人気お笑いコンビ・ハライチ。 しゃべりが達者でツッコミの澤部佑「じゃない方」の相方・岩井勇気さんのエッセイは、とにかくゆるくて、そして私たちの日常に寄り添っています。 毎日のままならなさ、波乱万丈な人生ではないことへのもどかしさ、起きる出来事の平凡さに頭を悩ませつつも彼は日々を生きているのです
- 著者
- 岩井 勇気
- 出版日
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- 岩井 勇気
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「俺はお前らの思っている詩的な文系芸人じゃないんだよ!」
(「僕の人生には事件が起きない」より引用)
そんな叫びで幕を開けるハライチ・岩井勇気さんのエッセイは、確かに文学的要素や自己啓発的な要素は一切ありません。
ピースの又吉直樹さんが芥川賞を受賞し、EXITの兼近大樹さんが初の小説を出版したように、「芸人に文章を書かせるとおもしろい」という風が出版業界に吹いているのでしょうか。しかし、当の芸人たちはどう思っているかというと、意外と岩井さんのように「俺に文章を書かせても......」と文章を書くこと自体をネガティブにとらえている芸人がいてもおかしくありません。しかも、文章力云々よりも芸人ならばどちらかと言えばエピソードの濃さに重きを置きたくなるものでしょう。
岩井さんは自分を「詩的な文系芸人ではない」と冒頭で断っているためか、2冊のエッセイに書かれたエピソードは薄くもなければ濃くもありません。日常の風景を上手く切り取って文章にしています。そこに過度な装飾や脚色を一切感じられないため、等身大のハライチ・岩井勇気がそこにいるのです。
例えば、「組み立て式の棚からの精神攻撃」という、一見「どういうこと?」と思うようなタイトル。これはだれもが陥る「通販で棚を買ったはいいが、説明書が不親切である上に部品が1つ足りない気がする」という状況を克明に書いたエピソードなのです。
それを彼の場合、パーセンテージで組み立てるまでのやる気を表すことにより「あぁ、そうそう。組み立て式って結局めんどうなんだよね」と簡単に共感をさせることができてしまうのです。
「だが、わかるだろうか?こんな部品の多い家具を組み立てる際の、組み立て0パーセントから1パーセントに持っていく大変さが。」
(「僕の人生には事件が起きない」より引用)
家具を組み立てようと思った人にしか分からない悲哀が書かれています。
芸人と言えば日常までおもしろおかしいと思われがちですが、毎日はそこまでドラマの連続ではありません。なんなら、「朝起きて、仕事して、今日もそれだけだった」という、私たち読者とおなじ生活を芸人も送っていることでしょう。しかし、たとえドラマティックではない日常を過ごしたとしても視点の切り替えで毎日はおもしろくなることを岩井は分かっていると思うのです。
その証拠に、彼はタイトルで「僕の人生には事件は起きない」と言っておきながら、日々のささいな出来事を立派なエピソードに変えています。
どのエピソードもあまりにも普通がゆえにクスっとくるのですが、私が特に気に入っている1つをご紹介します。それは友人(と言えるか判別が難しいライン)の誕生日パーティに誘われたエピソードです。
ある時、岩井さんの携帯に「私の誕生日カウントダウンパーティをするのでぜひ!」というようなメールが届きます。その時点で岩井は戸惑っていました。そのメールを送ってきた女性は何年も前に連絡を取ったきりで、遊んだこともないそう。
なぜ自分が呼ばれたのか分かりませんし、何より、
「自分の誕生日パーティに自ら誘うというはすごい。お祝いといのは基本的に、祝う側に「祝いたい」という気持ちがあって成立するものだ。(...)「祝いたい」という気持ちがないかもしれない人に強制的に祝わせて、嬉しいと思える。それがすごい」
(「僕の人生には事件が起きない」より引用)
という気持ちになるのです。
彼は戸惑いの気持ちと同時に湧いてきた怒りをプレゼント込めようと、なんと自分で描いた魚の絵を贈ることにしたのです。なぜこのエピソードのタイトルが「空虚な誕生日パーティ会場に"魚雷"を落とす」なのかがここで分かります。見事な伏線回収です。
