ソクラテスが登場するプラトンの対話篇などを読むと、ソクラテスは「つかみどころがない人物」という印象を受けます。難しい言葉は使われないため分かりやすいのですが、ソクラテスは議論する相手の主張をただ否定するだけなのです。読み終わった後には「結局なにが言いたかったのか?」という思いを、毎回抱いてしまいます。 古代ギリシアの伝統を破壊し、プラトンの登場を準備したソクラテス。まさに西洋哲学史の礎を築いた人物です。 なぜソクラテスは、否定を繰り返す議論に終始したのか? 今回はこの疑問に迫るため、ソクラテスが生きたアテナイの歴史を中心に見ていきます。 そこから、ソクラテスの隠れた意図について考えたいと思います。
ペルシア戦争が集結した10年後、ソクラテスはアテナイに生まれます。紀元前469年頃です。ソクラテスの生きたアテナイは、戦争が続いた激動の時代です。
ソクラテスが生まれる半世紀前、ペルシア戦争が起き、 ギリシア世界はアケメネス朝ペルシアの侵攻を受けました。普段のギリシア世界は ポリス間で戦争を繰り広げていましたが、ペルシアに対抗するためにポリス同士が一致団結します。
ペルシアの撃退に成功すると、ギリシア世界は「デロス同盟」を結成します。 再度ペルシアが攻めてきた場合に備えるためです。
デロス同盟のリーダーとなったアテナイですが、同盟に加入するポリスから集めた資金を悪用。戦争とは全く無縁のパルテノン神殿などを勝手に作ってしまいます。またアテナイは自らの政治システムである「民主政」を他のポリスに強要するなど、横暴な態度を取るようになります。
アテナイは徐々に帝国主義的になっていくのです。
こうしたアテナイに反発したのがスパルタです。アテナイの横暴に嫌気がさし、スパルタに呼応するポリスも現れます。
両者(アテナイとスパルタ)の政治体制は対照的です。スパルタは少数の貴族による合議制を採り、独裁(寡頭)色が強い政治体制になります。一方、アテナイは市民全員が政治参加する直接民主政を敷いています。
この時期から「アテナイ(民主政)VSスパルタ(独裁制)」という、はっきりとした対立構造が出来上がりました。
このような流れの中で、ギリシア世界の全てのポリスが、アテナイ派とスパルタ派に分かれて戦うことになります。これが「ペロポネソス戦争」です。
当時のアテナイはペリクレスという天才によって、なんとか維持されていた状態でした。
ペリクレスの死後、アテナイは一気に衆愚政治化し、没落に突き進んでいくことになります。アテナイの未来が大きな岐路に立たされた時に、ソクラテスは歴史の表舞台に現れることになります。
ソクラテスは衆愚政治を繰り返すアテナイ政権への批判を繰り返します。政治家やソフィストに議論を持ちかけては、次々と論破していきます。こうしたソクラテスの姿に、アテナイの政治に絶望していた若者が熱狂。多くの若者がソクラテスに弟子入りを志願します。その中にはプラトンもいました。
しかしソクラテスは、弟子たちに講義をするわけではなく、アテナイの街をひたすら彷徨う日々を繰り返します。ホームレスなど、様々な人々に声をかけて議論をしているだけです。
ソクラテスの元に集まった弟子たちは、仲間同士でアテナイの未来について議論するようになります。アテナイの民主政とスパルタの寡頭制について、弟子たちの間では激しい議論が交わされます。また弟子たちの中には寡頭制に憧れ、スパルタに亡命する者も現れました。
紀元前404年、アテナイはペロポネソス戦争に敗北することになります。それからまもなくして、ソクラテスはアテナイ市民から告発され、裁判にかけられてしまうのです。その理由は大きく2つあります。
ペロポネソス戦争の途中、最高司令官に就任したのは、ソクラテスの弟子であるアルキビアデースという人物です。さわやかなイケメンと持ち前の演説力を備えていた、と言われています。しかし人間としては…。
スパルタとの休戦期間中、アルキビアデースは約束を破り、スパルタの補給基地を襲撃する暴挙に出ます。しかし、結果は失敗。そして、こともあろうにスパルタに亡命し、アテナイに勝利するための秘策を次々と教えるのです。
アルキビアデースの裏切りによって、ペロポネソス戦争の形勢はスパルタ優位に。アテナイが敗北するきっかけになりました。
そしてアルキビアデースはスパルタ王の妻と不倫。スパルタにもいられなくなりペルシアに亡命するという、破天荒な人生を送ります。結局はスパルタの刺客によって、暗殺されてしまいました。
敗戦後のアテナイはスパルタ占領軍の管理下に置かれました。その中で30人程のメンバーが選ばれ「30人政権(トリアコンタ)」と呼ばれる、新憲法制定委員会のようなグループが作られました。
なんとそのメンバーの中に、寡頭制に憧れてスパルタに亡命したソクラテスの弟子たちが含まれていたのです。過去の日本でいうと、共産主義者が含まれていたGHQメンバーと同じような状況です。
そしてかつての弟子たちは、アテナイの民主派を徹底的に弾圧するなど、過激な行動を取ります。民主派も反抗をしたため、アテナイの中で内紛が起きてしまうことに…。30年間続いたペロポネソス戦争より、1年間だけの内紛で発生した犠牲者の方が多かった、という悲しい結末が伝えられています。
