気になるあの子と私、そして愛犬の話【荒井沙織】

気になるあの子と私、そして愛犬の話【荒井沙織】

更新:2021.11.28

SNSはもちろん、テレビやラジオに至るまで、あらゆる場所が『どうぶつの森』の話題で持ちきりだった自粛期間。ゲームをしない私は、本物の動物に想いを馳せていた。動物は可愛いけれど、道端で出会った他人の飼い犬を撫でたりすることはできない。例えばそんな私のように、特筆して動物愛好家というわけではなくとも、動物との思い出は色々と持っているものだ。そのくらい、私たち人間にとって、動物には存在感があるのだろう。今回は、私と動物にまつわる、最も新しいエピソードと、最も古い思い出を書いていきます。

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気になるあの子に会いに行く

一目惚れだった。一目見た時から忘れられなかったのだ、ハリネズミのことが。数年前、番組のロケでふれあう機会があり、その可愛さに衝撃を受けたのだった。もっと “ネズミ感” の強い生き物だと思っていたから、ぬいぐるみのような愛らしい姿に、思わずギャップ萌えしてしまった。それからというもの、革グローブ越し、手のひらの上でプルプルと震えるあのつぶらな瞳の小動物に、もう一度会いたいと想ってきたのだった。行こうと思えばすぐに訪ねることができる場所ではあるのだが、あまりにピンポイントな目的ゆえに、「人を誘うのもなぁ。」と躊躇し、かといって「一人で行くのもなぁ。」と二の足を踏み、どうも足が向かないまま時が流れてしまった。

それが、だ。長らくこう着状態だった《ハリネズミに会いたい願望》が一気に前進した。きっかけは、今年に入ってから新しいカメラを使い始めた事だ。そのカメラは、動きのあるものも綺麗に撮れそうだということで、これまで愛用のカメラでは撮ってこなかった、動く被写体にも挑戦してみたくなったのだ。

さてやっと強い動機ができたと思った矢先に、このコロナ禍だ。外出が困難になり、ハリネズミに会える施設も閉鎖になった。自宅でじっと過ごしていると、自由に外出できるようになることと同様に、数年越しのハリネズミとの対面が日に日に待ち遠しくなっていった。そしてついに先日、緊急事態宣言や東京アラートの解除からしばらく経つのを待ち、一人でハリネズミに会いに行ってみたのだった。

著者
ようこ, いもと
出版日

はやる気持ちを抑えて、遠慮がちに順番を待つ。平日の日中ではあったが、子ども連れやカップル連れが動物たちとのふれあいを楽しむ中に一人、写真を撮る目的だけでやって来てしまったものだから、ちょっとした居心地の悪さはある。けれど、そんなことは気にならない。あの子との対面が、ようやく、叶うのだ。

つぶらな瞳に、小さく突き出した鼻。背中にチクチクの針を背負って、短い足で歩き回る。すくうように持ち上げられると、落ち着きなくプルプルと震えている。やっと本物に会えた。本物は、やっぱり可愛いものだ。しばらく顔を合わせていなかった友人と久しぶりに会う時、いざ目の前にすると妙な照れ臭さを感じるが、それに近い感覚だった。

動物とふれあう部屋の中に滞在できるのは20分間。ふれあいはきっぱり諦めて、今回は撮ることに注力しようと決めた。本当は、ただただ眺めていたいくらいだったが、係員のお兄さんに持ち上げてもらったり、囲いの中をちょこちょこと歩き回る姿をカメラで追いかけるうち、あっという間に時間切れ、となった。

ここまでくると、どんな写真が撮れたのか気になるだろうが、驚くなかれ、なんとこの日私が携行していたのは、いつもの愛用カメラの方だったのだ。たまたま前を通りかかって、思いつきで入場したものだから、新しいカメラで撮りたいという本来の目的を、すっかり忘れていたわけだ。こうして、動き回るハリネズミさんは、綺麗なブレ写真になりましたとさ。

(撮影: 荒井沙織)
著者
トーン テレヘン
出版日
2016-06-30

愛犬『もっく』

動物を眺めるのは好きだけれど、実はふれあうのが苦手だ。理由は、毛を吸い込んでいるような気がして、鼻水が止まらなくなるから。それに、引っかかれたり噛まれたりしそうで怖いのだ。仕事では、肩に猿をのせたり首に大きな蛇を巻いたりしたけれど、私生活では人間以外の生き物に接することがほとんどない。

