不忠臣蔵【山中志歩】

更新:2023.11.9

皆さん、寒くなってきましたね。コロナの感染数も伸びたりしているので、あんまりご無理しないでくださいね。お気づきの方もいらっしゃるとは思いますが、宣材写真を撮り直したので、アイコンが変わっております。素敵なカメラマンさん、スタイリストさん、メイクさんにやっていただき、すごく嬉しい気持ちでいっぱいです。

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今、私は兵庫県豊岡市にいます。ホテルと劇場の近くには大きな川が流れ、水面がきらきらしていて、きれいです。とんびが低いところを飛んでいるので、ピューヒョロロロという鳴き声が聞こえて、時代劇みたいだなぁと感動しています。毎日、お昼の11時半と夕方の5時にお寺の鐘が鳴ります。スーパーや八百屋さんの野菜が安くて新鮮で、ここに来てから野菜をたくさん食べています。浄化されている心地です。 

 ほぼ一年ぶりの舞台です。こんなに舞台に出ないことは初めてなので、「お芝居とは何ぞや?」と初歩の初歩から考えたりしています。お芝居に向き合う時間は私にとってつらいことも多いけど、不思議な魅力があって、たった唯一の誠実で大切な時間です。 

 今年一年、たくさん信じられないことがありました。誤魔化されたり、嘘をつかれたり、搾取されたり、消費されたり。少し考えれば、相手がどんな気持ちになるのか分かるはずなのに、保身に走り、自分の居心地を良くするための言葉を並べたりする人たちを見てきて、ちょっとしんどい思いをしました。言葉を尽くす意味って何だろうか、伝えたところで意味はないのだろうか、とたくさん泣きました。分からないことを「分かりません」と言ったり、間違えたことを「すみません、間違えました」と言うことってそんなに難しいことなんだろうか。こんなことを言っている私はまだ若いとか、物を知らなすぎるとか、そういう言葉で片付けられるのかもしれないけど、皆も我慢してるから私も我慢するっていう考え方はおかしいと感じますし、人がどんどん無気力になり、諦めていく様を見ていると、言葉にならない気持ちでいっぱいになります。 

だけど、お芝居の中だけは誠実で純粋で無垢で、そこだけに本当のことがあるような気がしています。人間の泥臭い部分も全部人の目に晒されますし。媒体は演劇に限らず、映像作品でもそうで。これは私にとってはお芝居だけど、他の人にとっては植物を育てることや洋服をデザインすること、料理や数式だったり、人とお話しすること、文章を書くこと、編集をすることかもしれないですね。 

 今回、ご紹介する本は、現在稽古中の舞台「忠臣蔵OL篇」で、私が参考資料として色々読んでいた中の一つ、井上ひさしさんが書いた『不忠臣蔵』です。 

元禄15年の12月14日未明に、赤穂藩士の47人が吉良邸に討ち入りを果たしました。この話は300年経った今でも語り継がれていて、泉岳寺の47人の赤穂藩士のお墓には今もお線香やお酒などがお供えされています。 

著者
井上 ひさし
出版日
2012-12-14

 元禄14年(1701年)3月14日に、江戸城の松の廊下にて、赤穂藩主の浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかり、吉良上野介は眉間に怪我を負うも命に別状はなく、浅野内匠頭はその場で幕府から切腹を命じられました。浅野内匠頭が斬りつけた理由は史実では今も分からないまま、(創作では色んな説があります)喧嘩両成敗のルールがあるのにも関わらず、吉良上野介にはお咎めがなく、赤穂浅野家は御家断絶、領地没収、お取りつぶしとなりました。 

 そして、翌年の12月14日に赤穂藩の家老、大石内蔵助を中心に47人の有志が立ち上がり、吉良上野介の屋敷に夜遅くに討ち入り、見事、仇討を成し遂げたという話です。この赤穂事件は本当にあった事件で、それをもとに「仮名手本忠臣蔵」が作られ、今も映画や舞台、ドラマなどでたくさんの人たちに親しまれている作品となっています。 

