5分でわかる井上馨の功績!条約改正や鹿鳴館建設、渋沢栄一とのエピソードなど

更新:2021.12.12

勝海舟から「伊藤博文など遠く及ばない」と評価した井上馨。短気な性格で「雷親父」とも呼ばれていたそうですが、一体どんな人生を送ったのでしょうか。この記事では、条約改正や鹿鳴館の建設、右腕と呼ばれた渋沢栄一とのエピソードなど彼の功績をわかりやすく解説していきます。またおすすめの本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。

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井上馨はどんな人?長州藩士時代は攘夷派から開国派へ

井上馨の生い立ち

1836年1月16日、現在の山口市湯田温泉にあたる周防国吉敷郡湯田村で生まれた井上馨。幼名は勇吉といいます。父親は100石取りの長州藩士、井上光亨。井上家は毛利元就以前から毛利家に代々仕えてきた名門で、井上馨は1855年には同じく名門の志道氏の養嗣子となりました。

1851年には兄の井上光遠とともに藩校「明倫館」に入学。1860年、藩主である毛利敬親の小姓に取り立てられ、一を聞いて多くを知る利発さから「聞多(ぶんた)」という通称を与えられてます。

攘夷派

1862年、藩命を受けた井上馨は、横浜のジャーディン・マセソン商会から商船「壬戌丸」を購入するなど、外国人との交渉に従事します。しかし彼自身は徐々に尊王攘夷論に傾倒していきました。

松下村塾門下の高杉晋作、久坂玄瑞らが中心となった尊王攘夷結社「御楯組」に加わり、1863年1月31日、江戸で建設中だったイギリス公使館の襲撃に参加。井上は火付け役を担い、完成していれば江戸で最初の洋館建築となっていたはずの建物を全焼させています。

開国派へ転向した井上馨

イギリス公使館襲撃の後、井上馨は長州藩の執政だった周布政之助を通じてイギリスへの留学を嘆願。駐日イギリス公使エイベル・ガウワーやジャーディン・マセソン商会のウィリアム・ケズウィック、武器商人のトーマス・ブレーク・グラバーなどの協力を得て、伊藤博文や山尾庸三、井上勝、遠藤謹助とともにイギリスに渡り、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンなどで学びました。

ちなみに井上馨は後に「外交の父」と呼ばれるようになりますが、伊藤博文は「内閣の父」、山尾庸三は「工学の父」、井上勝は「鉄道の父」、遠藤謹助は「造幣の父」と呼ばれるようになり、彼ら5人を「長州五傑」または「長州ファイブ」といいます。

ヨーロッパの進んだ技術や文明を目の当たりにした井上馨は、攘夷論の無謀さを悟り、開国派に転向。1864年に「下関戦争」が勃発すると、伊藤とともに急遽帰国し、和平交渉に尽力しました。

井上馨と母の力

「第一次長州征伐」で幕府に対する「武備恭順」を唱えた井上馨。保守佐幕派の椋梨藤太が率いる俗論党の襲撃を受けます。「祇園一の美貌」といわれる芸妓の中西君尾から身代わりとして渡されていた鏡を懐中に忍ばせていたお陰で死は免れたものの、瀕死の重傷を負い、兄の光遠に介錯を頼みました。

しかしこの時、母親が血だらけの井上を抱き、兄に介錯を思い止まらせたといわれています。このエピソードは「母の力」と呼ばれ、戦前の国語の教科書に掲載されていました。

明治維新へ

命は取り留めたものの、藩政を掌握した俗論党によって井上馨は謹慎を余儀なくされました。しかし1865年1月、高杉晋作が奇兵隊を率いて反乱を起こすと、それに呼応。再び藩政を開国攘夷にまとめていきます。

その後、坂本龍馬の仲介で薩長が締結した「薩長同盟」に関わり、「第二次長州征伐」では「芸州口の戦い」で幕府軍に勝利。1867年の明治維新後は、新政府から参与兼外国事務掛に任命されました。九州鎮撫総督だった澤宣嘉の参謀として赴任した長崎では、隠れキリシタンを大量に摘発した「浦上四番崩れ」にも関わっています。

井上馨が明治政府時代にやったこと。大蔵省時代の政策を紹介

大蔵省の「今清盛」

明治時代初期、井上馨は長崎府判事や造幣局知事を担当します。1869年に起こった奇兵隊脱隊騒動の鎮圧にも関わりました。

その後、同じ長州藩出身の木戸孝允の引き立てで大蔵省に入ります。伊藤博文らとともに財政に注力し、1871年には廃藩置県について話し合う秘密会議にも参加し、現在の副大臣に相当する大蔵大輔にまで出世しました。大蔵卿の大久保利通が岩倉遣欧使節団として日本を留守にしている間は、事実上の大蔵省長官として権勢を振るいます。

政界を引退

当時の大蔵省は、民部省を内包する巨大な組織で、財政だけではなく地方行政に対しても大きな影響力がありました。

しかし、秩禄処分にともなう武士への補償として計画していたアメリカでの外債募集はうまくいかず、大久保利通とともに進めていた田畑永代売買禁止令や地租改正も実現できていない段階。この状況では緊縮財政をとらざるを得ず、先進的な学制の構築を目指した文部卿の大木喬任や、先駆的な司法制度の確立を求める司法卿の江藤新平など実力者との対立を招くことになります。

