芸能プロデューサー×倫理学“暇で退屈だと人は哲学するようになるのかも“|ダメ業界人の戯れ言#11

更新:2023.6.12

ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を主軸としたカルチャーコラム。幅広い読書遍歴を樹形図のように辿って本を紹介しながら、自身の思うところを綴ります。 今回は文庫化もされベストセラーである哲学書をご紹介。定年を迎える自身の生き方を見つめ直します。

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暇で退屈だと人は哲学するようになるのかも

『暇と退屈の倫理学』から『目的への抵抗』へ。

「東大・京大の学生に一番読まれた本」という惹句がどうも苦手で、以前外山滋比古の『思考の整理学』の時も同じワードだったため、気にはなるけどなかなか手を出せず年月が流れました。

僕自身の名古屋大学卒という中途半端な高学歴感が、劣等感とプライドの妙な捩れを起こしているせいかもしれません。

『暇と退屈の倫理学』も初出しは2011年だし、去年には新潮文庫に入りましたが、大書店では今も平置きされていることが多く、あまっさえここへ来てオードリー若林の「國分先生、まさか哲学書で涙するとは思いませんでした…」という文庫の帯の言葉についに根負けして読むことにしました。

著者
國分 功一郎
出版日

哲学書を読もうとするとかつては、なかなか自分の頭がついていかず、読了するためだけに文章を追っているだけなんじゃないかと思っている時期もありました。1980年代筑紫哲也によって「新人類」と命名された僕らの世代は、それでも糸井重里らによってもたらされた「問題意識」というものに突き動かされ、当時あった「別冊宝島」シリーズの「現代思想・入門」などの文章を必死で読んで少しでも頭のいい人になろうとしていたのでした。

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あの頃の学生仲間との青すぎる哲学的議論を思い出すと、今でも実に恥ずかしい。僕らよりひと世代上の団塊の世代の人たちもその人数の多さもあいまって学生運動を起こし、その季節が過ぎ去るとほとんどがふつうの社会人になっていったのも、まあ一時の気の病みたいなものだったのかもと思ったものです。

数年前、菅田将暉と有村架純が主演した映画『花束みたいな恋をした』を見た時、妙に懐かしい気分になりました。ふたりは読書傾向とかがとても近くて仲良くなってつき合うようになるのですが、先に社会人になった菅田くんのほうが現実に目覚め、以前と同じ意識のままでいる有村ちゃんから少しずつ心が離れていくというお話で、団塊の人たちも新人類の僕たちも大半は結局そのようなことだったんだろうと思います。

 

それにしても、國分先生はきっとちゃんと売れ線を狙って一般にわかりやすくこの本を書いたのだろうし論旨が明確ですごく頭に残るお話でした。

この『暇と退屈の倫理学』というタイトルも、昔流の言葉で言うところのモラトリアム期間にある若者からすれば、すこぶる引きが強いであろうことは十分に想像できます。

20世紀の哲学者、マルチン・ハイデッガー(國分先生はハイデガーと書かずに必ずハイデッガーと促音を大事にします)が、現代人の「退屈」を3種類に分けてそれを論じているところがこの本の核となる部分だと思われますが、あの頃より対話型AIなども真っ盛りとなりつつある2023年の現代は、生きている人間の多くがより暇になり退屈感が増殖する時代になろうとしているのは事実でしょう

コロナ禍に「不要不急」とされたエンタメ産業に身を置く僕などは、そもそもが人様の暇と退屈を埋めるための仕事をしているわけですから、こういう生存の危機みたいなことが言われる時代には弱くならざるを得ません。

 

ちなみにこの本の中で、100年ほど前のアメリカでの急成長企業であったフォードのエピソードが語られていて、ここでは従業員の仕事をパーツパーツに徹底して合理化を進めることによってその人たちの余暇を生み出し、休みをきちんと取らせることで勤労意欲を高めるようにしていったらしいです。現代の労働についての考え方の先駆けのようなことがここでなされていたのでしょう。しかしフォードは、その余暇時間に従業員が何をしているのかをスパイを使って探査し、明日以降の仕事にとって良くない過ごし方をしている人を摘発し、是正しようとしたらしい。休みの日にはフォードの自動車を使って遠出などして真の休息を取ってもらいたいと考えていたようです。

すごいですね。これ今で言ったら何ハラスメントと言うのかわかりませんが、余暇時間さえ管理したいと言う本音は、今の企業にもあるのではないかと僕は思いました。

 

