒頭では子どもを心配する親そのものでしたが、物語が進むにつれてどんどん宗教にのめり込んでいきます。本作を書くきっかけとなった、夫婦らしき男女が水を掛け合う姿がちひろの両親の場面として登場しますが、想像した場面とは違った異様さが漂います。姉・まさみはそんな両親に反発心を抱えています。
家庭事情が原因で周囲から浮いた存在であるちひろを、世間につなぎとめてくれる役割をするのが、親友となるなべちゃん。小学校の時にちひろの学校にやってきた転校生で、ドライな性格をしています。なべちゃんの存在があるからこそ、ちひろは両親とともに宗教にのめり込むわけでもなく、どちらでもない境目に立っていることができたのです。
あらすじや登場人物など、基本的な作品の情報を見ていただいたところで、見所をご紹介していきましょう。
まずはさまざまな着眼点で「不思議」という言葉と切り離せない点です。それは今村夏子の文体の独特のリズムから生みだされている部分もあります。そして本作に限って言えば、自分の持つ普通の概念が崩壊し、何が幸せで何が不幸なのか、決めかねてしまうところが「不思議」という感覚に繋がっているのではないでしょうか。
「新興宗教に両親がハマっている」という状況は、周囲から見れば少々異様に映ります。ちひろの両親は仕事もやめ、活動にのめり込んでいます。その姿は、普通とはいいがたい空気があるでしょう。事実ちひろはそのこともひとつの要因となり、学校でうまく馴染めませんでした。それは客観的にみると「不幸」であるように感じますが、ちひろ自身はなべちゃんの存在もあり、そこまでつらい経験だと感じていません。
物語が進むと、両親に反発した姉が家を飛び出すという展開があります。姉にとって、変な宗教にハマる両親は自身の不幸の象徴でしょう。姉は間違いなく不幸ですが、ちひろは成長するにしたがって違和感や恥ずかしさを覚えるものの、自身が不幸であるとは微塵も考えていないのです。
普通に考えてみれば不幸なのに、ちひろ自身や両親たちは不幸だとは考えていない。この感じ方の齟齬が不快ではないのが、今村夏子の文章の力なのでしょう。林家は客観的にみれば普通ではないのに、彼らにとっては当たり前で普通の生活です。「普通って何だろう」とつい考えたくなってしまう、林家を取り巻く状況と生活が見所のひとつです。
見所をもうひとつご紹介いたしましょう。親友なべちゃんとの場面など見所は多いですが、最も注目してほしいのは結末です。
物語はちひろが誕生した時から、中学3年生までの成長過程が描かれています。中学3年生になったちひろは、同級生や先生、俳優に恋をするなど周囲の女の子と変わらない感情を抱えていました。その一方で、両親とともに教団の行事に参加するなど、普通であって普通ではない生活も続けています。
高校受験を控えた中学3年生のちひろは、周囲から自分たちがどのようにみられているのかを知っています。手痛い経験もし、客観的な視点を手に入れたちひろがどのような未来を選択するのでしょうか。物語の最後は、宗教施設で両親とともに星空を眺めるちひろの姿が描かれています。
この星空を眺める場面で、ある印象的な描写があるのですが、読者によってとらえ方が変わるでしょう。果たしてそれは希望なのか、それとも崩壊の象徴なのか、星空という美しい環境の中にあるちひろの心情を想像すると、深く考えさせられます。
本作は実写映画化が決定しており、2020年公開予定です。
2020年4月から高校に進学した芦田愛菜がちひろとして主演。ばっさりと髪を短くした姿をインタビュー動画で披露しています。本好きでとしても知られる芦田愛菜自身が原作を読み、「髪の長いままの自分はちひろにはなれない」と考えたそう。
詳細な公開日やその他のキャストなど最新の情報は、芦田愛菜主演、映画『星の子』公式サイトでご覧いただけます。
彼女がどのようにこの物語を読み解き、役作りをしたのか。原作『星の子』を手に取って思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
監督を務めたのは、『まほろ駅前多田便利軒』や『さよなら渓谷』の実写化映画の監督としても知られる大森立嗣。アウトサイダーな人々に光を当てた作品を多く手掛ける監督です。
大森立嗣についてより詳しく知りたい方は、こちらの記事もおすすめです。
普通なのに普通ではない、不思議な家族と少女の物語『星の子』は、2020年芦田愛菜主演での映画化が決定しています。ちひろがどのような環境で育ってきたか、どういう子なのかを知っていると、がぜん映画にも興味がわくのではないでしょうか。一般的に普通じゃないことは不幸なのか。そんなことを頭の片隅に置きながら本作をお手にとって、ちひろの成長を見守ってください。