1873年に「尾去沢銅山汚職事件」が起こると、これを追求した江藤新平は井上馨の逮捕を主張。大久保利通などの庇護で逮捕は免れたものの、井上は大蔵大輔を辞し、政界を引退することを余儀なくされました。

井上馨の政界復帰後の功績は?不平等条約改正や鹿鳴館建設など

政界復帰

政界を引退した後の井上馨は、三井物産の前身企業を設立するなど実業界で活動していました。

しかし「佐賀の乱」を起こした江藤新平が亡くなると、伊藤博文から説得されて政界に復帰。1875年には、大久保利通、木戸孝允、板垣退助らが一堂に会し、今後の政府の方針を協議した「大阪会議」を実現させます。

1876年には正使の黒田清隆とともに副使として朝鮮に渡り、「日朝修好条規」を締結。6月には妻の武子と養女の末子を伴って、欧米列強の経済を学ぶためにアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスを歴訪しました。

しかしこの間に日本国内では木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通ら「維新三傑」と呼ばれた人々が相次いで死去。暗殺された大久保に代わって伊藤が政権を握ると呼び戻され、参議兼工部卿、次いで外務卿になりました。そして1885年、伊藤が初代内閣総理大臣になると、引き続き外務大臣に任命されます。

不平等条約改正と鹿鳴館建設

外務卿、外務大臣として井上馨が注力したのが不平等条約の改正です。そのために欧化政策を推進。帝国ホテルや鹿鳴館の建設に尽力しました。鹿鳴館は国賓や海外の外交官を接待する社交場として、イギリスの建築家ジョサイア・コンドルの設計で建てられた西洋館です。鹿鳴館では舞踏会などが頻繁に開かれ、「鹿鳴館時代」「鹿鳴館外交」などの言葉も生まれました。

しかし外国人司法官任用問題をめぐる反対によって、不平等条約の改正は頓挫。改正交渉延期を発表した後、外務大臣も辞任しました。

その後の井上馨

黒田内閣で農商務大臣として政界に再復帰した井上馨は第2次伊藤内閣で内務大臣、総理臨時代理、第3次伊藤内閣では大蔵大臣などを歴任します。また、晩年の1901年には井上自身が大命降下を受けて組閣作業に入りました。しかしこの時は、渋沢栄一に大蔵大臣就任を断られ断念しています。

また井上は、死の間際まで元老に名を連ね、内閣総理大臣の推薦に関わるなど明治から大正にかけて大きな足跡を残しました。井上が亡くなったのは1915年9月1日。79歳でした。

井上馨の性格がわかるエピソードを紹介!伊藤博文や渋沢栄一との関係は

井上馨の性格

井上馨の性格は、短気だったといわれています。すぐに怒声をあげるため「雷親父」というあだ名で呼ばれていました。しかし腹心だった渋沢栄一には絶大な信頼を寄せていたとされ、傍に渋沢が居る時は怒らなかったといわれています。そのため渋沢は「避雷針」と呼ばれていたんだとか。

ただ渋沢栄一自身は、周辺からのどんな攻撃も井上が身を挺して受け止めてくれたと語り、「井上氏こそが避雷針」だったと述懐しています。

また伊藤博文との関係について、大隈重信は「井上は伊藤の兄貴分」だったとし、「功名心に淡泊で名などにはあまり頓着せず、あまり表面に現れない」という性格から、伊藤から頼まれると割の悪い役目でも引き受け、伊藤に代わって「世間の悪評を招いた」事も多々あったと語っていました。

勝海舟も井上と伊藤を比較し、「伊藤などはとても及ばない」と書き残しています。

井上馨に関するおすすめ本を紹介!

著者
堀 雅昭
出版日

井上馨は「今清盛」と呼ばれ権勢を振るいながら汚職事件で失職してしまった大蔵省時代や、西洋の猿真似と揶揄された「鹿鳴館時代」などのイメージが強いのではないでしょうか。

しかし「長州ファイブ」のひとりとして欧州に渡り、先進的な文明を目にして開国派に転じるなど、「聞多」という通称に恥じない、新しい知識を貪欲に吸収する姿は驚異的です。

本書はそんな井上馨の生涯に焦点を当て、膨大な資料や縁者の証言を集めて構成されている本格的な評伝です。読めば井上馨の凄さを実感できる、おすすめの一冊です。

著者
久保田 哲
出版日

明治維新から約10年。議会開設、憲法制定、貨幣制度など国家の根本を形作る課題を残したまま、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通ら「維新第一世代の巨魁」が相次いで亡くなってしまいます。

後に残された維新第二世代の中心人物たち、伊藤博文や大隈重信、黒田清隆は、さまざまな思惑のなかで主導権をめぐり、権力闘争をくり広げました。その渦中に井上馨もいて、最終的には「明治十四年の政変」で伊藤博文が政権を掌握しました。しかし「明治十四年の政変」には大きな謎が幾つも残っていて、井上こそが政変の黒幕ではないかという噂もあります。

本書では近現代の日本政治史を専門の政治学者が、これらの謎に迫っています。権謀術数渦巻く政治の世界。謎に迫るほどに手に汗握る展開が待っています。

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