当日になり、岩井さんは自らが描いた魚の絵を額縁に入れて包み、会場へと向かいました。浮かれる会場内で1人ハイボールをたしなみつつ、カウントダウンを待ちます。「だれの友人だろう?」と突き刺さる視線が、読んでいるとなんともいたたまれないです。岩井さんは気にしている様子はありませんが、よほど芯の強い人でないと立ち去りたくなってしまうほどの盛り上がりを会場は見せているのです。
やがて時計が12時を回り、主役が大きなケーキのろうそくの火を吹き消します。そして岩井さんは主役にプレゼントを渡しました。自らが描いた魚の絵を。
その様子はこう綴られています。
「その場は一瞬で凍りついた。誰もがリアクションを取れず、絶句していた。そして、喋り出すきっかけを誰もが見つけられず、沈黙は続いた。これこそ僕が作り出したかった空気。普通の誕生日パーティで流れることのない時間。空白のプレゼントである。僕は心の中で歓喜した。」
(「僕の人生には事件が起きない」より引用)
彼の落とした「自作の絵をプレゼントする」という魚雷は、見事に会場で爆発しました。その満足気な様子といい、自作の絵をプレゼントする度胸といい、「岩井勇気」という人間はここまで自分に毎日を愉快にする天才なのか!と感心します。
もちろん、岩井さんと同じような奇をてらった行動を取ることができる人は少ないかもしれません。しかし、このエピソードから見えるのは「自分次第で戸惑いも怒りも昇華できる」ということではないでしょうか。
加えて、岩井さんの行動は空気の読めない行動ではありません。誘いを断らず、テレビに出ている芸能人だからといって気取らず、友人と呼んでいいのかも分からない人の誕生日パーティに出席しているわけです。戸惑いと腹立たしい気持ちもどこかにぶつけてもいいはずです。その結果が「自作の絵を贈る」という魚雷でした。気持ちの昇華としては最高に愉快でスカッとします。それは読者側も同じ気持ちだと思うのです。
個人的な印象になってしまいますが、「ハライチの澤部」というとバラエティ番組でよく無茶ぶりをされているという印象が強いです。しかしどんな無茶ぶりにもおもしろく切り返しているという印象も同じように強く残っています。
そんな澤部の秘密を岩井さんがこのエッセイで語っています。
澤部さんは小学校のころからおもしろいことを言うことに長けていたのらしいですが、それは深夜に放送されていたラジオの内容を自分の中にインプットし、クラスでアウトプットしていただけ、らしいのです。
つまり、澤部さん自身が何かオリジナルのおもしろい要素を持っているわけではなく、様々なおもしろい話し方だったり、世間的におもしろいと思えるものをすべて吸収して「ハライチ・澤部佑」が出来上がっているということなのです。
それができる理由を、岩井さんは澤部さんが「無」の人間だからだと言っています。
空っぽの「澤部佑」という人間の中に他の番組で得た印象の良さや鉄板のフレーズなどを、澤部さんはどんどん取り込んでいき、バラエティ番組には欠かせない人間になっているということです。
「自分を押し通すということは不便なものであって、それを全くしない澤部は毎回、平均点以上を叩き出し、総合点で1位をとるのだ。最強のバラエティ芸人である」
(「僕の人生には事件が起きない」より引用)
岩井さんはそれが澤部さんの最大の強みになっていると思っているので、「無」の人間である澤部さんを決して否定をしません。
岩井さん自身はバラエティ番組で重宝される澤部さんとは別のこと、つまり澤部さんにはない部分のハライチを出そうとしているそうです。そのバランスが、人気芸人コンビであり続ける理由なのかもしれません。
コンビの人気芸人には必ず「じゃない方」と呼ばれる相方がいます。このエッセイは片方があまりにも人気なばかりに存在を忘れられがちな「じゃない方」の主張であり、そして「澤部じゃない方」と呼ばれることに対する岩井さんの小さな抵抗でもあるのかもしれません。
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- 岩井 勇気
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