ダサいことのダサさ【小塚舞子】

更新:2021.2.9

「ダサい」の「ダサ」はどこからきているのだろう。毎日とにかく暑くて何も考えたくないのに、どうでもいいことは気になりだすと止まらず、インターネットで調べてみた。Wikipediaによると、1970年代前半から関東地方の不良少年や女子高生の間で広まり、1970年代後半には若者言葉として定着したそうだ。ダサいの始まりが不良少年や女子高生だなんて「ダサい」という言葉がもうダサいではないか。チョベリバがそのまま市民権を得てしまったような。

小塚舞子プロフィール画像
タレント、女優
小塚舞子
奈良県生まれ。カレー屋巡りの趣味が高じて、カレー本やカレーロケなどに度々登場している。2018年末に女児を出産、絶賛子育て奮闘中。 ■主な出演番組 ABC:「おはよう朝日です」 KTV:「発見たまご!ころころコロンブス」 TVO:「おとな旅あるき旅」 NHK:「ごごナマ」 他ラジオ、CM、舞台、ナレーターなど幅広い分野で活躍中。
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「ダサい」についてわかったこと

語源についても書かれていた。関西弁である「どんくさい」が転じたとする説、「田舎」を「だしゃ」と読み、それを形容詞化した説、「だって埼玉だから」が省略された説など様々な説が唱えられていた。しかし、関西人から見れば「どんくさい」と「ダサい」は微妙に言葉の意味が違うし、不良少年や女子高生が田舎をわざわざ「だしゃ」と呼ぶのかも怪しい。その他の説もピンとこなかった。

ちなみに「ダ埼玉」という言葉は1980年代始めにタモリさんが作った造語だそう。タモリさんに「ダサい」と言われたらぐうの音も出ない感じがして、埼玉が気の毒だ。(でもちょっと羨ましい。奈良にも何かお願いします)

ついでに類語も調べてみたが、こちらもイマイチだった。ダサいに替わる上品な言葉があればいいのに。「垢抜けない」は近いようだが、それもちょっと違う気がする。「垢抜けない」には未来がある。駆け出しのアイドルが持つ希望に満ちた未来。脱皮を前提としているさなぎのような・・・。「垢抜けない」は、いつか脱皮して美しい蝶になり、垢抜ける。「ダサくなくなった」という使い方もできなくはないが、あまりしっくりこない。だからなのか「垢抜けない」にはマイナスイメージがないように思う。「垢抜けてないね」と言われるより「ダサいね」と言われる方が悲しい。(どちらも当人に直接かける言葉ではないが)

ダサくてハマる、自我の沼

さて、なぜ突然「ダサい」の意味なんて調べたのか。答えはいたってシンプル。私が常々「ダサいと思われたくない」と思っているからである。あまり深く考えないようにしていたのだが、どこかの時点で向き合わなくてはいけない気もしていた。ダサいを考えようだなんて、そのこと自体がダサいということもわかっている。ダサいと思われたくなくて取る行動は大体ダサいのだ。気にすればするほど深みにはまっていく。自我の沼には底がない。

例えば外見。髪型やメイクや服装、ダサくないように最善の注意を払い出かける前に鏡を見てチェックする。しかし、外へ出てしばらく経ってから何気なくガラスに映った自分を見ると、かなりの確率で「ダサッ」となる。街を歩くオシャレな人と自分を比べてしまうからだろうか。いや比べる対象がなくても一人でちゃんとダサい。

悲しくなって服を着替えたい衝動に駆られ、いらない買い物をしてしまったりもする。しかしそもそものセンスが足りないので、それもダサい気がしてくる。レジでお金を払いながら既に「コレ・・・いる?」と思っていたりするのに、当然ダサいのでそこでやっぱりやめますとは言えない。

そういえば「ダサい」という言葉を知らないはずの幼稚園くらいの頃から自分はダサいと思っていた。友達は皆、長い髪の毛をさらさらにとかしてもらっていたり、三つ編みにしてもらったりする中、私はいつもショートカットだった。女の子らしくないことがダサかった。兄弟がいる子がほとんどの中で、一人っ子だった自分もダサいと感じた。背が低いことも、ぜんそくですぐ幼稚園を休むことも同じだ。

そして当時の写真を見ると、やっぱり正真正銘にダサい私が写っている。プールでの集合写真は皆が嬉しそう顔できれいに水泳帽をかぶる中、私はぐちゃぐちゃに帽子をかぶり今にも泣きだしそうな顔をしている。その場にいるほぼ全員が制服に白い靴下を履いているのに、私は黒に花柄の靴下を履いている。母が選んだのか、私が選んだのかは覚えていない(私のような気がする)。“皆と一緒がいい”という気持ちと、違うものを選んでしまう自分との間で葛藤していた。

最近、ランドセルの取材をした。今は一つのメーカーからでも100種類以上のランドセルを選ぶことができるそうだ。カラーバリエーション豊富であるのは言うまでもなく、そこに刺繍が施されていたり、スワロフスキーがついていたり、全体の形が丸みを帯びていたりと実に様々で、見ているだけでも楽しい。私が小さい頃と言えば、女の子は赤、男の子は黒、その中にピンクや青のランドセルを持った子が学年に一人、二人いる程度だった。しかし今は人気の色や形が多少はあるものの、子どもたちもそれぞれに好みのランドセルを自由に選ぶので、それほどの偏りはないそうだ。たしかに登校している子の列を見ていると、色とりどりのランドセルが並んでいる。

