5分でわかるサウジアラビアの歴史!宗教、女性の人権、石油産業などをわかりやすく解説

更新:2021.11.23

「世界一訪れることが難しい国」といわれてきた中東の大国サウジアラビア。2019年にビザの発給が開始され、注目が集まっています。この記事では、女性の人権や石油産業、建国からの歴史などをわかりやすく解説。またおすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。

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サウジアラビアってどんな国?人口、宗教、言語、治安など

中東のアラビア半島にある絶対君主制国家のサウジアラビア王国。1932年に周辺地域が統一されて成立しました。首都は内陸部にあるリヤドです。

「サウード家によるアラビアの王国」という意味の国名のとおり、イスラム教最大の聖地であるメッカと、第2の聖地であるメディナの二聖都の守護者といわれるサウード家が歴代の国王を務めています。

第2代から第7代まで、いずれも初代国王の子、つまり兄弟間で王位を継承してきたことが特徴です。第8代にあたる2020年現在の王太子は、第7代の息子であることから、今後初めて初代国王の孫世代へ王位が受け継がれると注目されています。

国土はアラビア半島の大半を占めていて、国土面積は日本の約5.6倍の約215万平方キロメートル。中東では最大級の国家です。北側でクウェート、イラク、ヨルダンと、南側でイエメン、オマーン、アラブ首長国連邦、カタールと国境を接していて、東はペルシャ湾、西は紅海に面しています。

国土面積は広いものの、大半は砂漠地帯。北部にはネフド砂漠、南部にはルブアルハリ砂漠が広がり、その間にはアッダハナと呼ばれる長さ1500kmもある砂丘地帯が広がっています。また紅海と砂漠地帯との間には標高2500m級の山々が連なる中央山地があるのも特徴。最高峰は南部にある標高3313mのサウダ山です。

人口は約3400万人ですが、広大なアラビア半島では古代から無数の部族が勢力をふるってきた歴史があり、「サウジアラビア人」という民族意識の形成には至っていません。発表されている人口も、「サウジアラビア国籍を有する者」というよりは「サウジアラビアに住んでいる者」という意味あいが強く、実際には人口の4割ほどが出稼ぎ労働者など外国籍だといわれています。

外国籍はインド人やパキスタン人が多く、それぞれ130万人~150万人ほど。次いでエジプト人、バングラデシュ人、イエメン人、ヨルダン人、フィリピン人、インドネシア人、スーダン人、スリランカ人などです。

サウジアラビアの国教はイスラム教ワッハーブ派で、これ以外の宗教を信仰することは禁止されています。ただ実際はイスラム教シーア派やキリスト教などの信者も少なくありません。

また公用語は古典アラビア語ですが、日常生活ではヒジャーズ方言、ナジュド方言、湾岸方言と言った地方ごとの方言や、出稼ぎ労働者出身国の言語などが使用されています。

2015年3月以降、イエメン北部を拠点とするイスラム教シーア派の一派ザイド派の武装組織である「フーシ派」との戦闘が頻発。また彼らを支援しているとされるイランやカタールなどシーア派国家との関係が悪化していて、ISILやアルカイダなどによるテロも起きているのが現状です。

日本の外務省が発表する危険情報では、イエメンとの国境地帯に「レベル3:渡航中止勧告」、イラクとの国境地帯に「レベル2:不要不急の渡航は止めてください」が出されています。

サウジアラビアにおける女性の人権について解説

サウジアラビアが国教とするワッハーブ派は、18世紀にムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブが創設した宗派です。一般的には「イスラム原理主義」として知られていて、復古主義、純化主義的イスラム改革運動の先駆けとみなされるなど、イスラム教のなかでも厳格な宗派だといわれています。

そのため、イスラム教の教えである「女性は保護されるべき」という考えにもとづき、女性の生活にはさまざまな制限があります。2017年に世界経済フォーラムで発表された「世界男女格差指数」では、144ヶ国中138位にランキングされました。