そんな私も、かつては兄のような存在の犬がいた。祖父母の家で長らく飼われていた、真っ黒な犬『もっく』だ。もっく、と名付けられた生き物に、他に会ったことがないので、きっと珍しい名前なのだろう。

もっくは、私の母がまだ独身の頃に見つけた、捨て犬だった。道端に置かれた箱の中からクンクンと小さな鳴き声が聞こえて、目を遣ると、小さな子犬が入っていたのだ。仕事の途中だったので一旦はその場を離れ、数時間後、祖父と一緒に見に行くと、子犬はまだそこにいた。子犬のもっくは、それこそぬいぐるみかと見紛うほどに、可愛かったそうだ。

母と祖父はすっかり心を奪われ、犬が得意ではなかった祖母には内緒で、自宅に連れ帰った。子犬の存在を隠しておけるはずもなく、すぐに祖母に見つかるのだが、そのあまりの可愛さに、祖母も一目でメロメロになってしまったと聞いている。『もっく』という不思議な名前を付けたのは祖父で、由来は不明だ。たぶん、 “毛がフワフワでもくもくしているから” とか、そんなところだろう。こうしてもっくは、家族になった。

もっくは特別だった。
とにかく賢い。言いつけを守るし優しい性格で、来客の多い祖父母の家でも、訪ねてくる人みんなに愛されていた。やがて成長すると、フサフサしてくるんと巻いた尻尾を持つ、真っ黒で大きな犬になった。一緒に過ごす時間の長かった祖母とは、とりわけ仲良しで、祖母がいたずらをして尻尾にプカプカ浮かぶ風船を結んだりしても、怒らず不思議そうに尻尾を追いかけていた。穏やかな犬なのだ。

飼い主たちの関心が移ったと思い、飼い犬が赤ちゃんに嫉妬して、攻撃してしまう事があるという。そんな事態を防ぐため、母が結婚し、私が産まれることになった時、我が家では家族みんなで「もっくはいい子だね〜!お兄ちゃんになるんだもんね〜!」と、いつも以上にスキンシップを取りながら声をかけ、愛情を伝えていたそうだ。

大きくなってからそのことを聞いて、合点がいった。
私の記憶の一番古い時期には常にもっくがいたけれど、吠えられたり傷つけられたりした事は一度も無かった。子どもの私が尻尾を触ったりしても、本当はすごく嫌だったはずなのに、 “お兄ちゃんだから” 我慢してくれていた。ダメと言われた事は、どんなに誘惑があってもしないという姿勢も、良いお手本だった。まだ言葉も話せない頃の私が昼寝から目を覚まし、ベビーベッドの上で泣き出したのを聞いて、洗濯中の祖母を呼びに行ってくれたこともあったそうだ。言葉を話したり、彼を認識して一緒に遊んだりするずっと前から、もっくは私のことを、見守るべき妹として接してくれていたのだ。

老犬になったもっくが息を引き取ったのは、私が中学生の頃。当時は遠い場所で暮らしていた母と私が、実家に帰省していた期間だった。最期の数日を思い出すと、今でも辛くて苦しくなる。賢くて穏やかで、真っ黒で大きなフワフワの家族だった。

著者
ハンス ウィルヘルム
出版日
著者
葉 祥明・絵
出版日
2007-06-30

ペットがくれるもの

昨今のコロナ禍、ウィズコロナの生活が意識される中で、ペットに注目が集まっているそうだ。仕事ではテレワークが普及し、休日も感染拡大を懸念して外出を控えるようになったため、自宅で過ごす時間が増えたことが、ペットを飼い始める契機になっているようだ。

アニマルセラピーという言葉を聞くようになって久しい。動物とふれあうことでストレスを緩和させ、それが病気の症状改善に効果を示す場合があることも、今では広く知られている。介護の現場では、社会性の改善やコミュニケーションを促す効果を期待して、この方法を取り入れているという。

無償の愛情を注いでくれる相手がいること。癒しを得ることや、相手に信頼されていると感じることも、人間が自分を肯定する要素として必要だ。ペットは、まさにこれら全てを与えてくれる存在なのだ。

さて、私はというと、やはりもっくが一生のペットだ。思い返せば、躊躇なくふれあえていた唯一の動物だった。間違いなく、互いに家族としての絆を感じていたはずだ。きっとこれから新しい生活様式、新しい価値観の下で、癒しを求めてペットを飼う人は本当に増えていくのだろう。そのときは誰もが、私にとってのもっくのような存在に巡り合えるといいなと、心から願っている。

(撮影: 荒井沙織)

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