私のランドセルは渋めの赤色で、表面がマットだった。当時は親と一緒にランドセルを買いに行くなんて文化がなかったので、母が選んでくれたのであろう。しかし近所の友だちのランドセルはもっと鮮やかな赤色でピカピカ輝いていた。エナメル加工のようなものが流行っていたようだ。皆と一緒にしてくれと頼んだが、もちろんそれは聞き入れられず、やはりそこでも私だけがダサいように感じた。

そのくせ、高学年になってから学校単位で注文する裁縫箱やエプロンの柄は、皆と同じにできるはずなのにそうできなかった。数種類のキャラクターの中から嬉々として皆と違うものを選んでしまった。友達と揃えることもできたはずなのに、蓋を開けてみると自分は少数派だった。なぜ皆と同じものを選ばなかったのだろうかと後から恥ずかしくなった。

だからその後で、家庭科で作るナップサックの柄を選ぶときは人気のイルカ柄にした。私だけ浮くことがなかったので安心した。

十人十色のダサい

少数派だからダサいのではない。大人になればそれに気がつく。しかし、幼い頃に感じた「皆と外れていることのダサさ」は心のどこかに根を張り続けている。個性的でありたいと願うのに、その個性がダサかったらどうしようと不安になるのだ。流行に流されないことと、流行に敏感であること。相反する二つの個性はどちらがかっこいいのだろう。かっこよさを考えることもまたダサいのか。

人から見るとダサくたって自分が好きな物、好きな生き方を選べるのが一番だと思う。だが、何かを選択するときにはいつも一筋縄では行かない。そのときの気分、環境、流行、一緒にいる人、あらゆるものが直感の邪魔をする。一貫性のある人に憧れるが、私はそうはなれないらしい。

「ダサくて上等!」なんて開き直ることができたら無敵なのだが、私はこれからも怯え続けるだろう。影で笑われはしないかと。しかし、ダサいと思うセンスはそれこそ十人十色であることも確かだ。万人が「かっこいい」と思うこと、ものなんてない。逆に言えば万人が「ダサい」と思うことやものだってないのだ。美味しいと感じる人もいれば、美味しくないと感じる人もいるように。皆そんなことは当たり前だとわかりながら生きているのだろうか。

最後に一つ、思い出したことがある。中学のときに買ってもらったメガネが太めの赤いフレームで今思えばまぁダサかったのだが、かけて校内を歩いていると、ギャルっぽい感じの先輩に指をさされて笑われた。恥ずかしくてダッシュで逃げた。しかし他のものをまた買ってもらうわけにもいかず、そのままかけ続けた。20年近く経った今でも、そのときの空気まで思い出すことができる。笑った方はまず間違いなく忘れているだろう。メガネは今でも実家に置いてある。

万人がダサいと感じることなどないと言ったが早速撤回する。ダサいことを笑う人はダサい。大切なのはそこだ。それさえわかっていれば、あとはダサくたってなんだっていい。(いや、よくはない)

ダサいから逃れる本

著者
サマセット モーム
出版日
2014-03-28

ダサいを考えたのは、暑さのせいとこの本のせいです。画家のポール・ゴーギャンをモデルにした登場人物ストリックランド。証券会社で働きつまらない男だと思われていた彼はある日、安定した豊かな生活を捨て消えてしまいます。主人公である私はストリックランド夫人に頼まれ、彼の行方を追うことに。駆け落ちをしたと思われていたストリックランドですが、彼の元に女性はおらず、絵を描くためにすべてを捨てたということがわかります。もはや彼は別人のようで、その徹底的に自分勝手で破天荒な性格から自分を助けてくれる人まで奈落の底へと突き落としてしまうのです。

他者のことを全く気に留めず、自らの美を追求するストリックランド。何を言われても、どんな状況でも気にしない。絵を描くことさえできればそれでいい。ストリックランドなら、描いた絵をダサいと笑われても、やはり気にしなかったことでしょう。そこには圧倒的な情熱があるからです。決して私には、というかこの世の人のほとんどが真似できるものではありませんが、人生の自由さや不便さを教えてくれるこの本を読むことで、世界が少し広く見えるはずです。

著者
有北雅彦
出版日

その名の通り、色んな人の食べている方法=仕事にスポットを当てた本です。物語屋から珍スポトラベラー、映画監督、市議会議員に至るまで、変な仕事をする人、仕事としては知っているけど、実際何をやってるのかよくわからない人にインタビューしてまとめられています。

世間に知られていない世界、特殊な世界に飛び込むとき、ともすれば周りの人々から「ダサい」なんて言葉を浴びせられそうなものです。しかし、この本の中にいる人々はそんなことはどこ吹く風。好きなことの情熱に突き動かされ、とても幸福そうに見えます。もちろん、今に至った経緯も書かれていたりして、想像してみると大変そうなのですが、それさえも清々しく見えます。「ダサい」から逃れる一番の方法は、徹底的に好きなものを見つけることかもしれません。

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