人見知りブランドに甘えて【小塚舞子】

人見知りブランドに甘えて【小塚舞子】

更新:2021.11.29

人見知りに拍車がかかってきたような気がしていた。今までは、『人見知りでないのに越したことはないが、まぁそれも個性と言えるだろうだし、自分は人見知りなのだと公言している人も多いし、もういっそ“人見知り”をブランド力のあるものとして捉えてもいいのではないか』なんて考えたりして、“人見知りの自分”にある意味で酔っていた。しかし、最近それがとんでもなく恥ずかしいことに思えている。どうしたものか。

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レジでわかる人見知りの実態

“今年の誕生日を迎えたら私は35になるのか・・・”と、ぼんやり考えていたところ、「・・・・四捨五入したら40か!!!」とベタに驚いた。40になった自分はまるで想像できないし、したくもないが、そこでふと人見知りのことが頭によぎった。このまま症状が進行すれば誰ともしゃべれない40歳になるのではないか。いやその前に今でもじゅうぶんに“イタイ”のではなかろうか。

例えばスーパーで買い物をするとき。レジではちょっとしたコミュニケ―ションがうまれる。レジ袋が有料になり、電子マネーでの支払いが普及したことで、今までより一言二言、店員さんと話す機会が増えた。とは言っても“はい”“いいえ”で答えたり、“支払いは○○でお願いします”と、電子マネーの種類を指定するだけだ。それなのに私はその一言二言でオロオロしたり、緊張してしまう。

「レジ袋どうしましょうか?」
「あっ、大丈夫です」
「え?」
「あっ、持ってます」
「ポイントカードは?」
「あっ、はい・・・(と言いながらもぞもぞ探す)」
「?」
「あっ、あります」
「はい!お預かりします。お支払いは現金で?」
「あっ、○○でお願いします」
「△△ですね!」
「あっ、いや○○で・・・すみません・・・」
「失礼しました!○○でお預かりします!ありがとうございました!」
「ありがとうございます」

レジで繰り広げられる、毎度おなじみの会話だ。こうして文字に起こしてみると、本当にどうってことないし、これのどこに緊張ポイントがあるのかもわからない。しかし、問題は山積みだ。

最近はマスクをしているせいもあるだろうが、まずわたしは声がちいさいらしい。布製のマスクをしているときなど、旦那さんにすら「何を言っているかわからない」と言われた。人見知りにとってのマスクは表情が半分隠れるという観点から、一種の盾のようなものでもあって心強い。

しかし会話をするとなると、ちいさい声がよりちいさくなってしまい、それによって何度も訊き返されるので、さっきよりも大きい声を出そうして怒っている感じになってしまったり、変な声が出たりして困る。しかも、ついさっきまで娘に大きな声で話しかけていたくせに、店員さんと話し出した途端にモゴモゴし始めるのも、きっとバレてるんだろうなと思うと、より恥ずかしくなってしまう。

次に、会話の頭に「あっ、」をつけてしまう癖が治らない。忘れものに気付いた時などに独り言として言うような「あっ、」なのだが、とくに何かに気付いたわけでもなく、準備していたセリフにまで「あっ、」をつけてしまう。それがないだけで随分落ち着いた話し方になりそうなのに、取ろうとすると余計に緊張するのだ。

言葉のはじめに「あっ、」をつけることで声の調子を整えている。「あっ、大丈夫です」の「あっ、」を取ると、かなり強めに「大丈夫です」が出てしまう。それでも「あっ、」を言うのが恥ずかしいから、ウイスパーボイスで「あっ、」を出してみたら「大丈夫です」のところまでウイスパーになってしまう。「あっ、」で大よその声のボリュームを調節して「大丈夫です」と続くのだ。(しかし結局ちいさくて聞きとられず、大丈夫じゃない)

最後の「ありがとうございます」。これだけは絶対に言いたいと思っている。いい人だと思われたいし、それまでの声のちいささや感じの悪さを挽回したい。「ありがとうございます」と言って、レジから去ろうとする。

しかし去り方がまたヘタだ。お礼を言ったら、さっと前を見て歩き出せばいいのに、「ありがとうございます」の「ござい」のあたりから歩き出してしまうので、後ろを振り向きながら歩いているような格好になり、誰かにぶつかりそうになったり、前を向くタイミングを失って、そのまま店員さんにペコペコしながら店を後にしたりする。ちいさな声でぼそぼそしゃべっていると思ったら、大げさにへりくだりながら店を出る変な人。それが今年35歳になる私だ。やはり、じゅうぶん過ぎるくらいにイタい。

人見知りのチャレンジ

十年以上「しゃべる」ということを生業にしてきたのに、なぜこんなことになっているのだろう。仕事中はもう少しまともに話せているのではないか。むしろ、しゃべりすぎて帰ってきて落ち込むほどではないか。おまけに人見知りを都合よくブランド化して、それに酔うだなんて。我ながらけしからん。襟を立てて颯爽と歩くような40代を目指したいと思った。そのために最近わたしは『あること』に挑戦している。