國分先生は、この本の中で、「暇と退屈」について考える重要なテキストとなる映画としてデヴィッド・フィンチャーの『ファイトクラブ』を上げています。ずいぶん前にロードショーの時に見た記憶がありましたが、この監督らしい仕掛けやケレン味に満ちていてその記憶ばかりで筋をほとんど忘れていたので、今回配信で見直しました。なるほどこう言う話であったか。20年以上前にこう言う話を作っていたこと自体がちょっと凄いなあと思わずにいられませんでした。

バリバリ仕事して成功している主人公のエドワード・ノートンは、一人住まいの部屋に先端の北欧家具なども揃えてある意味何不自由のない生活を送っているのに、その日々の退屈感に耐えかねて、ふと、睾丸ガン患者の男性たちが自らの苦しみを告白する集いに参加してうち震えるような感動を覚え、そこからどちらかが倒れるまで一対一で殴り合う「ファイトクラブ」にのめり込んで行くのですが、いやいや。どんなにお金があって贅沢を極めても、そこに暇と退屈を感じたら人は耐えられない、そんな時、純粋な生存や肉体と言うものに戻っていくのですね。ある意味物凄い逆説だなと思いました。

 

そんなことを思い起こさせてくれた國分先生は凄いなと思い直し、最近の学生への講義録をおさめた新書『目的への抵抗』も手に取ってしまいました。

これ『暇と退屈の倫理学』の延長線上にある本と言う謳い文句なのですが、タイトル通り、人間は何らかの目的があってそれへの手段としての行動をしなくてはいけないのか?その行為が目的のない純粋な行動であってはいけないのか?と言う問いがテーマになっています。ここには世界的にコロナ禍で不要不急の外出ができなくなるなどの自由の制限がなされた時に、コロナ感染防止という目的のためにいかなる自由も制限されることが自明のようにされた風潮を疑う視点も含まれていました。生存が目的になれば、あらゆる自由は制限を受けてもいいのか、という問いはほんとうに難しいですね。「ファイトクラブ」を持ち出すまでもなく、人は退屈になり過ぎたりし過ぎると結局生存の体感に戻ろうとする逆のベクトルを持っているのもある意味真実だと思いますし。

 

5月に60歳の誕生日を迎えた僕は、昭和62年4月新卒でホリプロに入社し、5月31日で定年を迎えたのですが、会社との話し合いの上、あと5年このまま同じ仕事のまま在籍することになりました。転職も一回もせず、昭和的感性で言えば勤め上げる、みたいな形に外面的になろうとしています。

でもせっかくこの年になり、家族もいない上、生活に対して頑ななまでの主義や目的も持ち合わせていない、ある意味永遠のモラトリアム青年であるつもりの僕は、これからの生活の方針を「自分にとって、何が快楽であるか?」に置くことにしました。自分で吐露するのもなんですが、何よりエゴイストである僕は、自分が死んだ後に世界がどうなるか、などの視点をほとんど持ち合わせておらず、その意味で、今ではポリティカルコレクトネスにまでなっているSDGsなどについても大変疎い人間で、そうしたことに身を投じる人たちを見ていて偉いな、とは思いますが、そうなりたいとは全く思わない人間でもあります。すみません。

その意味で國分先生が『目的からの抵抗』の中で危惧されているところの「目的」が僕の場合「個人の快楽」ぐらいの低レベルであるため、僕に関しては心配はなさそうかなと思いました。

僕のような人間には、そもそも生存のために必要なことを!みたいな掛け声意識、めいたものは圧倒的に欠落しているのです。

僕自身はこれから退職金も出て、ここからの5年はその分これまでの年収の40%ぐらいになってしまうのですが、亡くなった父親の遺産なども少しあって僕一人が生きていく分には相当思い切った蕩尽(とうじん)でもしない限り、経済的に行き詰まるなどと言うことはなさそうです。

その意味で、個人的にはそこそこそれなりに恵まれた状態にあるという自己認識もあります。

しかしどういうわけか、たとえば貧困とか引きこもりとか事件とか事故とか差別とか一義的にネガティブな状況に置かれている人を前提にしたテーマには物凄く興味があり、そうしたニュースなどを見ると結構な割合で深掘りする癖がついています。こんなこと言うとそれはおまえがその当事者ではないから見下ろしてられるからだ、などと猛烈な批判を受けそうだし、実際そう言う部分があることはこれもまた否定できないかもしれません。

よく考えると僕自身、いつの間にか「生存」に直結するような物語にどうしようもなくひかれてしまっている、と言うことに気づきました。

こんなことをいろいろ考えてしまうなんて、やっぱり哲学の本もたまには読まないといけないなと思ったのでした。


 

info:ホンシェルジュTwitter

comment:#ダメ業界人の戯れ言

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