5分でわかる暦の歴史!ユリウス暦とグレゴリオ暦、ローマや日本の歴史を解説

更新:2021.11.22

年・月・週・日などを定め、私たちの生活になくてはならない「暦」。日本や世界の歴史を振り返ってみると、これまで実にさまざまなものが用いられ、何度も改定されてきました。この記事では暦の歴史に焦点を当て、ユリウス暦とグレゴリオ暦、ローマや日本の暦をわかりやすく解説していきます。

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そもそも暦とは

 

時間の流れを区切り、年・月・週・日などの単位に当てはめたものを「暦」といいます。

日本における「こよみ」という読み方の語源は、江戸時代の国学者である谷川士清が著作『和訓栞』で「日読み(かよみ)」と主張したことだといわれています。もともとは、「1日、2日、と日々を正しく数えること、またはその方法」を指す言葉でした。

暦の始まりは、古代エジプトだといわれています。紀元前5600年頃から農業が始まり、紀元前3500年頃には水路を使った灌漑がおこなわれていたそう。適切な農作業の時期を知るためには、ナイル河が氾濫を起こす時期を知る必要がありました。

そこでエジプト人は、恒星シリウスの観測をし、ナイル川の氾濫が約365日周期であると突き止め、この期間を「1年」としました。そのためこの暦を「シリウス暦」といいます。

また紀元前3000年から紀元前2000年頃のエジプトでは、「シビル暦」というものがつくられました。これは「ラー」「トート」という2柱の神から与えられたものといわれ、代々のファラオは即位の際、シビル暦の順守を神に誓うなど神聖視されます。

シビル暦では1年を1~4月の洪水期(アケト)、5~8月の播種期(ペレト)、9~12月の収穫期(シェムウ)の3期に分けました。新年を迎える1月は現在の7~8月頃です。

暦をつくるうえでは、天体観測が欠かせません。言い換えれば暦は、天文学の基礎でもあります。エジプトで最初につくられたシリウス暦は星を基準にしたものでしたが、やがて人々は太陽や月を基準に暦を考えるようになります。

現在では、太陽を基準とする「太陽暦」、月を基準とする「太陰暦」、太陽と月を併用する「太陰太陽暦」の3種が主に用いられています。

 

ユリウス暦とグレゴリオ暦をローマの歴史とともに解説

 

紀元前46年にエジプトを征服したローマのユリウス・カエサルは、アレキサンドリアの天文学者ソシゲネスに命じて、エジプトの暦を基礎とする新しい暦を作成し、ローマに導入しました。これが「ユリウス暦」です。

もともとローマでは、紀元前753年から古代ギリシアの暦を基礎にした「ロムルス暦」というものが用いられていました。太陰暦で、29日または31日から成る10の月で構成されていて、1年の長さは304日でした。その後何度か改暦され、ユリウス暦が導入される直前には1年の長さが355日だったそうです。

日数が不足している分は、2年に1度、神祇官が閏日を22日間もしくは23日間挿入し、調整していました。しかし政治的な理由で、閏日が挿入されなかったり、挿入される日数が少なかったりしたため、暦と季節にズレが生じてしまっていて、1月が秋になるという異常事態もあったそうです。

ユリウス・カエサルが太陽暦であるエジプトの暦をもとに新たな暦をつくろうと決めたのは、このズレを是正するため。ユリウス暦では、1年を365.25日とし、4年に1度閏年として1日が挿入されることになりました。

しかし実際の1年は約365.24219日で、その誤差は小さなものではあるものの毎年蓄積され、やがて無視できないほどになります。特に問題となったのが、キリスト教の儀式との関係です。

『新約聖書』において、イエス・キリストの処刑と復活に関する記事は太陰太陽暦であるユダヤ暦にもとづいて記述されています。それによると、キリストが処刑されたのはユダヤ教の記念日である「過越しの日の前日または当日」、すなわち「ニサン月の14日または15日」です。このニサン月は春分の頃に来る太陰月であり、メソポタミアでは正月とされていました。

キリスト教にとってもっとも重要とされる「復活祭」をおこなううえで、ニサン月14日または15日がユリウス暦でいつに相当するのかが重要な問題となり、教会が分裂するほどの事態になってしまうのです。

325年に開かれた「ニカイア公会議」で、「春分の日であるユリウス暦3月21日前後の太陰月14日の直後の日曜日に復活祭をおこなうこと」が定められましたが、導入から1000年以上が経過した頃には、ユリウス暦のズレが10日になっていました。

ユリウス暦における春分の日と実際の春分の日に差が出ることで、復活祭の日取りにもズレが生じ、場合によっては1ヶ月以上開催が遅れてしまうこともあったそうです。

1579年、第226代ローマ教皇のグレゴリウス13世が、シルレト枢機卿や天文学者のアントニウス・リリウス、数学者のクリストファー・クラヴィウスを中心とする委員会を発足。1582年10月15日から、新たな暦である「グレゴリオ暦」を導入しました。

グレゴリオ暦では、ユリウス暦で4年に1度、400年で100回とされていた閏年の挿入を97回に減らし、400年間における1年の平均日数を365.2425日とします。1日の誤差が生じる年数はユリウス暦の約128年から約3221年になり、格段に精度が高まりました。

グレゴリオ暦は16世紀中にカトリック諸国を中心に採用され、18世紀なかばにはプロテスタント諸国にも拡大。現在では世界の半数以上の国で用いられています。

 

日本の暦の歴史をわかりやすく解説!

