生活を眺めてみる【小塚舞子】

生活を眺めてみる【小塚舞子】

更新:2021.12.3

生活とは時間に寄り添って“流れて”いくものだと思っていた。頭で考えるより先に、やるべきことが目の前にあったり、ふと浮かんだりして、ただそれを追っていくことで生活している気になっていたのかもしれない。しかし、今年はその流れが変わった。緊急事態宣言。密を避けた行動。約一か月半の自粛生活。新しい生活様式。誰もが生活のスタイルを替えざるを得なくなった。 “生活とは、生きるとは何なのだろう。” そんな、正解のない疑問、あるいは全てが正解になり得る疑問を、真剣に誰かに訊きたくなった人は私だけでないはずだ。

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自粛する生活

『自粛生活』と言葉にしてみると、何か変だなと思う。この文章を、例えば20年後に読む人がいたとしたら「自粛生活?・・・なにを?」と疑問がられそうだ。それとも『自粛生活=極力家から出ない生活』と常識になっているのだろうか。ならば20年前の人に聞かせたらどうだろう。

・・・無理か。とにかくこの言葉は、新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために“不要不急の外出を自粛してください”と呼びかけられたことから生まれた。文字の印象だけだと、生活を自粛するという仙人のようなものを想像してしまうが(仙人がそうなのかわからないけれど)、“人と密に接することや、外出そのものを自粛する”の『自粛生活』だ。

先月こうしてパソコンの前に座って記事を書いている時(4月末頃)は、まだその生活が始まったばかりで、先の見えない不安と同時に、これからどうなるんだろうと少し興奮していたようにも思う。緊急事態宣言が延長される前だったので、すぐに今までと同じような日常が戻ってくるような気もしていたし、もしかしたら半年とか一年とかかかるんじゃないか、とも考えていた。

足りないものがある度にスーパーに行っていた私は、何日か分の食材を計画的に買っておくということができず、仕事のスケジュールがどんどんキャンセルになって、ついにはほぼ白紙になったのも初めてだった。ぽっかりと時間が空いてしまって、それは日常に空間ができたというよりは、寂しい落とし穴にハマってしまったような感覚だった。時間はあるのに余裕がない。住み慣れた家の中が落とし穴になるのは、とても奇妙だ。

そして、そうやってふわふわと過ごしているうちに緊急事態宣言が延長されることになった。期間は一か月程度とのこと。しかし相手はウイルスなので一か月後に収束しているのかなんてわからない。先が見えないことに変わりはなく、この先一か月も外に出られないなんて・・・と途方に暮れた。だが一方で、少なくとも一か月は落とし穴の中にいるしかないのだと妙に納得している自分もいた。穴の中でどういう生活をするか、どうすれば居心地のいい穴にできるのか、考えなくてはならない。すると、少しずつ気持ちを切り替えることができた。諦めは、時に希望を呼んでくるようだ。

生活らしい生活とは

とは言っても、出かけられないのだから快適な穴へとアップデートするには限りがある。いい匂いのキャンドルを買いにいくわけにはいかないのだ。食料品や日用品など、生活必需品ならば買いに行ってもいいことになっているのだが、私は今まで日常的にキャンドルのある生活をしたことはない。それはもちろんキャンドルがなくても全く困らないからだ。むしろ初めてキャンドルという言葉をこんなに連呼したせいで、キャンドルがゲシュタルト崩壊しかけているくらいである。すなわちキャンドルは私にとっての生活必需品ではない。(必需な人もいるだろう)穴は同じ穴のまま『生活』を豊かにしなければならないと思った。

さぁ、どうしよう。考えたところで、何も浮かばなかった。ただ、“生活”とは朝起きて、ごはんを食べて、何かをして時間をつぶして、ごはんを食べて、何かをして時間をつぶすか、あるいはそのまま寝るだけのことなのかもしれないなと考えていると、何だかとても虚しくなってきて、増々どうすればいいのかわからなくなってしまった。

時間をつぶすという表現は適切ではないだろうが、仕事だったり、遊びだったりするその時間があるからこそ、生活が生活らしく感じられていたのだ。それがぽっかりなくなると、ごはんを作って食べるくらいしかできない。それはあまりにも空虚な生活ではないか。一体どうやってそれを豊かにするのか。

誰にも会えずとにかく暇なので、何だかんだと時間をつぶそうとした。すると、意外と時間は限られていることに気が付いた。そうなるとただの暇つぶしのようだったことが有意義に思えてくる。

娘はまだ一歳半なので、家の中やベランダで十分遊ぶことができる。特にベランダはレジャーシートを敷いて遊んでみるのも悪くなかったし、シャボン玉をやってみると拍手喝采だった(二吹きほどで飽きられたが)。娘が寝れば読みかけの本を一気に読んだ。radikoのタイムフリー機能を使っていろんなラジオを聴いてみたり、Netflixに加入して韓国ドラマも観た。

そして、毎日の献立を考えてから、必要なものをメモに書いて4~5日に1回のペースで買い物に出かけた。買い物から帰った日は冷蔵庫がパンパンで無限に食べ物がある感じが気持ちよかったが、それが日に日に減っていってすっからかんになる方がもっと気持ちよかった。

