ぐさりと自分を見透かされたような文章
私は佐野洋子さんのエッセイをとても信用しています。
佐野洋子さんが書いた本なのだから絶対に面白いと思って本を買うし、その中にはちょうど自分の身の上で起こっていることに重なる体験がかならずあるという気持ちで表紙を開く、すると大体それは1ページ目に現れるのです。
“若いということは、とにかく自分のことだけしか考えないということに尽きる。私は自分に絶望したり、あてのない希望を持ったりのくり返しの若さを夢中で生きていた。その夢中の中に、家庭も子供もなかった”(本文より)
そしてすぐに表紙を閉じてしまう。そのぐさりと自分を見透かされたような文章を反芻するのです。
絶対面白いから読んでみてほしい。
うまく説明できない気持ちを明らかにしてくれる
“なぜ書くのか、あなたの文学に対する姿勢を問う、などといわれるのはほんとうにふいうちだ。訊かれただけで責められている気がする事柄というのがあって、なんにも悪いことをしていないのにいたずらに動揺させられる”(本文より)
普段感じてはいるけれどうまく説明できない気持ちの詳細を、江國香織さんの文章が明らかにしてくれる。読んで少し安心する。
そしてこういう安心があってこそ、その先に進むことが出来るとよく思うことがある。誰も分かってくれないなんて感じた時は本を読んでみてもいいと思う。
意外とみんな同じことを感じていたりするんだなって思う。
「メルヘン翁」の衝撃
私がこの本を初めて読んだのは小学生のころだったんですが、当時この本の中の「メルヘン翁」というエッセイに衝撃を受けたのを覚えています。
なぜメルヘンなのかと言うと、棺桶の中でほっかむりをして、体をS字にくねらせ頬に手を重ねている格好だったからなのですが、お爺さんの往生について書いてあります。
人の死についてユーモアを交えながら書かれたものを読んだりしたのはおそらく小学生のその時が初めてで、それまで人の死の周辺には悲しみしかないのだと思っていたから、それ故の衝撃だったのだと思います。
私は今でもたまに、メルヘン翁という言葉を思い出します。
他の章も、些細なことを面白おかしく書いていて楽しいエッセイです。