5分でわかるシリアの歴史!独立、内戦の原因、現状を知る本などをわかりやすく解説

更新:2020.8.21

世界史上もっとも古くから人が住んでいたといわれるシリア。「肥沃な三日月地帯」として文明も栄えていましたが、21世紀以降は内戦が終わらず、多くの難民が生まれています。この記事では、古代、フランスの占領時代、独立、内戦などシリアの歴史をわかりやすく解説。またおすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。

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シリアってどんな国?人口、宗教、言語、政治体制など

 

中東にある共和制国家のシリア。正式名称は「シリア・アラブ共和国」です。北西は東地中海に面し、トルコ、イラク、ヨルダン、レバノン、イスラエルと国境を接しています。

国名の由来は定かではありませんが、かつてこの地域で栄えたアッシリアやティルスなどの国名がなまったものではないかとする説が有力。ちなみに「シリア」は国名だけでなく、周辺のレバノンやパレスチナなどを含めた地域名として用いられることもあります。

首都は、世界史上もっとも古くから人が住んでいる場所として知られるダマスカス。最大の都市はアレッポです。

国土面積は日本のおよそ半分にあたる約18万5000平方キロメートル。人口は約1690万人。しかし2011年から続いている内戦によって1000万人以上が住む場所を失い、600万人以上が難民としてトルコやヨルダン、レバノン、ヨーロッパなど国外へ逃れています。

人口の約90%がアラブ人、8%がクルド人で、公用語はアラビア語。クルド語、アルメニア語、アゼルバイジャン語、現代アラム語などの話者も少数ながら存在します。またかつてフランスの統治下にあった影響からフランス語を話す人もいますが、エリート層など少数のみです。

シリア国民の宗教は、イスラム教スンニ派が約70%と多数を占め、シーア派などイスラム教の他宗派が約20%、シリア正教会や東方正教会などのキリスト教系が約10%いるそうです。

政治体制は、アラブ民族の連帯を目指す汎アラブ主義の「バアス党」が1963年から掌握。特に1971年以降は、ハーフィズ・アル=アサド、バッシャール・アル=アサドの親子2代が独裁政権を敷いています。2010年にチュニジアから起こった「アラブの春」の波及で、シリアでも2011年から民主化を求める騒乱が起き、内戦へと発展。2020年現在も継続中です。

日本の外務省が発表している危険情報では、シリア全土に「レベル4:退避勧告」が出されています。

 

シリアの歴史をわかりやすく解説!古代からフランスに占領されるまでを簡単に

 

世界でもっとも古い歴史をもつ地域のひとつといわれているシリア。「肥沃な三日月地帯」の一角として紀元前8000年頃には農耕が始まっていました。

紀元前3000年頃にはエブラ、キシュ、アブツァラリク、マリなどの都市国家群が成立し、メソポタミアやエジプトと交易をしていたことが明らかになっています。

交通の要衝であり、文明の十字路でもあったシリアの地は支配者が盛んに入れ替わり、古代ではバビロニア、ミタンニ王国、ヒッタイト、アッシリア、新バビロニア、アケメネス朝ペルシア、マケドニアのアレキサンダー大王、セレウコス朝シリア、ローマ帝国など。

中世ではウマイヤ朝、アッバース朝、ファーティマ朝、セルジューク朝、アンティオキア公国、アルトゥク朝、ザンギー朝、アイユーブ朝、モンゴル帝国、マムルーク帝国、オスマン帝国などが統治します。

1914年に「第一次世界大戦」が勃発すると、イギリスはオスマン帝国との戦いに協力する見返りとして、アラブ人の独立を認めるという内容の「フサイン=マクマホン協定」を締結。

しかし一方でイギリスは、フランスやロシアとはアラブ地域の領土分割を取り決めた「サイクス・ピコ協定」を締結していました。このなかでシリアは、現在のトルコにあたるアナトリア南部、イラクのモスル地区とともにフランスの勢力範囲になることが決められます。いわゆる「三枚舌外交」といわれるものです。

1917年に占領されたオスマン帝国には「占領下敵国領政庁」、通称OETAが設立されました。1918年にはシリアの内陸部とトランスヨルダンを統治するOETA東部に、ファイサル・イブン・フサインを首班とするアラブ政府が成立します。