絶対に買った方が美味しいからという理由で作らなかったお菓子作りもやってみた。大きなバターやグラニュー糖があっという間になくなって、それが全部自分の身体に吸収されたのかと思うと恐ろしくなったが、ちっとも美味しくなかったり、わりといけるやんという出来栄えになったりするお菓子作りはなかなか楽しかった。

そして、やはりごはんはいつもより少しだけ丁寧に作った。前々回の記事で“晩御飯のメニューを考えることの面倒臭さ”について書いたが、一気に何日か分のメニューを考えるのはワクワクしたし、一旦考えてしまうと、その日作るものは決まっているのであの煩わしい時間から解放され、格段に楽になった。今までのあの苦労は一体何だったのか。

あとは毎日30分ほど娘と一緒に散歩をして、その途中で初めて自分のために花を買った。SNSで近所の花屋さんも大変らしいという投稿を見かけたからだ。生活必需品ではなかったかもしれない。けれど部屋に花があると、それだけでお洒落な人になれたような気がして、嬉しくて一日に何度も花のあるところをチラチラ見ていた。

生活をした日々

こんな風に過ごしているとあっという間に一か月近くが経ち、緊急事態宣言は少し早めに解除されることになった。そして、この一か月半を振り返ってみると、以前の私よりずっと“生活”をしていた。自分ができること、自分がやっていることに向き合うことができたのかもしれない。毎日のルーティーンがあったり、規則正しい日々を送るのは久しぶりのことだった。もちろん外には出たいが、この生活も悪くないのかも・・・とまで思い始めていた。

ただ同時に、社会の複雑さについて考えさせられることにもなった。散歩をしていると、普段は昼営業していない居酒屋がランチにテイクアウトを始めたり、食材を直接売っていたりするところを見かけた。通常営業ができないと、売り上げが減ってしまって大変なのだろう。

そして、レストランが営業できないことで困るのは、そのお店の経営者や従業員だけではない。そこに食材を卸す会社、それをつくる工場や農家、おしぼりを売る会社、そこで働く人、その家族・・・きっとそこから更に枝分かれしていって本当にたくさんの人が困ってしまうのだろう。学校が休校になれば、給食が作れなくて食材が余ってしまうなんて、ニュースを見るまで思いつきもしなかった。

きっと、とても当たり前のことだ。私たちが“生活”するにはたくさんの人が関わっている。目に見える人も、見えない人も。そして、見えない人の方が圧倒的に多いのだろう。私はそのことを特に気にしていなかった。敢えて見ることなく生きていた。だからと言って、毎日“すべての人に感謝!”みたいに大げさにも考えられないけれど、今度どこかで食事をするときには、その一口にどれだけの人が関わっているのかを想像できるようになりたい。そしてもちろん、この自粛生活で学んだことを活かしたい。それは、少しだけ丁寧にごはんやお菓子を作ることだったり、たまにはお花を買ってみることだったりする。

豊かな生活を送るのに一番大切なことは『立ち止まる』ことなのかもしれない。冷蔵庫の中身をすっからかんにすることも、ある意味では立ち止まることだ。その気持ちよさは、“豊か”という言葉の意味とは反対のように思えるけれど、心がリセットされたような清々しさがあって、とても豊かな気持ちになった。何だか少し生活力が上がったような気がしていて、よかったなと思う。だって、ひとつくらいそう思えることがなければ報われない。もう、こんな世の中が戻ってきませんように。

「生活」を感じられる本

著者
伊坂 幸太郎
出版日
2011-10-14

ヘルシンキラムダクラブの橋本さん(ホンシェルジュにも記事を書いていた方)が、最近ツイッターでおすすめされていて読んでみました。複雑に絡み合っている社会と、それはそういうものだという諦めと、でも諦めない方法もあるのだということが、楽しくスリリングに描かれた作品。フィクションながらも、これに似たことはどこかで起こっているんじゃないかと思ったり。

世の窮屈さと、豊かな暮らしとの対比は鮮やかで、最後には私もこんな生活がしたい・・・とため息が出ました。言葉のやり取りや、短いセンテンスの中のユーモアも絶妙でもっと早く読んでおけばよかったなと思います。

著者
村上 春樹
出版日
2019-02-28

単行本が発売されてすぐに買っていたのに、なぜか集中して読めずしばらく放置していた一冊。個人的には村上春樹あるあるです。読めない時は一ページも進まないのに、読めるときは物語に吸い込まれるようにして一気に読んでしまう。本屋さんに行けなくなって自宅の本棚を眺めていたら、すっかり忘れていたことに気が付き読んでみると、ぐいぐいのめり込んでしまいました。

作中に描かれている生活の流れがとても心地よく、非現実的であるはずの出来事も、この世のものとして受け入れてしまいそうな説得力があり、危うく本の世界から帰ってこられなくなるところでした。自分の生活を正したくなった時にはぜひまた読み直したいと思います。

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