このところ、仕事でばたばたと過ごしていたら、ホンシェルジュも残り2回ということになってしまった。そういえば、シン・エヴァンゲリオン観ました。 いろんなことを考えました。プロフェッショナルも観ました。すごかった。
先日の打ち合わせで、ちょうど「3月11日は何をしていましたか?」という話になった。ただの日付でしかない3月11日を、わたしたちは生まれた年齢の回数分経験してきたのに、思い浮かぶのはあの年のあの1日だ。
10年前のあの前の日、私は舞台の引換券と新幹線のチケットを握りしめて、一人池袋に立っていた。その日は平日だったんだけど、通っていた高校の入試があり、在校生は休みになっていた。
「この日しかないんだ!しかも高校生割引で千円で観れるんだ!」と母と父に直談判して、ミーハーな三重の片田舎の高校生は晴れて、一人で華の東京にお芝居を観に行けることとなった。しかも、一泊二日で。他の家は分からないけど、私の家はめちゃくちゃ厳しくて、中学時代は友達と隣の市に行くだけでも大ごとになっていた。初めて一人で東京へ行けることが嬉しくて、わくわくした。
とりあえず、記念に池袋のゲーセンで一人でプリクラを撮った。
それから、駅員さんに道を尋ねるってことがしてみたくて、無意味に「劇場はどこですか?」と尋ねたりもした。魔女の宅急便のキキになったような気持ちだった。
きっと大したことではないんだけど、私にとって一人で劇場に行くということはとても非現実的で、特別なことで、今までずっと家と高校の往復しかない毎日を過ごしてきたし、情報と言ったらテレビの中にしかなくて、だから一人で図書室で黙々と読んでいた野田秀樹さんの舞台が観られることは本当に嬉しかった。整理番号も覚えている。1214だ。私の誕生日は12月15日だったから、その数字に近くて、近いことも奇跡だと思った。
初めての東京芸術劇場は天井が透明のガラスになっているから宝石箱みたいにキラキラしていた。夜公演だったこともあって(夜に舞台を観るなんて!しかも一人で!大人になったみたいだ!!)、空は暗くなっていくのに劇場は光に包まれていて、劇場だけ異世界の建物みたいだった。
上演の一時間以上前に着いた。(一応、ホテルにはチェックインしていたけど、楽しみすぎて耐えられませんでした。待てなかったです。) 劇場の扉が開いて、ロビーに入って、赤い絨毯を目にして、それからオリビア・ニュートンジョンの「Take me home, country roads」が聴こえた。お芝居が始まるまで流れていた。(この曲名も後から調べて特定しました。)少ないお小遣いで戯曲とパンフレットを買った。
劇場が真っ暗になり、舞台が始まった。あの暗さって本当に真っ暗でビビる。夜より暗い。そして、灯りがつき、さっきまで誰もいなかった舞台上に人が立っていて、言葉を発した。それだけで私はめちゃくちゃ感動してしまって、二階席の一番前の席だったのに前のめりで観ていたから何回も劇場のスタッフさんに注意された。今観たら、また別の気持ちになるのかもしれないけど、10年前の私は目の前で起こること全てに感動していたし、瞬きもしたくなかったし、今もあの舞台の台詞が空で言える。あの舞台にはたくさんの人たちが出ていて、舞台じゃないところで一人一人生活や色んな気持ちを持っているはずなのに、あの舞台上ではその世界の人、その世界の一部になっていて、私はそれに強く、強く、心を惹かれた。舞台の終盤では「終わるな!終わるな!」と祈った。永遠に続けばいいのに、と思った。
このお芝居を観てから、私は演劇の人になりたいと思った。演劇に携われるならなんでも良かった。どの仕事でも役職でもやりたいと思った。
そして、次の日、震災が起こった。私は家に帰る新幹線の中だった。結構、揺れた。もうすぐで発車するところだったから、車両の連結かな?と思ったけど、どうやら違うようだ。降りてと言われて、降りた。東京駅で一人で新幹線が動き出すのを待った。駅のモニターに、津波が映っていて、見ていた大人たちが唖然としていた。5時間くらい待って、ようやく動き出すことになった。ぎゅーぎゅーで満員電車みたいだった。ゆっくりと走った。三重に帰ってこれたのは夜中で、静かで冷たくて暗かった。三重はほとんど揺れなかったとお父さんが教えてくれた。それから3日間くらい学校が休みになった。