女性の人権として制限されているものは、参政権がない、外出時にアバヤを着用する義務がある、親族以外の男性との会話は禁止、就労の制限、自動車運転の禁止、教育の制限、夫婦別居の禁止、パスポート取得は男性親族の許可が必要、サッカースタジアムなどでのスポーツ観戦の禁止などが代表的。

これらの制限に関しては、イスラム教の伝統にのっとっていないとする批判が国内からも挙がっていて、第6代国王の時代から徐々に制限をゆるめるよう議論がされるようになってきました。

特に積極的に女性の解放政策を進めているのが、1985年生まれの若き王太子ムハンマド・ビン・サルマーンです。2015年には女性の参政権が認められ、2018年には女性による自動車の運転とサッカースタジアムでのスポーツ観戦が解禁。さらに2019年には、パスポート取得時の男性親族の許可制度が撤廃されました。

ただそれでもなお、女性の人権はまだまだ制限されているのが現状です。今後はアバヤ着用義務など、イスラム教の伝統にのっとった制限に関する改革が課題となるでしょう。

サウジアラビアの歴史をわかりやすく解説!サウード家の勢力拡大と、王国の建国

サウジアラビアを建国したサウード家は、もともとアラビア半島中部にある都市ディルイーヤを支配する豪族でした。

1744年、当時の当主だったムハンマド・イブン=サウードが、オスマン帝国からの自立を目指して、ワッハーブ派創始者であるムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブと同盟を結び、王国を建国。現在のサウジアラビアの基礎となる「第一次サウード王国」が樹立します。

ムハンマド・イブン=サウードの息子と、ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブの娘は結婚し、両家の絆は強固なものとなりました。

「第一次サウード王国」は、イスラム教の二大聖地であるメッカとメディナを陥落させるなど、アラビア半島の大部分を支配することに成功。しかしオスマン帝国のムハンマド・アリーとの戦いに敗れ、1818年に滅亡しました。

その後1824年に、生き残った王族たちがリヤドを首都として「第二次サウード王国」を建国。しかし1891年、近隣のジャバル・シャンマル王国を治めるラシード家に実権を奪われ、国王が追放されて滅亡します。

追放された国王は一族を連れてクウェートへ。そのなかには、後にサウジアラビアを建国することになる15歳のアブドゥルアズィーズ・イブン=サウードもいたそうです。

やがて成長したアブドゥルアズィーズ・イブン=サウードが、1902年にリヤドの奪還に成功。「ナジュドおよびハッサ王国」を建国しました。

1914年に「第一次世界大戦」が勃発すると、主にイギリスのインド総督府から支援を受けながらオスマン帝国と戦い、1921年には因縁のラシード家が治めるジャバル・シャンマル王国を、1925年にはイスラム教の創始者であるムハンマドの末裔が治めるヒジャーズ王国を占領して、1931年に「ナジュドおよびヒジャーズ王国」を建国しました。1932年に国名を「サウジアラビア王国」と改めます。

サウジアラビアの国王になったアブドゥルアズィーズ・イブン=サウードは、血縁を重んじるアラブ社会で有力部族との友好関係を維持するために、なんと100回以上もの結婚をくり返し、確認されているだけでも男子52人、女子37人の子どもをもうけました。

サウジアラビアにて王族とみなされるのはアブドゥルアズィーズ・イブン=サウードの血を受け継ぐ者だけですが、孫や曾孫なども含めると、その数は2万人にのぼるといわれていて、「王統の断絶」からもっとも遠い国だといわれています。

サウジアラビアの石油産業、中東戦争、イラン・イラク戦争もあわせて解説

サウジアラビアのGDPは約7793億ドルで、その大半が石油産業に依存しています。世界最大の石油輸出国で、「OPEC(石油輸出国機構)」の盟主的存在です。

サウジアラビアで石油が発見されたのは、1938年のこと。「第二次世界大戦」の終結後に開発が本格化し、世界第2位の原油埋蔵量、世界第5位の天然ガス埋蔵量をほこるエネルギー大国になりました。推定されている天然資源の価値は日本のGDPの約6倍に相当する34.4兆ドルに達するといわれています。