上記の内容から、ソクラテスは裁判にかけられてしまいました。「国家が認める神々を認めず、新しい鬼神の祭りを導入し、かつ青年に害悪を及ぼす」という罪で告発されます。裁判では、ソクラテスは一貫して無実を主張します。
弟子たちは「隣国に逃亡しましょう」と必死で説得します。しかしソクラテスは「悪法もまた法なり」と言い、弟子たちの提案を固辞。自ら毒をあおり、死亡しました。
当時のアテナイ市民は、ソクラテスのことを「エイロネイヤー」と呼んでいました。直訳すると「皮肉屋」になり、現代でも「アイロニー(皮肉)」という意味で使われています。
しかしソクラテスのアイロニーはちょっと違います。
普通の人であれば自分の言いたいことが本心としてあり、自分の意見を強調する目的があるため、皮肉を言います。
ソクラテスの場合は、自分の主張がそもそもないため、永遠に否定を繰り返すのです。実存哲学で有名なキルケゴールは「無限否定」という表現をしています。
ソクラテスは歴史上、稀有な存在です。同時代に活躍した孔子とは違い、自身が持つ理論や教訓を一切主張しませんでした。
ただソクラテスの念頭に置いていたのは「ソクラテス以前の哲学」を否定することだったと思われます。
ソクラテス以前の哲学者は『自然について』という題名で書物を残しています。彼らは「存在の根源(アルケー)」を探し求めました。「アルケーは水である」としたタレースや「(アルケーは)火である」と主張したヘラクレイトスなどが有名です。彼らに共通しているのは「存在の根源」を「自然(フュシス)」に求めていた点です。
全ての存在は自然からもたらされる。人間は自然の秩序(ロゴス)に従って生きるべきだ。
ソクラテス以前の哲学者は、自然を基礎とする存在論を構想しました。
しかしこの存在論ですと、政治を含めてすべてを自然に委ねる「なりゆき任せ」の生き方を肯定することにも繋がってしまいます。
「古代ギリシアの伝統である“なりゆき任せ”の存在論が、衆愚政治の原因でありアテナイが没落する元凶である」
このように考えたソクラテスは、古代ギリシアの伝統的存在論を否定したかったのではないか? このソクラテスの意図は、プラトンの作品から随所に感じることができます。、
ここまでの内容をまとめてみます。
・ソクラテスは古代ギリシアの頽廃期を生きた。
・アテナイはデロス同盟の盟主となり、その地位を悪用。他のポリスに政治的、経済的な圧力を加えた。
・アテナイの横暴な態度にスパルタなどが反発した結果、ペロポネソス戦争が勃発。
・衆愚政治が蔓延し、アテナイの民主政が大きな岐路に立っていた時期に、ソクラテスは登場する。アテナイ政権への批判を繰り返したため、多くの若者がソクラテスを支持、弟子になった。
・ペロポネソス戦争に敗れたアテナイは、戦争責任をソクラテスに押し付ける。
・裁判にかけられたソクラテスは、自ら毒をあおり死亡する。
・「ソクラテス以前の哲学者」による存在論を否定する意図がソクラテスにあったことが、プラトンの作品から推測できる。
ソクラテスの生きた時代は「古代ギリシア」から「ヘレニズム」時代に移る転換期になります。ヘレニズムとは、マケドニアのアレクサンドロス大王が活躍した時代になります。まさに既存の価値観が次々と破壊されていた時代でもあったのです。
ソクラテスは、新しい時代に向けた「破壊者」という表現が適しています。「スクラップ&ビルド」で例えるならば、スクラップ役がソクラテスで、ビルド役がプラトンです。
ソクラテスによってまっさらな更地になった上に、新しい哲学的存在論(イデア論)を構築したのがプラトンになります。その準備を整えたのが、ソクラテスなのです。
(参考文献)
プラトン(2013)『これならわかるソクラテスの言葉 』(新國 稔秧訳)せせらぎ出版
- 著者
- ["プラトン", "新國 稔秧"]
- 出版日
『ソクラテスの弁明』と『クリトン』を現代語訳にした書籍になります。あまりにも現代風にアレンジされていて、思わず笑ってしまう箇所もあります。このような分かりやすい翻訳を読むと、時代や人種、文化など関係なく人間が悩むポイントは、そこまで変わらないのではないかと思ってしまいます。
クセノフォン(2022)『ソクラテスの思い出』(相澤康隆訳)光文社
- 著者
- ["クセノフォン", "相澤康隆"]
- 出版日
ソクラテスといえばプラトンの対話篇をイメージしますが、この作品の著者はアテナイの軍人であり著述家のクセノフォンになります。プラトンの描くソクラテスよりも、性格が悪くずる賢いおじさんとして、ソクラテスは表現されています。
田中美知太郎(1957)『ソクラテス』岩波書店
- 著者
- 田中 美知太郎
- 出版日
古代ギリシア哲学の巨匠である田中美知太郎先生の書籍になります。ソクラテスの生きた時代が丁寧に描かれており、ペロポネソス戦争に至るまでの流れが深く理解できます。ソクラテスの思想だけではなく、ソクラテスの人間関係や古代ギリシアの歴史を同時にを学べることもできます。