 この井上ひさしさんの「不忠臣蔵」は名前の通り、忠臣しなかった人たちの物語です。1話完結型で、討ち入りに参加しなかった人のエピソードが描かれています。ここに書かれている人たちは実際に存在した方々で、事実をもとに井上ひさしさんが脚色しています。「なぜ討ち入りしなかったか」っていうことがとても面白く、どの人も一筋縄ではいかない理由なので、おかしくて少し笑っちゃう話もあります。私は小山田庄左衛門の話が好きでした。小山田庄左衛門の父、一閑が主な語り手なんですけど、年を取って、娘婿のところにお世話になり、肩身の狭い思いをしている一閑の、唯一誇れる息子(小山田庄左衛門)が討ち入りに参加せず逃げたと聞いて、大石内蔵助の身柄を預かっている屋敷に行き、息子のことを尋ねる話です。一閑が昔の武勇伝を生き甲斐に自分を保っているところや息子が討ち入りしたと信じているズレが、すごく虚しくて、悲しくて、こういうおじいさんいるなぁと感じたりして、すごく面白かったです。 

井上さんの書く文章は日本語が本当に綺麗なんですよね。リズムもあって、声に出して読むと気持ちいいです。そして、どんでん返しがあって、毎回驚かされるんです。それに、人間臭さといいますか、温度や湿度がある。たとえば、切腹の前の武士が思い出し笑いをしたり、品行方正なお姫様が下ネタが大好きだったり。さっきも触れましたが、登場人物たちが一筋縄ではいかないところが、私は好きです。そして、ちょっと泣かされる。

あとがきに、 

しかし物語化のおおむねは、とくに近代では赤穂浪人らの「義挙」を称揚する。ゆえに赤穂事件は「忠臣蔵」であり、浪人は「義士」である。要するに、日本人は恨みをのんで死んだ主君の復仇を、家臣らが困難を超えて実行する物語が好きなのだ。それが井上ひさしの不満だった。 

人の世の真の姿は「義士」「不義士」、どちらにあるか。「死は軽くして易し。生は重くして難し」と近松門左衛門『出世景清』にあるが、「義士」として討入りする方が、「不義士」として生きつづけることより易きにつくことではなかったか、と作家は疑ったのである。 

この時代の武士で命を惜しむ者は多くない。再就職を見込めない失業武士で、日々生活苦がつのる状況にあっては、復仇は人生の区切りをつけるのによい機会である。そのうえ、日本国中どこにいるのかわからぬ相手を探し歩く敵討ではない。所在ははっきりしているし、ひとりではなく徒党を組めるのである。そうして、生涯縁なしとあきらめていた「合戦」ができるのである。

 と、あります。確かに、大石内蔵助はヒーローですし、討ち入りに参加していない人たちは悪役として描かれたりしています。その当時も「元赤穂藩士」ということがバレると、卑怯者や裏切り者など、世間に白い目で見られたりすることが多かったようです。でも、それっておかしいと思うんですよね。当事者じゃないのに、どうして非難できるんだろうか。しかも、元禄14年頃の将軍は徳川綱吉で、「生類憐みの令」の真っ最中なんですよね。相当、当時の人たちの苛立ちが募っていた。幕府に抗議するという一面もある、討ち入りを心待ちにしてたみたいで、世間の鬱憤やイライラが「義士」という像を生み出してしまったのではないかと思うんです。 

 泉岳寺に御参りに行ったときに、「忠臣蔵」にめちゃくちゃ詳しい方と出会い、その方に色々お話しを聞いていて、一番ハッとしたのは、この討ち入りの計画を赤穂藩士たちは一人も一切口にしなかったことなんです。赤穂藩士は300人あまりいて、討ち入りに参加したのはたった47人なんですね。討ち入りに参加しなかったのに、誰も口外しなかった。だって、討ち入りするよって幕府側や吉良側に情報提供すれば、きっと大金が貰えたりするわけじゃないですか。だけど、自分の利益のためにそうする人はいなかった。それって本当に本当にすごいことじゃないですか。特に今の時代の流れを見ているとそう感じます。信頼関係が成り立ってないとそんなこと絶対に出来ないですよね。 

 「忠臣蔵」という話自体面白いので、良かったら文楽、歌舞伎、講談、映画、ドラマなどで観てみてください。赤穂浪士の一人一人に色んなエピソードがあって、とても面白いです。私は文楽での『仮名手本忠臣蔵』が好きです。人形と義太夫さんの声と三味線にめちゃくちゃ感動させられました。私はおかるさんの鏡の話が好きです。通し狂言で観たんですけど、すごい良かったです。

 もうすぐ2020年も終わります。つらいこともありましたが、おかげ様で今年も楽しく過ごすことができました。来年もどうぞ宜しくお願い致します。 

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