この10年で色んなことがあった。27歳という年齢になって無意識のうちに責任を感じ始めるようになったのかなんなのか分からないけど、もっと何かの恩返しになることがやりたい。先輩たちは背中も見えないような遠くでずっと走り続けているし、私はずっとぼんやりしている気がする。今までの10年は憧れの人たちと一緒に作品を作れて幸せ!演劇、面白い!楽しい!ばかりを考えてきたけど、これからの10年はもっと深いところで寄り添っていきたい、強くなりたい。たとえば、この文章だって何のために書いているのか、書くことによって誰かを一瞬でも救えたりするのか、何のために存在していてどう生きていけばいいのか。年々、自分の無力さに打ち拉がれる。ままならなさに、喰いしばりすぎて、歯がとれる夢を何度も見る。
- 著者
- 柴崎 友香
- 出版日
私たちは日々を過ごしているわけだけど、忘れてしまった日もあって、その忘れたことさえ忘れたような時間、他の人には共有できない時間をこの「百年と一日」では描いている。
30篇の短編で構成され、タイトルが物語を説明している。この一つ一つのタイトルの付け方がすごい。情報が多いのに、余白を感じる。「一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話」とかとか。
日常の解析度というか、解像度がめちゃくちゃ高く、圧倒されて、一作ずつ本の中の人の一生を体験しているような気がして、一つ読み終わるごとに、部屋の窓から景色を眺めて、ボーッとした。 たぶん、神さまとかっていう存在がいたとしたら日々退屈紛れに、人間の思考だったり、行動だったりを時間を早送りにさせたり、ランダムに止めて拡大してみたり、人はなく、物や場所を追ってみたり、こんな風に再生するんじゃないかなぁと思う。
淡々と日常が描かれているので、そのシンプルさにどこか懐かしさを覚える。特に、私が地方出身だからかもしれないけど、「小さな駅の近くの小さな家の前で、学校をさぼった中学生が三人、駅のほうを眺めていて、十年が経った」に描かれている大きな街への憧れとか、そこに行けば何かが変わるような気がする希望を、私も中学生のときに持っていた。その漠然とした気持ちを思い出した。 描かれている世界は、日本の大阪かな?と思うような場所もあれば、どこかの国の知らない田舎町だったり、時間は現在から戦争の時代の話まである。
他の人が過ごした何気ない時間を愛おしいと思うと同時に、自分が過ごしてきた時間が肯定されている気もする。自分で選んだ時間だったり、言葉だったり、行動に罪悪感を感じて、「私って本当にだめじゃん!!」と、自分の行動を自分で裁く自分裁判をよくやるんだけど、その有罪の判決を下した事柄たちも、この本を読んだ後では、「そんなに責めなくてもいいことなのかもしれない…」と許してあげたくなった。
「二人は毎月名画座に通い、映画館に行く前には必ず近くのラーメン屋でラーメンと餃子とチャーハンを食べ、あるとき映画の中に一人とそっくりな人物が映っているのを観た」 、「たまたま降りた駅で引っ越し先を決め、商店街の酒屋で働き、配達先の女と知り合い、女がいなくなって引っ越し、別の町に住み着いた男の話」 、「地下街にはたいてい噴水が数多くあり、その地下の噴水広場は待ち合わせ場所で、何十年前も、数年後も、誰かが誰かを待っていた」 、「解体する建物の奥に何十年も手つかずのままの部屋があり、そこに残されていた誰かの原稿を売りに行ったが金にはならなかった」
この4作が特にお気に入りだった。人と共有できない風景を持っていて。
自分だけにしか見えないものって他人からしたらどうでもいいことだったり雑に扱われたりするんだけど、そういう無慈悲さって結構大事なんじゃないかな。他の人からしたら、全然わからないことって、本当に私だけのものになったような気がしませんか。
今は携帯で、木洩れ日や街で見かけた可笑しなものを写真に撮って、人に見せたり、共有したりすることができるし、また他の人の経験した風景や感情を文字で追体験して共有させてもらったりできる。それの素晴らしさって確かにあるんだけど、誰にも見せたことのない宝物や風景を自分だけの部屋で自分にしか分からない言葉を使って、うっとり眺めていてもいいんじゃないのかなとも思う。