 

『日本書紀』には、553年に欽明天皇が百済に対して暦博士の来朝を要請し、翌554年に実際に来朝した旨が記されています。当時の百済で用いられていたのは、宋の天文学者である何承天がつくった「元嘉暦(げんかれき)」というものでした。日本にも同じ元嘉暦がもたらされたと推測されています。

元嘉暦は太陰太陽暦で、1年の長さを365.2467日とし、グレゴリオ暦には劣るもののユリウス暦には勝る精度をもっていました。

その後も日本では「儀鳳暦(ぎほうれき)」「大衍暦(たいえんれき)」「五紀暦(ごきれき)」「宣明暦(せんみょうれき)」など中国で施行された暦を用います。元嘉暦も含めた5つを「漢暦五伝」といいます。

宣明暦は、唐で822年から892年まで用いられていました。日本には862年に導入され、894年に菅原道真によって遣唐使が廃止されて新たな暦が入ってこなくなったため、1685年まで実に800年以上使い続けることになります。

1685年に導入されたのが、日本人が初めてつくった和暦「貞享暦(じょうきょうれき)」です。編纂したのは、江戸時代の天文学者で囲碁棋士でもあった渋川春海という人物。改暦は当時話題になり、井原西鶴の『暦』、近松門左衛門の『賢女手習並新暦』などが執筆されて一世を風靡しました。

鎖国をしていた日本ですが、長崎のオランダ商館を通じて西洋の知識は入ってきていました。天文学や数学が発展し、渋川春海をはじめとする幕府天文方が天体観測や暦の作成に従事していたそうです。貞享暦の後も、「宝暦暦(ほうりゃくれき)」「寛政暦(かんせいれき)」「天保暦(てんぽうれき)」などの和暦がつくられました。

最後の和暦である天保暦は、天文方の渋川景佑を中心につくられたもの。1844年から1872年まで用いられました。1年は365.24223日、その精度はグレゴリオ暦をも上回るものでした。

その後明治維新があり、新政府は国際標準になっていたグレゴリオ暦を導入することを決定します。1872年11月9日に公布され、12月3日が1873年1月1日とあらためられました。

しかし1300年以上続いてきた太陰太陽暦を、公布から施行まで1ヶ月もない短期間で太陽暦に切り替えようとしたため、世の中は大混乱したそうです。

政府が改暦を急いだ背景には、財源不足がありました。

天保暦のままでは1873年は閏月が発生して13ヶ月になり、官僚の給料を13回支払う必要があります。しかしグレゴリオ暦に変更すれば12ヶ月にでき、さらに月初に改暦をすれば支払いは11回で済むのです。

政府の説明が不十分だったため、1873年に福沢諭吉が発表した『改暦弁』が飛ぶように売れたという逸話も残っています。

 

暦の歴史をわかりやすく解説したおすすめ本

著者
["Leofranc Holford-Strevens", "正宗 聡"]
出版日

 

1年は365日、1週間は7日、1日は24時間、1時間は60分……私たちにとっては当たり前のことですが、どうして1年は365日なのか、1週間は7日なのか、あらためて考えてみてはいかがでしょうか。

本書は、「時」の刻み方がどのように決められてきたのか、その歴史を解説するもの。日常的に使っているグレゴリオ暦だけではなく、ユダヤ暦やイスラム暦、ヒンドゥー暦など世界の暦も紹介してくれています。

暦の多様さに、目からウロコが落ちる一冊です。

 

暦から歴史を考える本

著者
谷岡 一郎
出版日

 

古代マヤ文明や古代オリエント文明では、すでに驚異的な天文知識が育まれ、農業には欠かせないものとなっていました。暦を司ることは権力に直結し、日本でも暦博士は重要な官職だったそうです。

本書では、暦を「集団を統治するうえで重要なもの」と定義し、暦と社会の関係性や影響などから歴史を紐解いていきます。

紀元前の高度な技術に驚くとともに、普段何気なく使っている暦がいかに重要なものなのか、あらためて考えるきっかになるでしょう。

 

日本の暦の歴史をわかりやすく解説した本

著者
出版日
2012-09-04

 

幕末、西洋の軍事力を目の当たりにした日本人は、自らを「遅れている」と認識し、開国と近代化に向かいました。

しかし当時の日本はすべての分野で後進的だったわけではありません。西洋を凌駕する域に達していたものの代表が暦と和算で、これらをリードしていたのが渋川春海などを輩出した幕府天文方でした。

本書の作者は、小惑星探査機はやぶさの可視カメラの設計や開発、すばる望遠鏡で微小小惑星の探査観測をするなど、まさに「現代の天文方」といわれる人物。業務のかたわらで江戸時代の天文学も研究しています。

暦の起源や、800年以上使われてきた宣明暦が改暦される経緯、天文方の活躍、和算の発展などをわかりやすく解説。地図や図版も挿入されていて、日本の暦の歴史をさまざまな側面から知ることができるでしょう。

 

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