それは『コールセンターに電話をすること』だ。誤解なきよう先に言っておくが、もちろん用事があるときだけだ。脳が衰えているのか、最近物の使い方がわからないことが多い。ベビー用品など、安全性の高いものほどややこしく、性能のよいベビーカーは畳み方も広げ方もわからず諦めた。チャイルドシートの設置なんてのはもう超難問で、説明書とネットの動画を交互に見ながら、狭い車のシートで小一時間四苦八苦した。最新のスマホだって、その半分も性能を使い切れていないことだろうが、それに気が付くこともない。

私は物の使い方で困った時に意地でもインターネットでその使い方を探してきた。海外製の家具の組み立てなどでも、信じられないくらいたくさんのパーツが入っているのに、簡単な図形だけが描かれた質素な説明書がペラリと一枚だけ入っていたりする。そういうときはありとあらゆる検索ワードでその家具の組み立て方を探し、SNSやYouTubeで動画を見たりしてきた。ブログに細かく説明してくれている人がいたり、わかりやすく編集された使い方動画がアップされていて、何度も助けられた。

しかし先日ベビーカーのシートなどを丸洗いするべく取り外そうとして、壁にぶつかった。海外製のベビーカーの説明書は、書いた人も三日後にはわからなくなるんじゃないかと言うくらい、ちんぷんかんぷん。しかも新しい製品のため、検索をかけてもブログや動画がヒットしない。自分で何とか取り外せないものかと試行錯誤したのだが、途中で前にも後ろにも進めなくなってしまった。

そこで、意を決してメーカーのコールセンターに電話してみた。おそらく日本の代理店のようなところにつながるのだろう。とても感じの良い女性が対応してくれた。説明書を読んでもシートの取り外し方がわからない旨を話すと、では一からやっていきましょうと電話越しにやり方を説明してくれることになった。顔が見えないと、なぜかハキハキ明るく話すことができる。「ここまではできたんですが、ここからどうしたらいいのかわからなくて・・・」と、声に表情をのせることだってできる。人見知りとはやはり『見る』からだめなのだろうか。

丁寧に説明してもらえたおかげで、無事にシートを取り外すことができた。明るく話せたことで気分がよくなり、小話の一つでも披露したくなったが、めんどくさい珍客だと思われそうなのでやめておいた。この一件以来、わからないことは血眼になって検索するよりも、人に訊いた方が早いし、確実だし、気持ちがいいということに気が付いて、わからないことを日々探している。(いまの所一回しか機会は訪れていないが)

爽やかな人になりたいと心から思う。しかし、もしこんな感じの話を書く機会がこれからもあったとしたら、“今日も襟を立てて、颯爽と歩いてきて、誰とでも仲良くハキハキとしゃべった話”なんて誰が興味を持ってくれるのか。ならば、コラムを続ける限りは人見知りブランドを守り抜くべきか。いや、スーパーでちいさい声でしゃべった話もいらんか。やっぱり人見知りは直して、もうちょっと実のある話ができるよう出直そう。

自分ってだめだなと思ったときに読みたい本

著者
早川 義夫
出版日

小説の帯に「誰かに悩みを相談するくらいなら、この本を繰り返し読んだ方がいいとさえ思っています」と、宮藤官九郎さんの推薦文が書かれていて、何や人見知りにぴったりやないのと手に取りました。人見知り=相談ベタかはわかりませんが。18歳から21歳まで歌を歌っていたけれどやめてしまい、25歳で町の本屋の主人として暮らし始め、早くおじいさんになろうとした早川義夫さんのエッセイ集です。

早川さんはそれから二十数年して、また歌いたいと歌手として再出発されていて、たくさんの詩も登場します。日常で感じたことや心のなかに渦巻くモヤモヤとした気持ち、悩み。わかる。わかるけど、外から見たら大したことない。みんなそんなものだよって教えてくれるような優しい本です。たっぷり悩んだ方が人間らしくて、そんな人から生まれた芸術は人の心を動かす。それならば悩む時間は無駄じゃないと思えました。

著者
角田 光代
出版日
2007-10-10

専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長である葵の元でハウスクリーニングの仕事を始めます。子供を保育園に預け、姑や夫から嫌味を言われる小夜子は人見知りでおとなしい性格。一方で明るく社交的な葵。対照的な二人をつなぐ二つの物語が同時に進行していきます。

読んでいる間は、苦しくてヒリヒリして、でも次へ次へと貪るように読み進めました。それは共感してしまって仕方なかったから。まるで自分のことのようだと錯覚して感情移入する人は多いはずです。そして、この小説の中に何らかの希望の光を探してしまうのです。自分のぶつかっている壁は、もしかするとそんなに高くないのかもしれないと、視界が広くなるような物語です。

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