1919年の「パリ講和会議」に出席したファイサルは「フサイン=マクマホン協定」の取り決めどおりに民族自決の原則にもとづいた独立と主権の承認を求めます。しかしフランスは「サイクス・ピコ協定」を盾に反対しました。

ファイサルは帰国後に議会選挙をおこない、自らを国王とする立憲君主制国家として独立することを議決します。

さらにアメリカが提案して設置された住民意向調査委員会が、「パレスチナ、レバノンを含むシリア地方はファイサルを国王として単一の立憲君主制国家としたうえで、期間を設けてアメリカもしくはイギリスの委任統治とするべき」という内容の報告書を提出。

これに対しフランスは、イギリスの陰謀だと激怒。パレスチナ問題を処理しきれなくなったイギリスが中東からの撤退を決断すると代わりに進出します。シリア議会は拒否するものの、進軍してきたフランス軍を前に受け入れざるをえず、1920年8月には連合国とオスマン帝国との間で「セーヴル条約」が締結され、「フランス委任統治領シリア」が発足しました。

ファイサルは追放されて、イタリアを経てイギリスへと亡命。後にイギリスの保護下でイラク王国の初代国王となっています。

 

シリアの歴史をわかりやすく解説!独立の経緯

 

西欧列強諸国が植民地や占領地を統治するうえで編み出した手法のひとつに、「分割統治」があります。これは、異なる民族や宗教の人々が混在する地域において、少数派を重用して権力を与え、多数派を支配し抑圧するよう仕向けるものです。

抑圧される多数派の恨みが宗主国に直接向けられることを防ぎ、互いを反目させることで被支配地域の人々の結束を防ぐこともできました。また少数派は、多数派から恨みを向けられるほど宗主国に依存し、その意向に従わざるをえなくなるのです。

フランスは、「委任統治領シリア」においてもこの手法を採用。多数派であるイスラム教スンニ派を抑えるために、少数派であるシーア派やドゥルーズ派、キリスト教マロン派らの宗教的マイノリティを重用したのです。

その結果、それまではオスマン帝国の寛容な宗教政策のもとで共存してきたさまざまな宗派の間に、対立の種が生まれました。

その後もシリアはフランスからの独立交渉を続け、1936年には「フランス・シリア独立条約」にもとづき「シリア共和国」が樹立。しかしフランスは条約の批准を拒みます。そして交渉が進まないうちに「第二次世界大戦」が始まり、フランスがドイツに占領されると、シリアは1941年に独立を宣言しました。「第二次世界大戦」が終結した後の1946年、シリアからフランス軍が撤退し、正式に独立します。

しかしシリア国内にばらまかれた対立の種はなくならず、1946年、1949年、1951年、1952年、1954年とほぼ毎年のようにクーデターや反乱が起こってしまうのです。

1958年には汎アラブ主義にもとづいてエジプトや北イエメンと「アラブ連合共和国」を建国。しかしクーデターによって1961年に解消し、「シリア・アラブ共和国」として再度独立することになります。

1963年には、バアス党が革命で政権を獲得。1971年に党内部で生じた対立の結果、穏健派のリーダーだったハーフィズ・アル=アサドがクーデターを起こして実権を握り、大統領に就任しました。

ハーフィズ・アル=アサドはソ連軍の基地を港湾都市タルトゥースに設置するなど、東側諸国との関係を深めつつ、バアス党による一党独裁とアサド家の出身母体であるアラウィー派の優遇を基礎とする長期独裁政権を築き、賛否両論あるものの、シリアを比較的安定させることに成功しました。

 

シリアの歴史をわかりやすく解説!内戦の原因は?