しかし将来は枯渇する可能性も指摘されていて、ムハンマド・ビン・サルマーン王太子のもと、石油依存型経済からの脱却を図るために「サウジ・ビジョン2030」という改革が進行しています。

2019年には国営石油会社サウジアラムコの新規上場を実施。時価総額世界一の企業となり、上場によって調達された資金は改革を進めるための費用に充てられる予定です。

また石油産業は、サウジアラビアに経済的な繁栄をもたらしただけでなく、外交上の武器にもなってきました。1973年、イスラエルとアラブ諸国間で「第四次中東戦争」が起こった際は、サウジアラビアを含むOPEC加盟国が協調して原油価格の引き上げをし、イスラエルを支持するアメリカやオランダなどに経済制裁を発動。オイルショックが起こって日本を含む世界の経済が混乱しました。

またアメリカでシェールオイルの採掘が盛んになると、原油生産量を引き上げて原油価格を下落させ、シェールオイルに価格競争を挑んでいます。

アメリカとの関係は時には対立するものの、おおむね良好。「中東最大の親米国家」といわれていて、1980年に勃発した「イラン・イラク戦争」ではアメリカとともに同じスンニ派であるイラクのサダム・フセイン政権を支持しました。1990年にイラクがクウェートに侵攻し「湾岸戦争」が勃発した際には、国土防衛のためにアメリカ軍の国内駐留を許可しています。

しかしこれがアルカイダの創設者であるウサマ・ビン・ラディンら敬虔なイスラム教徒たちを激怒させ、後の「アメリカ同時多発テロ事件」に代表される反米テロが頻発する要因ともなりました。

シーア派の大国であるイランとは、親米政権だったパフラヴィー朝時代は比較的友好だったものの、「イスラム革命」以降は関係が悪化。2016年1月にサウジアラビア国内のシーア派指導者を処刑したことへの報復として、イランの首都テヘランにあるサウジアラビア大使館が襲撃された事件をきっかけに、国交を断絶しています。

両国は戦争目前ともいわれる睨み合いを続けていて、イエメンやシリアなどで互いが支援する勢力が戦いをくり広げる代理戦争が展開されている状況。2020年にはイランの革命防衛隊司令官ソレイマニがアメリカによって暗殺。イランとアメリカの対立が先鋭化するなか、サウジアラビアの去就にも注目が集まっています。

現地で暮らす日本人の体験記

著者
ファーティマ松本
出版日
2013-04-03

2011年から観光ビザの発給が停止されていたため、「世界一訪れることが難しい国」といわれてきたサウジアラビア。2019年に個人の観光ビザが発給解禁され、注目されています。

本書は、アメリカ留学中に出会ったサウジアラビア人と恋に落ちて結婚し、サウジアラビアという異国の地で二男五女の子育てに奮闘する作者の体験記。現地の言葉で「すごいね」を意味する「マッシャアラー」という言葉をキーワードに、日々の生活を読みやすい文章で紹介しています。

サウジアラビアはイスラム教の戒律が厳しく、特に女性はさまざまな制限があり自由な生活ができない印象がありますが、実際にはどうなのでしょうか。異国のリアルな暮らしに触れることにできる貴重な一冊です。

サウジアラビアから中東を考える

著者
高橋 和夫
出版日

2015年1月、サウジアラビアでは第6代国王が崩御して、弟が第7代国王として即位しました。即位直後に国王が発した勅命で、彼の息子であるムハンマド・ビン・サルマーンが国防大臣、王宮府長官、国王特別顧問、経済開発評議会議長に就任。2017年には第一副首相を兼任し、カタールとの国交断絶や「サウジ・ビジョン2030」などを主導する実質的な指導者として振る舞うようになりました。

本書では、新しいリーダーのもとで変化していくサウジアラビアを、イランとの関係に焦点を当てながら解説。中東の大国がこれからどうなっていくのか、どうなっていこうとしているのかを紐解いていきます。

情報量は多いですが、その分多角的視点で国際政治を考えられる、読んでおきたい一冊です。

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