 

東西冷戦中にソ連の友好国だったシリアは、「湾岸戦争」をきっかけにアメリカやサウジアラビアとの関係を改善。「中東和平会議」を通じて長らく敵国であり続けたイスラエルとも小康状態を確保するなど、比較的安定を保っていました。

しかし1994年、大統領であるハーフィズ・アル=アサドの長男、バースィル・アサドが自動車の事故で亡くなります。バースィルは後継者候補として1984年頃から父親のそばに仕え、「帝王学」という特別な教育を受けていました。

そんな彼が亡くなり、急遽新たな後継者候補となったのが、イギリスの眼科病院で研修をしていた次男のバッシャール・アル=アサドです。帰国したバッシャールは軍に入り、政府の要職を歴任するなど、「教育」と「箔付け」を急ぎますが、まだ十分とはいえない2000年にハーフィズ・アル=アサドが死去。大統領に就任することになりました。しかし父親や兄と比べるとリーダーとしては心許なく、知名度も低くて妻のほうが有名なほどでした。

大統領となったバッシャールは「腐敗との戦い」を掲げて、自分を軽んじる古参幹部を粛清。体制内部の腐敗を一掃して権力を掌握します。大きな混乱もなく、2007年には大統領に再任しました。

そんななか2010年にチュニジアで革命が起こり、翌2011年にはシリアにも「アラブの春」が波及してきます。背景には、アサド家がイスラム教の少数派であるアラウィー派の一員で、多数を占めるイスラム教スンニ派やクルド人に厳しい統制を敷いていたことへの反発があります。もっと元を辿れば、フランスの分割統治が原因です。

また1963年に出された非常事態宣言が効力をもち続けていたため、自由選挙のない一党独裁体制のもと、表現、結社、集会の自由が制限。治安部隊やアサド家の私兵部隊によるリンチ、逮捕、拘留が相次いでいました。

さらにシリアは、地球温暖化などの気候変動の影響によって2006年からたびたび干ばつにも見舞われていて、国民の不満が溜まっていました。

それまでは小規模だった人々の抗議運動が、「アラブの春」によって徐々に大きくなり、各地で数十万人が参加するまでになります。これに対し治安部隊は暴力で取り締まり、死者が出ると抗議運動はさらに発展していきました。

バッシャールが譲歩を示しても収まらず、武装化して治安部隊と戦う人が現われるように。シリアは内戦状態に陥ってしまうのです。さらに2011年7月、シリア軍を離反したリヤード・アル=アスアドが「自由シリア軍」の発足を宣言すると内戦は激化していきます。

ロシアやイラン、レバノンが支援する「シリア政府軍」、軍出身者を中心とする「自由シリア軍」、サウジアラビアやトルコが支援するイスラム教スンニ派系の「イスラム戦線」、サラフィー主義を掲げるアルカイダ系の「タハリール・アル=シャーム」、イスラム過激派組織「ISIL」、ISILの打倒を掲げてアメリカの支援を受ける「シリア民主軍」などが入り乱れる様相。

民間人を含む死者は約47万人に達し、終息の兆しが見えない状況です。

 

難民問題を考えるきっかけになるおすすめ本

著者
["パトリック・キングズレー", "藤原 朝子"]
出版日

 

世界最大の難民発生国といわれているシリア。2018年時点で670万人に達しているといわれています。本書は「21世紀最悪の難問」とされるシリア難民について、最前線を取材しまとめたものです。

2018年に日本がシリア難民を受け入れたのは、わずか42人。トルコの370万人、パキスタンの140万人などと比べると文字通り桁が異なります。就業目的の偽装難民を警戒していることや、難民の定義を「政治的迫害を受ける可能性がある」としていることなどが理由として挙げられています。

本書にある難民たちの声を聞くと、この問題をどう解決していけばいいのか、何ができるのか、より一層考えさせられるでしょう。報道だけでは知ることができない、リアリティのある一冊です。

 

シリアと中東の歴史を理解できるおすすめ本

著者
国枝 昌樹
出版日

 

シリア建国以来、親子2代で独裁政権を維持しているアサド家。本書では、元駐シリア大使の作者が実際に現地で体験した、父親であるハーフィズの30年間と、子であるバッシャールの10年間の出来事をまとめています。

読み進めていくと、シリアの現状は独裁政権と民主化を求める反政府武装組織、という単純な二元論ではないことを理解できるでしょう。簡単に善悪と分けられるものではなく、もっと複雑なのです。

外交官らしい冷静な眼差しで書かれた文章で、シリアについてはもちろん、中東情勢を俯瞰して考えるうえでも役立つ一冊になっています。

 

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